和望の会
昨日、第5回目となる『和望(かずみ)の会』を京都のカフェでさせて頂きました。
和望の会は、あの戦争を語りあい、二度と同じ過ちを繰り返さない為に何が出来るか知恵を出し会う、そんな場になっています。
今回は、新聞社の方や、なんと東京からもお越し頂き、総勢8名の参加となりました。
私からは、京都佛立ミュージアムで行われている『トランクの中の日本』の写真を基にした解説と、先日、『原爆と戦争展』でお話を伺った、1945年6月7日の大阪の大規模な空襲についてお話をさせていただきました。
皆さんからの意見、感想の多くには、二度と戦争はしてはいけない。その為にも、今、ちゃんと語り継いでいかなければならないというものがありました。
体験者のお話、真実は本当に身に迫るものがあります。しかしながら、ご高齢になられ、お話の機会が減っていくことも事実です。
今、我々世代が真心、誠をもってあの戦争に関心をもち、議論し、これからの時代の人達のためにも、バトンを受け継いでいかなくてはなりません。
無関心が一番怖い。
我々にはこの無関心が一番の敵なのかもしれません。
このところの夏
このところの夏は、どうかしているように思います。
私が子供の頃は、8月の真夏でも最高気温は33度~34度ぐらいで、中学のクラブ活動は炎天下の中3~4時間走り回っていても、熱中症になる人なんていませんでした。
それが、今や36度~39度が当たり前のようになり、熱中症になる人が続出。
今日も、小学校1年生が熱中症で亡くなったそうで、本当にお気の毒ですが誰も責めることはできません。
この子は公園で虫取りをしていたようですが、虫取りは、子供にとって楽しみの一つでありますが、このような楽しみも、禁止令が出てしまいそうです。
気温はこのまま行くと、近未来何度まで上がっていくのだろうかと心配になります。
多くの学者の言うとおり、2026年から氷河期がくるのか、もしくは氷河期などこなければどうなりましょう。
夏は40度以上が当たり前のようになり、日本では『外で遊ぶ』などは非常識だ!というのような文化が生まれてしまうかもしれません。
私が心配したところで何一つ変えられるものはありませんが、近未来が心配です。
命日
7月15日。
今日は母の命日であり、亡き父の誕生日です。
朝からお墓参りに行き、午後は自宅で法要をとりおこないました。
夜はお酒を交わしながら、母や父とのさまざまなエピソードを夫婦で語らい合い、改めて今、命があることの尊さをじわっと感じでおりました。
命を授かるということは、いつかその命は亡くなる定めであることは重々わかるのですが、自分の意思でこの体を動かすこと、心を動かすことが出来なくなっても、残ったものの記憶には、何かしら思い出は残せるものだということを、つくづく感じます。
そして、不思議なことにもう会えない両親への『繋がり』だけは、消えることはありません。
そんなことを考えていると、その繋がりの中に生きていること、それだけでも人間の値打ちは計り知れないものがあると思うのです。
孤独を感じることは、人間として健全な感情ではありますし、過剰なほどの『繋がり』を求めたりする弱さも人間らしさではあります。
しかしながら、もうこの命があることが、大切な、かけがえのない命との繋がりでたることを思うと、それだけで生きて行かなければならないと思うのです。
これからもクラクラとするような事も多いでしょうが、エクスパンション(自分を自分以上に見せる)ではなく、身の丈にあった自分のまま、生きていきたいと願います。
40歳手前にもなれば。
40歳まえにもなれば、体に色々な不具合が出てくるものだと、最近はつくづく実感します。
今年のはじめには初めてインフルエンザにかかり、3月にはお臍の下部にある粉瘤を
摘出する手術、臍炎の治を行い、相変わらず花粉症やアレルギー性鼻炎はほとんどの季節で発生。
先日は脂漏性皮膚炎にかかり、現在は投薬とステロイド剤などで治療をしてます。
健康診断ではこの10年、いたって数値は良好ですが、健康診断の数字には表れない不具合は年々増えてきました。
人生40歳にもなってくれば当然ではありますが、歳と共に健康というものに関心が深まっていくことがとてもよくわかります。
「健康」「つながり(人間関係)」「お金」の3つは、は多くの人の幸福感に直結するものと内閣府からのデータでも出ています。
健康のとらえ方、考え方、持続、そしてそれを失ったときにどうあるべきか・・・。その辺りをしっかり考えてくべき時がきたのですね。
