ライオンズ、連覇!
【私には青い血が流れている】
と言えるほど、物心ついたときから父親の影響でレオ党の私。
今年のパリーグは混戦で、開幕からホークスを除いてはどこも団子状態。
ライオンズも1つ勝っては1つ負ける、という状況が続き、もどかしいものがありました。
しかし、8月中旬頃から破竹の勢いで勝利を重ね、みるみるうちに首位との差を縮め、ついに首位へ!
首位から11日、143試合あるペナントレースの中の142試合目で連覇を果しました。
辻監督も行っていましたが、主力が抜けても俺たちはやれるんだという姿勢を、選手たちが魅せてくれました。本当に逞しく思います。
打の主軸である浅村、エースの菊地、正捕手の炭谷が抜け、大きな補強もなく強いパリーグで優勝を果たした辻監督こそ、名将と言える監督だと思います。
ライオンズはFAで選手が抜けても、FAで補強はしません。生え抜き選手と助っ人外国人選手のみです。
そんなチームもなかなか珍しいものです。
昨年は優勝しながらも、クライマックスシリーズを通過できませんでした。
今年こそは勝ち抜き、パリーグを代表して日本シリーズに挑んでもらいたいものです。
起承転々
仕事の合間などで少し時間がある時は、ついつい本屋さんに行ってしまいます。
昨日はブックオフがあったので、なにげに好きな人物の本を探していましたら、童門冬二さんの、『50歳からの勉強法』という本に出会いました。
小説 上杉鷹山など、歴史小説を書かれる童門さんですが、経歴や自己流の考え方が面白く、読みふけってしまいました。
童門さんは、はじめから小説家だったのではなく、なんと51歳まで都庁に勤めておられました。
早期退職し、そこから執筆。56歳でベストセラー『小説 上杉鷹山』を上梓。91歳の現在も、講演活動をされているという、スーパーマンです。
そんな童門さんの人生の考え方が、ものすごく参考になります。
童門さんはこんな風に言われています。
物語は昔から『起承転結』があります。
しかし人生はどうであろうか。
先人が示してくれたような、やるべきことはやり遂げたのち、みずから棺桶のふたを閉じて、跡を濁さず、憂いも残さず、いさぎよく人生を締めくくる、こんな『結』の迎え方は、もはや現代人には不可能な離れ業というべきではないか。
そうしたことから、僕は人の一生は、起承転結ならぬ『起承転々』であると思い定めてきました。と。
これはまさに、童門さんご自身の人生であり、また、ほとんどの人の生き方であるのでは?とおもいます。
死ぬまで未熟、未完な『起承転々』の人生。いつ、終わるかわからない人生。だからこそ、いつまでも学び続ける姿勢でいられるということにですね。
ブックオフで360円。童門さんすみません(笑)
さぁ読書の秋です。大いに良書と出会っていこうとおもいます。
アドラー心理学
アドラー心理学を日本に広め、200万部のベストセラー『嫌われる勇気』の著者である岸見一郎さんの講義に先日参加しました。
講義といっても、椅子を円に並べて、オール質疑応答という形式。とても斬新で緊張感のある、面白いものでした。
印象的だったことが、『課題の分離』という考え方です。
これはアドラー心理学においては大切な考え方となるのですが、対人関係の悩みにおいて、この課題の分離が出来ていないことで招じることが多いと分析しています。
例えば、人から陰口を言われていることに気づいたとします。
ほとんどの人が、何と言われているのか?なぜ言われないといけないのか?と気になってしまいます。
しかし、この課題の分離思考でいえば、陰口を言っているのは、言っている人間の課題であり、こちらの課題ではないということになります。
人から陰口を言われないように生きるには、どうすれば?と悩んでしまいがちですが、それは他人にあわせる生き方であり、自分の人生を生きていないのです。
つまり、アドラーは
『本当の幸せは、嫌われる勇気をもつ』ということを伝えているのです。
少し冷たい考え方という印象を受けるかもしれませんが、人の課題に介入するのではなく、ヒントまでは与えること。自分の課題は介入されず、自分で切り開くこと。
これが本来の自由で幸せな生き方なのだと、アドラー心理学では教えています。
何かにしがみついたり、さみしさを払拭させるため、繋がりをもとめたりするのが人間ではありますが、他者に迎合することなく、自分の人生をイキイキと生きていく。
個でいても集団にいても、そんな人生にしたいものです。
しかし、課題の分離はあくまでスタートライン。ゴールは共同体感覚というものだから、またこれが果てしない。
アドラー心理学、ちょっとつっこんで学んでみようとおもいます。
森繁久彌さんの授業
2学期がはじまったという学生さんも多くいらっしゃるとおもいます。うちの子も、久々にいく学校、幼稚園にそわそわしておりました。
さて、学校で思い出す話があります。昭和の大スターである森繁久彌さんが、ある小学校で授業をした時のお話です。
森繁さんが生徒たちに向かってこう問いかけます。
『君たちが今日この教室につくまで、何人の人に感謝できますか?』
生徒たちは、おのおの考え発表します。
『朝起きて、お父さんお母さんでしょ。それから近所のおばさん、横断歩道でみまもりをしてくれるおばちゃん、学校の先生・・・5人です。』
『僕は10人・・・。私は15人・・・。』
すると、森繁さんはこうおっしゃられるのです。
『いやぁ、10万人はいるでしょう。』
その言葉に、生徒たちはキョトンとするのです。
すると、森繁さんの持論が展開されます。
『今、君たちがもっている鉛筆、これは誰が考えたの?そして設計して作っている人は誰?売ってくれる人は?
