論語塾より
定期開催の『論語塾』に参加していますが、かなり勉強になります。
論語では、様々な意味をもつ漢字が多く使われています。
なかでも、『みる』という字は、4つの意味で漢字を使い分けられてるようです。
『見る』は、よく使う漢字ですが、これはみえているもの全体のことを言うようです。
そして、『視る』になってはじめして、ある特定のものに焦点を合わせて、そのものを視るというようになります。
『観る』は、焦点を合わせたものをよくよくみる、詳しく観ることです。
最後は『察る』。これはみえないものをみるという意味があり、気持ちや、心、空気などのことです。日本では気持ちを察すると使いますね。
漢字とは面白いもので、観ると察るを合わせて観察ですから、詳しく観て、こうではないか?と察していくことなんですね。
この4つはどれも大切です。
また、『きく』というのも、聞く、聴くがあります。
意識せずきこえているものは、聞く。特定のものをきくことは聴く。
見聞を広めるとは、自分の知りたいことだけではなく、あらゆるものを見聞きするということなんです。
そして視聴するとなれば、特定のものをじっくりきくことになる。
漢字一つ意識してみることで、なかなか一日が面白くなると思います。
さて、今日もげんきよく きげんよく
いきたいものです。
砂時計
桃の節句も近づき、春らしさを感じるようになってきました。
私もこの2月で40歳になりました。結婚してもうすぐ12年。今の仕事をはじめてからは11年が経とうとしています。人生の時間とは、本当に早いものです。
先日、師匠に人生の時間を例えた、こんな印象的な言葉を頂きました。
「人生は砂時計のようなもの」という言葉です。
砂時計を立てると、上に溜まった砂がくびれた場所を通って下に落ちていきます。
上の砂が【未来】で、くびれている場所を通過するする砂が【現在】、下に溜まっている砂が【過去】となります。
上の砂ばかり見ていると、減っていく残りの時間ばかりが気になります。
しかし、下の砂はどんどん溜まっていきます。過ぎていった時間は無になってしまうのではなく、過去という資産をたくさん溜めているのです。
この砂時計のように、過去とは自分自身がコツコツ溜めてきた豊かな収穫物であることを自覚すると、歳を重ねることは本当に素敵な事だと改めて感じます。
また、過去は『価庫』であるとも言われました。
価値あるものがたくさん詰まった倉庫。
生きることは素晴らしい。
今を大切に味わっていきたいものです。
ケーキハウス ツマガリ
今日は一日ゆっくり休みをとって、家族で『ケーキハウス ツマガリ』本店へ出掛けました。
神戸や西宮にお住まいの方なら、ケーキといえばツマガリ!というぐらいの名店です。
場所は阪急甲陽園駅から少し坂を登ったすぐのところ。このあたりは閑静な町並みで、町も古くからあり、とても素敵な雰囲気があります。
ツマガリは知ってはいたものの、行ってみたい!と強く思ったのは、創業者である津曲孝さんの『津曲 孝物語』を読んだことがきっかけでありました。
津曲さんは、幼い頃に両親と生き別れになり、お祖母さんに育てられました。吃音もあり、勉強も出来なかった津曲さんは、同級生からも赤ちゃんとからかわれ、辛い日々を過ごされました。
しかし、吃音を克服したことや、お祖母さんからいつも、お前はできる子だ!という言葉をかけられいたことが自信に繋がったといいます。
15歳で就職のため上京し、17歳のとき、ご縁あってお菓子の世界に入ったそうです。
それから、猛勉強と修行を重ね、わずか17坪の小さなケーキ屋さんを持つことができました。
津曲さんは、算数なら1+1=2だけど、それをなんとか5には出来ないか?と考え続けたそうです。
プラス3。それは、『付加価値』です。
お客さまを喜ばせるための付加価値を一生懸命に考え、創意工夫をする。それが、味に大きな影響を与えたのだと思います。
昨日、家族に『津曲 孝物語』を読み、どういう想いでケーキ屋さんを作ったのかを共有しました。
そして車を使わず、あえて電車を乗り継いでツマガリへ行きました。
午前11時に着きましたが、既にお客さんがいっぱいでした。店の前ではスタッフの方が、温かいお茶を入れ、待っている方々にお渡ししていました。
ありがたいことに、買ったケーキを2階の喫茶店で食べられるということで、ゆっくり味わうことができました。
有名なシュークリームも、ケーキも焼き菓子も、どれも本当に美味しくて、大満足でした。
長女は一丁前に、今まで食べたケーキの中でも一番美味しかった!と言っていました。
でも本当に美味しかった。
我が家にしては、朝からケーキという贅沢な時間を過ごしましたが、とても価値ある時間でありました。
津曲さん、美味しいケーキを有難うございました!