2×3=6と3×2=6は違う
掛けるという意味を辞書で調べていましたら、ふと、『2×3=6』と『3×2=6』は違うんだということに、今頃気付きました。
2×3=6という式では、2をかけられる数字、
3をかける数字としているので、2は受動的、3は能動的な働きをしています。
一方、
3×2=6という式では、3がかけられる数字、
2がかける数字となるので、受動・能動的は真逆になるのです。
算数の世界では、結果はどちらも6。
しかしながら、現時的な世界では、能動・受動を真逆にしてしまえば、大変なことが起こります。
例えば、
追いかけられる(算数では掛けられる数)方が犯人で、追いかける(算数では掛ける数)方が警察で、結果は逮捕となるはずですが、これが逆転してしまえば、えらいことになります。
ふと、掛けるという言葉に入っていった時に、おもしろく、また自分の小さな等身大の世界ですが、その世界を駆けめぐることやハッとした発見も、人生の面白さなのかなぁと思います。
そんな思いでインターネットをあさっておりましたら、もっと着眼点が優れていて、教養のある文章に出会いました。
その方の定義はこうです。
掛けられる数学と掛ける数学というのはおかしい。掛けられる数学、掛ける数字ともに選んだのは第3者的な存在であり、式は「AガBヲCニかける」となるというのです。
数字事態に、受動的能動的なものではなく、それを能動的に作成したものによって作られたということなのでしょう。
このような理論にのめり込んでいくことが、とても
愉快で面白いと感じた日曜日でした。
いつか負ける日も来る
サッカー・ワールドカップ、悔しいです。
ベスト8寸前。
ベルギーの猛攻。
特に後半の隙のないスピードある攻撃。
ビデオのように巻き戻しできるなら・・・。
いつか負ける日も来る。
それでも日本代表の選手たちは、
本当に素晴らしい戦いを見せてくれました。
感動と素晴らしい試合を有難うございます。
日本のサッカーがもっともっと努力の基、
ベスト8、ベスト4、あるいはワールドカップ優勝という瞬間が見られる日を楽しみにしています。
人は何故学ぶのか
本当に早いもので、7月に入りました。
今日は朝から夜まで、大阪・奈良・京都と3組の
お客さまと会い、コンサルティングをさせて
頂きました。
私は日々、お客さまの課題解決やご相談を主に仕事としておりますが、その家庭やお客さまの持つ悩みや課題は、本当に皆それぞれであります。
そんな様々な相談に対して、当然通り一辺倒の解があるわけはありません。
課題解決に向かう知恵をもっと付けるべき、今以上に学ばなければならないと思います。
そんな中で、人はなぜ学ぶのか?という、2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』の第1話、吉田松陰や小田村伊之助の言葉を思い出しました。
吉田寅次郎(松陰)の台詞
人は何故学ぶのか
学ぶのは知識を得るためでも
職を得るためでも出世のためでもない
人にものを教えるためでも
尊敬されるためでもない
己のためじゃ
己を磨くために人は学ぶんじゃ
小田村伊之助の台詞
人は何故学ぶのか
与えられた役割を果たすためではない
かりそめの安泰に満足し
身の程をわきまえ
無知で世間知らずで
何の役にも立たぬ己のまま生きるなど御免です
何故学ぶのか
この世の中のために己がすべき事を
知るために学ぶのです
私はこの長州を、日本国を守りたい
己を磨きこの国の役に立ちたい
そのために学びたい
まだまだ学びたい
本当に佳い言葉であり、姿勢だと思います。
『この世の中のために己がすべき事を知るために学ぶ』『己を磨くために学ぶ』
自分が果たす役割、主体的で創造的で人の役に立てる自分をなるために学ぶ。
弱い弱い魂ですが、それでも少しでも人間の美しき姿勢を持って、学び続けていきたいものです。
トランクの中の日本
仕事の合間に、京都佛立ミュージアムで開催されている『トランクの中の日本 戦争、平和、そして佛教』を見に行かせて頂きました。
米軍従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏が終戦直後の長崎、広島、神戸などで撮られた写真に、その時の情景、聞いた言葉や語った言葉、思考や感情などが一緒に付け加えたパネルの展示が中心の企画です。
終戦まもなく軍の命令で長崎に到着したオダネル氏の役割は、日本をカメラで写し出すことでした。
