dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

兆し

昨日は師匠と、8時間勉強して参りました。しかも、休憩はありません(笑)

それでも不思議と、時間の感覚を失い、気がつけばもうこんな時間?というような、幸福な一時でした。

さて、師匠からの学びのひとつに、

【兆】~きざし~

というお話がありました。

人生で起こる出来事の殆どに、この兆しがあるのというのです。

健康を害してしまうにも、食生活や運動不足がありますし、例えば家族でも、急に不仲になるわけではなく、不満が少しずつたまっていくわけですね。

その兆しに気付かない、あるいはただ見ているだけで、特に何もしない人がいます。

見ているだけだと、兆しに目がついて【眺】~ながめ~ているだけです。

そして、わかっているのに考えないようにする。それはしんにょうを付けて【逃】、にげるです。

そうすると、取り返しのつかないとこにいってしまいます。

では、兆しをキャッチしたら、どうすべきか?

これには手偏がついて【挑】。

すなわち自身で挑戦するのです!これには勇気が必要ですが、これしかありません。

挑戦し続けることを【誂】で、あつらえる。即ち、その人にしかないやり方で、オーダーメイドで個人的な挑戦をしていくということです。

人生とは極めて個別的なもだと師匠はいいます。個人的な兆しに、個人で挑むしか自分の人生を幸福にはできないということです。

周りの支えはいりますが、何かにすがる、団体に所属する、繋がりをもつ。そういったことでは、真の幸福は得られないということを改めて教わりました。

あくまで個別的な個々の集まりこそ、集団で有るべきであり、共依存し合う場であってはならないからです。

【兆】【眺】【逃】【挑】【誂】

日本語とはうまく出来ているなぁとおもいます。!

様々な、極めて個別的な兆しに、出来るだけ挑んでいきたいものです。