座っている椅子、机、誰が考えて誰が形にしたの?消しゴムは?洋服は?教科書は?』
実は目をあけて見えているものほとんどが、誰かが考え、人間の手で作られてきた、汗と涙の結晶なんですね。
そして、ほとんどが無名で、知らない人たちの頑張りなんです。
『世の中は無名な人々によって成り立っている。それが仕事というものだ。』
その事に気づかされる素晴らしい授業だと思います。
小学生のなりたい職業No.1は何かご存じですか?ユーチューバーです。3割合を越えているそうです。
ユーチューバーが悪いとはいいません。
しかし、子供たちが仕事を選ぶサンプルが少ない証拠なんだと思います。大人たちが、仕事というものをどう教えるか?我々のテーマかもしれません。
多くの無名な人たちの仕事が、世の中を支えている。
さて、明日も顔晴って参りましょうか。
黒澤明【生きる】
黒澤明監督作品、『生きる』を観ました。
昭和27年の映画ですから、当時の様子がうかがえることも、古い映画の楽しみですが、この生きるには、人間の何たるものかが、明白に描かれた素晴らしい映画だと感服致しました。
主人公は、退職間近に迫った役所勤めの課長。約30年、無遅刻無欠席という素晴らしい勤務態度であったが、特に周りからも尊敬されているわけではなく、どちらかといえば、お荷物な存在でした。
毎日のように、山積みされた書類に目を通し、印鑑をついていくだけの仕事。
この主人公に対してナレーションは、
「彼は時間をつぶしているだけだ。彼には生きた時間がない。つまり、彼は生きているとはいえないからである」
などと問題提供しています。
しかしある日、彼は自分が癌であることを知るのです。(実際には医者から軽い胃潰瘍と告げられますが、当時は癌の告知はなかったようですね。)
当時、癌は不治の病でしたから、死を叩き付けられたことになります。
絶望した主人公は、コツコツ貯めてきた大金を下ろし、居酒屋で一番高い酒を飲み、キャバレーに行き、若い女とダンスをして遊ぶのですが、ダンスホールで自らリクエストした音楽に、自分の人生が投影され、我にかえるのです。
無遅刻無欠席だった仕事を5日も無断欠席していたのですが、残りの人生をかけて、やるべきことに挑んでいくのです。
生きながら死んでいた人生から、
死を目の前に生きた人生への変化する。
生きるとは何かを、究極にこの映画は観るものに問うている、私はそのように感じました。
また、人間とは何かを、
明確に示しているとも思います。
それは、お通夜のシーンと、その後の日常のシーンに現れます。
単なるハッピーエンドではなく、人間の情緒や優しさ、そして未熟さや勝手さが最後まで描かれていて、さすが黒澤明!と唸ってしまう興味深い映画でした。
悲劇と喜劇のようなものが、
私の人生にも沢山潜んでいる。
この映画から、また改めて学ばせてもらいました。
私にとってのお墓
8月14日、先祖の墓参りに行って参りました。祖父祖母、そして両親のお墓ですので、墓参りをすることは私の田舎に帰省するようなものです。
大きな霊園には、台風の影響もあってでしょう、15日を避けて多くの車が駐車されていました。
一般庶民のお墓の文化というのは、そう古くはなく、大正時代から本格化したと聞いたことがあります。
そのお墓というものも、管理が大変だったり、考え方や価値観が多様化したことで、文化が変わってくるでしょう。
いずれ私は、夫婦でこの墓に入るつもりです。
しかし、子供は女の子が2人。いずれは結婚するでしょうから、通常ならこのお墓を守ってくれる人はいなくなるでしょう。
しかし、私は子供たちに墓の管理を任そうと思っています。
それは我々の為ではなく、先祖を敬い、代々の先祖に感謝の心を持って生きてほしいと願うからです。
年に1度でよいのです。娘家族同士が集まり、墓参りをして食事を共にする。
そうして、礼節を知る。
孫たちにもその姿を見せる。
そうやって、感謝の心を育んでもらいたいと思っています。