どんなものでもよい。これは撮っておくべきだと思うものはすべて写し出してくれ。その任務を遂行するべく、まずは長崎から撮りはじめたのです。
長崎は爆心地に近っけば近づくほど、瓦礫で歩くのも遮られるほどであり、広島の場合はわずかな例外を除き、建物はすべて根こそぎ破壊されつくして真っ平らになっていたといいます。それはまるで巨大な箒が街中をさっと掃き清めてしまったようだと表現されていました。
また敗戦下で暮らす日本人にも多々触れあい、その様子をカメラにおさめていました。
ある長崎の小さなカメラ屋さんに寄ったとき、思ったより沢山のカメラが置いてあったそうです。
プライベート用のカメラを買おうと、札を取り出したが店の店主は受け取ろうとせず、代わりに煙草をくれと行ってきたそうです。
オダネル氏は軍から配給され、貯めていた煙草を見せると、カメラ2台と交換することが出来たといいます。
敗戦下の日本ではお金ではなく、まずはモノに飢えていることを象徴する出来事です。
また、オダネル氏はアメリカでは考えられない光景を沢山目にします。
5つ6つの子供たちが、まだ2歳にもならない弟・妹たちをおんぶして世話をしている様子。
大量の蠅が埋め尽くされたリンゴを気にもせずに食べる子供たち。
仮病院施設前では、顔の皮膚も焼け落ちて溶け去り、全体が赤と黄がまだらににじむ裸の若い男に手招きされ、『どうぞ殺して、私をどうぞ殺して、あなたの敵だから』と。
限られた日本語力でも、言葉は理解できました。
そして、一番印象に残った写真は、長崎での焼き場に来た少年の写真です。
オダネル氏の言葉をそのまま載せます。
焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな体は痩せ細り、ぼろぼろの服を着て裸足だった。少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。
少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で弟を見送ったのだ。(中略)私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただ一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度も振り向かないまま。
この写真は、ローマ法王がカードにし、印刷をして配布するよう指示を出していたということがわかりました。
戦争には、語られなかった凄まじく苦しみの歴史が埋もれています。
今、当たり前のようにある幸せは、こういった苦しみの歴史の上になりたっております。
我々が事実と向き合い、平和とはなにか、戦争とは何かを大真面目に考えなくてはならない。そう感じさせてもらいました。
勉強
小学校3年生の長女が、ドラえもんを観たくないと言い出したので、どうしたの?と聞いてみると、勉強したいからという答えが返ってきました。
学校から帰ってくると、学校の宿題は当然のこと、ポピーという学習帳までやっています。
長女は、毎日約1時間は勉強に集中し、それから必ず読書の時間があります。
そして最近では漢字や熟語などに興味を持ち出したので、国語辞典で色んな言葉を調べだし、本当に勉強が好きなんだなぁと感じるのです。
が、私に学がないもので、彼女の好奇心や関心に対してどう接してあげてよいかは正直悩んでおります。
妻は大学で古典を専攻していたので、言語などはある程度任せられるのですが、こんな時、親の教養というものがもっとあればと思います。
やっぱり思います。
もっと勉強しておげば良かった・・・と。
私は社会人になってから勉強したい!勉強が面白いと思うようになったので、学生時代はどうしようもないぐらい勉強というものを避けてきました。
親不孝であります。
そんな私ですが、二人の娘にはこれだけはいつも
言っていることがあります。
それは、『何かになりたい!という事がなくたっていい。どんな人間になりたいかを考えなさい。』と。
何かになりたいという職業は手段ですから、なぜなりたいのかという目的の方が大切だと思うのです。
人はなぜ学ぶのか?なぜ勉強するのか?
長女もいつかこの根本的問題に気付くことになるでしょう。そんな時、親としてどんな解があるのか、どんな言葉を、文化的資本を与えてあげられるのか・・・。
学もなく無知な私です。
これから長女の勉強に役立てるか不安です。
だからこそ、子供たち以上に大人の私が勉強をしていこうと思います。
不安はありますが、長女のこれからの可能性が楽しみです。