私にとってのお墓
8月14日、先祖の墓参りに行って参りました。祖父祖母、そして両親のお墓ですので、墓参りをすることは私の田舎に帰省するようなものです。
大きな霊園には、台風の影響もあってでしょう、15日を避けて多くの車が駐車されていました。
一般庶民のお墓の文化というのは、そう古くはなく、大正時代から本格化したと聞いたことがあります。
そのお墓というものも、管理が大変だったり、考え方や価値観が多様化したことで、文化が変わってくるでしょう。
いずれ私は、夫婦でこの墓に入るつもりです。
しかし、子供は女の子が2人。いずれは結婚するでしょうから、通常ならこのお墓を守ってくれる人はいなくなるでしょう。
しかし、私は子供たちに墓の管理を任そうと思っています。
それは我々の為ではなく、先祖を敬い、代々の先祖に感謝の心を持って生きてほしいと願うからです。
年に1度でよいのです。娘家族同士が集まり、墓参りをして食事を共にする。
そうして、礼節を知る。
孫たちにもその姿を見せる。
そうやって、感謝の心を育んでもらいたいと思っています。
そのために必要なものは、お金です。費用はかかるものです。
それはちゃんと子供に残そうと思っています。
年に1度10万円の費用がかかるとして、30年続けてもらっても300万円です。300万円残すことで、こうやって礼節の場を育んでもらえるのであれば、本当によい残し方だと、私は考えています。
私にとってのお墓参り。
それはお墓に先祖が眠っているとかいないとか、効率的とか非科学的だとかではありません。
先祖を敬い、行動を示す。
礼節を知り、心豊かに生きる。
この事に尽きます。
お盆のお墓参りに、ふと強く思う
私にとってのお墓のあり方でした。