孤独の抵抗
松本清張芥川賞作品
『或る「小倉日記」伝』を読んだ。
小倉日記とは、森鴎外が軍医として北九州の小倉に赴任した三年間の日記のことである。
この日記は一時期行方がわからなくなり、鴎外の研究者の中でも非常に惜しまれた。
そんな中、小説の主人公である田上耕作(実在した人物)は、鴎外が小倉で過ごした三年間の軌跡を辿り、失われた日記を再現するかのよう、それ以上に新たな鴎外を発見していく。
田上耕作という人物は、生まれつき病いがあり、決して社会の中に順応出来たとは言い難い。
どちらかといえば、人の目から見れば、社会からはみ出し者にされた「孤独」の生涯だったといえるだろう。
興味深いことは、この耕作という人物は、実は清張自身が投影されていると言われている点だ。
その理由に、小説の耕作は実在した田上耕作より10歳若い設定となる。あえて清張と同じ生まれ歳に変えている。
また、耕作が母や友人に助けられながら、鴎外と接点があった人物を尋ね回るシーンが何度も描かれるが、良い対応をしてくれる人ばかりではない。
「そんなことを調べて何になります?」と意地悪く言い捨てた者もいた。
この言葉は、耕作自身の心の深部に突き刺さって生涯苦しめたという。
実はこのような言葉を、清張自身も言われた経験があったことだ。
理解されず、報われもせず、それでも自分の信じることに打ち込んで生きる。
「孤独の抵抗」を田上耕作に重なり合わせ、自分の拠所に求めたのだと思うと、何とも感慨深い。
小説の終盤では、やがて戦争が激化し、終戦後は食べることもままならない非常事態に陥る。母も老いて、いよいよ耕作は志半ばにしてこの世を去った。
耕作の死去、耕作の生き方を光で照らしたのは、清張であった。
そんなことを調べて何になるのか・・・。
自分の道を信じて進む力と、
意味があるのかという迷いの力。
同じ「孤独の抵抗」を重なり合わせ、無名の人物に生きる光を当てられる松本清張の作品に、私の心は躍動した次第である。