平和学習
2月14日に、毎月恒例となりました平和学習の講師を務めて参りました。
今回で11回目になり、微力ながらでも続けて頂けることを有り難く思います。
今回は、戦後の不条理なBC級戦犯について、お話をさせて頂きました。
戦犯とは、戦争犯罪のことです。
いくら戦争自体は犯罪ではないといっても、戦争中は何をやってもいいわけではありません。戦時国際法で交戦法規が定められています。
例えば、『一般住民・非戦闘員に危害を加えてはならない』であったり、『軍事目標以外を攻撃してはならない』などです。
戦争が終わり、日本は敗戦国となりました。
勝った連合国側は、交戦法規を破った行為があっても裁かれることはありません。(原子爆弾や本土空襲、沖縄戦など、交戦法規違反は多々あるのですが・・・)
敗戦国の日本は、戦後連合国側から、A~C級に分類された戦犯者を徹底的に裁きました。
A級は東京裁判が有名ですが、指導者とされています。その中からは、7名が死刑となりました。
そして、あまり知られていないBC級は、現地により命令したもの、実行したものという定義でした。
BC級は約5,400名に有罪、940名に死刑判決が下されたのです。
しかも、その判決は戦後の混乱の最中、現地で各軍がバラバラに行ったため、十分な検証はなく、日本人には弁護の機会もないようなものだったのです。
よって、無実な身でありながら処刑をされた者、通訳を担当しただけで罪になった者、捕虜に少しでも食事を与えてあげようと、ゴボウを取って食べさせてあげたら木の根を喰わした捕虜の虐待として処刑されたもの等々、酷い裁きを受け、この世を去らなくてはならないものが多々いたのです。
先の大戦では、300万人の日本人が亡くなられました。一人一人、本当に様々な最期がある中、このような裁きによって、この世を去った方々もいるということを、我々は忘れてはいけないと思います。
BC級戦犯により亡くなられた方々が、家族に綴った遺書がありますが、本当に辛いものです。
正しいことが、正しいとされないことがあります。また逆に、正しくないことが、正しいとされることもあります。
人生は不如意です。
解釈は無数ですが、事実は一つ。
この事実をちゃんと見つけ出し、後世に繋いでいくこと。その一助として、これからも伝えていければと思います。
感動的な対応
最近、車を運転中、よくオーディオブックというものを聞いています。
オーディオブックとは、本の内容をそのまま朗読してくれるCDのことで、車を運転しながら本の内容を理解できるという、う点もあり、とても重宝しています。
私は今、日本資本主義の父と呼ばれている、故・渋沢栄一氏の書物を読んだり、オーディオブックを聞いたりして勉強させてもらっています。
昨日も、渋沢栄一の『立志の作法』を運転中聞いておりました。CD6枚組、5枚を聞き終わり、6枚目をナビに入れたのですが、一向に反応しません。
なぜ?と思い、もう一回入れ直してみても、反応がない・・・。
もしかしたら、ナビの故障?と思い、違うCDを入れてみたのですが、普通に聞けます。
となれば、やっぱりCDがおかしい。
私はパッケージに記載のある発売元の電話番号に電話をしました。
16時30分のことでした。
『そうでしたか、申し訳ございません。6枚目をお送りしますので、お名前・ご住所・お電話番号をお願い致します。』
そして、
『明日から3連休となり、申し訳ありませんが、12日の発送となります。よろしいでしょうか?』といわれたので、
『急ぎませんので、いいですよ。』と言って電話を切りました。
そして、一夜開け。
朝の11時ごろです。
ピンポーンとインターホンがなりました。
宅配業者の方が荷物を届けてくれたのですが、中身は聞けなかった6枚目のCDだったのです。
昨日16時30分の電話を受けた方は、直ぐに手配下さり、東京から大阪まで、今朝の11時に届かせてくれたのです。
この対応には大いに感動しました。
きっと、電話を受けた方が、なんとか最終便に間に合うのではと、配達時間も一番早い時間を指定し、対応下さったのだとおもいます。
CDを聞けなかったことは、もちろん製造や販売元の責任でもあります。
ですが、その後の対応によって、こんなにも感動や満足感を味わえるのですから、今はもう逆に、CDが聞けなくて良かったとすらおもいます。