そのために必要なものは、お金です。費用はかかるものです。
それはちゃんと子供に残そうと思っています。
年に1度10万円の費用がかかるとして、30年続けてもらっても300万円です。300万円残すことで、こうやって礼節の場を育んでもらえるのであれば、本当によい残し方だと、私は考えています。
私にとってのお墓参り。
それはお墓に先祖が眠っているとかいないとか、効率的とか非科学的だとかではありません。
先祖を敬い、行動を示す。
礼節を知り、心豊かに生きる。
この事に尽きます。
お盆のお墓参りに、ふと強く思う
私にとってのお墓のあり方でした。
病院ラジオ
先日、NHKで放送されたサンドウィッチマンの『病院ラジオ』を観ました。
今回でこの番組は3回目となり、「がん専門病院編」で、東京・築地の国立がん研究センター中央病院に2日間限定のラジオ局を開設し、サンドウィッチマンが患者や家族のお話を聞いていくという内容でした。
この病院では、希少がんといわれる、10万人にひとり、または全世界で数人しかいないような、がんになられた方の治療を行っています。
様々な患者さんがサンドウィッチマンと会話し、その会話が病院だけにラジオが流れます。
ジストという希少がんになられた方は、人工膀胱、人工肛門を余儀なくされました。1週間悩んだ末、家族の『生きてることができるんだから』という言葉に後押しされ、手術をしたといいます。
また、5人のお子さんを持つ女性は、何度もきつい抗がん剤を投与したが、もう治療は出来ないと言われ、痛みを和らげる薬だけを投与されていました。
それでもとても明るくお話をされていました。
サンドウィッチマンが、弱さを出してもいいんじゃないですか?と聞くと、たった一人の娘(あと4人は男の子)は、いずれお母さんになる、お母さんの強さを今教えてあげたいんです、と強く話されていました。ご主人の、毎日奇跡を祈っているという言葉が印象に残っています。
小児がんの小学6年生の女の子は、眼球にがんが出来ました。3年間で14回もの手術を繰り返していますが、元気に笑顔で話していました。
他にも、数歳でがんと戦っている子供たち、もう治療がなくても、前向きに出会いを探す女性、病院の先生への感謝の言葉を綴る人などなど、様々な方々が語られておりました。
時折、今、幸せだというワードが出ることも、とても印象的でした。
私は、今健康であるのにも関わらず、不平不満を言ってしまいます。
自分がやれることはまだ沢山ある。
本当の贅沢というのは、快楽をたくさん叶えることではなく、自分がやれば出来ることをどれだけ出来るかではないのか?そのようにも思いました。
毎日暑いですが、出来ることを
時々休みながら、コツコツやって参ります。
第74回大阪府戦没者追悼式
先の大戦では、大阪府だけでも12万7000人以上の方々が命を落とされています。
その中には、空襲で亡くなった方、戦地に駆り出され戦闘で、餓えで、そして病で亡くなった方々も大勢いらっしゃいます。
また、若者が中心に戦地に出ていますから、まだ新婚の人、子供がお腹にいる人、生まれてすぐの子供がいる人などが、二度と祖国の地を踏むことなく、国のために命を落とされました。
私は、戦争で身内を亡くした経験はありません。祖父も、満州で大変な苦労をされましたが、日本になんとか無事帰ってこれました。
しかし、一昨年前から私の住む市の遺族会に加入し、理事をさせて頂いています。
それには2つの理由があります。
1つは、日本人である以上、あの戦争は何であったかを正しく学び、少しでも正しい歴史認識を持ち、後世に伝えていく事を生きる理由の一つにしたいこと。
2つ目は、今の平和(言いたいことが自由にまだ言える時代)があることは、紛れもなくあの戦争で犠牲に遭われた方々のご苦労と、その後、懸命に発展をさせて下さった諸先輩方のお陰であること。
戦争の犠牲となられた方々を弔い、追悼することは、私たち日本人としては大切な行いだと思うこと。
その2点に尽きます。
二度とあのような惨禍が繰り返されないよう、学んでいかなければならない。
メディア、マスコミではなく、研究者や歴史家の研究に基づく資料を頼りに、戦争体験者の声を聞き、出来る限りの事実を学ばなければいけないと思います。
政治、歴史、哲学、思想、宗教、団体とは何か。
様々な価値観とプロパカンダ、情報操作と搾取の横行の中で、我々は何を見ないといけないのか。
非常に難しい問題ですが、私が死ぬ時、今より更に良い時代になればと切に願います。
ハンバーグとエビフライ
先週末、幼少の頃から細々と続けている空手の合宿に行って参りました。
兵庫県は姫路の北部、波賀町という山の中に宿舎があり、2日間、自然の中でまさに森林浴をしながら過ごせたことがとても気持ちの良いものでした。
さて、合宿には沢山の子供たちが参加しているのですが、気になることがありました。
練習が終わったあとの夕食のことです。
子供たちのお皿には、エビフライやハンバーグなど、子供のご馳走メニューが並んだのですが、なんとそのメインを残す子供が続出したのです。
僕の子供の頃は、エビフライやハンバーグを残すなんて、考えられなかった。しかし、多くの子供たちが残していたのです。
それまでにお菓子を食べていた?
そもそもあまり好きではない?
疑問を持ったまま、家に帰り、ふと妻にその事を話すと、意外な言葉が帰ってきました。
『うちの子たちも、好きじゃないよ』
ええ!?そうなん?衝撃でした。
そして、こう続けました。
『家の手作りハンバーグは食べるけど、お子さまランチにある、加工されたハンバーグの味があまり好きではないみたい!』と。
エビフライも、ちゃんと衣をつけて揚げたエビフライなら食べるそうです。
なるほど、あの加工されたような味は、今の子供たちにウケがいいとは限らないのか?
ほんの一例ですが、我々が好きだったものが、今の子供たちに必ずあてはまるとは、限りませんね。
時代はどんどん変化していきます。
もちろん、今でもあのハンバーグやエビフライが好きな子たちも多くいるとは思いますが、決めつけてはいけない。
そんなことを気づいた合宿でもありました。
さぁ、梅雨も明けました。
思い切り夏を味わいたいと思います。
兆し
昨日は師匠と、8時間勉強して参りました。しかも、休憩はありません(笑)
それでも不思議と、時間の感覚を失い、気がつけばもうこんな時間?というような、幸福な一時でした。
さて、師匠からの学びのひとつに、
【兆】~きざし~
というお話がありました。
人生で起こる出来事の殆どに、この兆しがあるのというのです。
健康を害してしまうにも、食生活や運動不足がありますし、例えば家族でも、急に不仲になるわけではなく、不満が少しずつたまっていくわけですね。
その兆しに気付かない、あるいはただ見ているだけで、特に何もしない人がいます。
見ているだけだと、兆しに目がついて【眺】~ながめ~ているだけです。
そして、わかっているのに考えないようにする。それはしんにょうを付けて【逃】、にげるです。
そうすると、取り返しのつかないとこにいってしまいます。
では、兆しをキャッチしたら、どうすべきか?
これには手偏がついて【挑】。
すなわち自身で挑戦するのです!これには勇気が必要ですが、これしかありません。
挑戦し続けることを【誂】で、あつらえる。即ち、その人にしかないやり方で、オーダーメイドで個人的な挑戦をしていくということです。
人生とは極めて個別的なもだと師匠はいいます。個人的な兆しに、個人で挑むしか自分の人生を幸福にはできないということです。
周りの支えはいりますが、何かにすがる、団体に所属する、繋がりをもつ。そういったことでは、真の幸福は得られないということを改めて教わりました。
あくまで個別的な個々の集まりこそ、集団で有るべきであり、共依存し合う場であってはならないからです。
【兆】【眺】【逃】【挑】【誂】
日本語とはうまく出来ているなぁとおもいます。!
様々な、極めて個別的な兆しに、出来るだけ挑んでいきたいものです。