早速、この素早い対応をして頂いたことへの、感謝の手紙を書こうと思います。
そうして、今日の夕方、お客さまのご自宅へ向かう道中、6枚目のCDをじっくり味わおうと思います。
40歳
本日、無事に40歳を迎えることができました。
いつものように、朝起きて、仕事をさせていただき、お墓参りをして40歳の報告。
沢山の方々からお祝いのメッセージを頂き、お手紙を頂戴し、本当に嬉しく思います。
やはり、何歳になってもおめでとうと言われるのは、嬉しいものです。
夜は、家族が祝福してくれ、改めて今、命があることを感謝しました。
私は、歳を重ねる度に、沢山の経験が増えて、心豊かになっていくようなものが人生であるべきだと思っています。
若さはもちろん失われていくわけですが、好奇心や学ぶ意欲、情緒などは益々エネルギーを増していく。
そんな人生を、歩んで参りたいものです。
今日スタートした40代。
味わって参ります。
研修
1月8日のことでした。どうしても出てみたい研修があったので、岡山に行ってきました。
新幹線で新大阪からたったの50分。本当に便利になったものですね。
さて、研修の冒頭に、『あたりまえと思ってきた事を、決してあたりまえじゃないと思うようにしてください。そう思うことから、学びがはじまり、世界が広がる。』とありました。
例えば、モーニングを喫茶店で食べたとしましょう。パンとコーヒーとサラダがついて、380円。
この380円は、なぜ380円なんだろう?
そう思うことから、原価は?経費は?利益は?と関心に変わり、調べたりすることによってシステムが分かってきます。
普段の何気ないことを、あたりまえと思って過ごすのではなく、うん?なぜ?という習慣をつける。
それだけで、きっと世の中が面白くなってくると思います。
どんな本を読むのか?の前に、
なぜ本を読むのか?
そんな風に、なぜ?を想いを巡らせる。
面白そうです。
人生の仕舞い
元日本海軍兵の、瀧本さんの訃報を知りました。ご家族の方が、ご丁寧なお葉書を送って下さり、本日知ることとなりました。
瀧本さんに初めてお会いしたのは、2017年10月でした。
瀧本さんを知ったのは、私が語り部に関心をもった時のことです。
インターネットで語り部という検索文字に
ヒットして出てきた記事が、瀧本さんの語り部に関する記事だったのです。
直接電話をしてアポをとり、ご自宅に伺うと、玄関先に座りながら大きな杖を前に突き出し、私を迎えてくれました。それは、実に堂々として凛とされ、凄い人格が伝わってきました。
その姿が印象的で、今でも鮮明に思い出されます。
瀧本さんは、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦に、空母飛龍の整備兵として参加しました。
敵の戦闘機からの機銃で負傷され、その後、日本軍の南方の重要基地であるトラック島では、餓死寸前という想像を絶する過酷な体験をされ、奇跡的にも帰還された、数少ない貴重な戦争経験を持つお方です。
近年では、脳梗塞を数回発祥しながらも、97歳にして、将来のある若者のために、この国が二度と、先の大戦のような事を繰り返さないために、『語り部』をされていました。
人生の仕舞い方は、人それぞれです。
瀧本さんは、本当に最後の最後まで、人のために、国のために生きられたのです。感慨深い仕舞い方です。
訃報を知り、非常に残念な思いとともに、瀧本さんの想いを、少しでも受け継ぎ、微力ながらも、私も活動していけたらと、強く思った次第です。
瀧本さん、本当に有難うございました。
人徳のある人
私のお客さまに、不動産会社の役員の方がいます。色々なご相談を受けながらも、興味深いお話をたくさん聞かせて頂いています。
今日のお話も、素晴らしい人がいるもんだなぁと、感心させられました。
お客さまが管理する賃貸マンションの一室をかりている、大学院生のお話です。
この院生は、某国公立大学院で教育の研究をされています。
その研究内容は、どうすれば貧困層の子供の学力を上げられるか?というものです。
世の中は、良い教育を受けられる富裕層と、それとは逆に教育環境に恵まれない貧困層との二極化が広がりつつある事を指摘し、また危惧されていることから、このような研究に至ったといいます。
現在は、ある市の、一番学力が低い小学校(いわゆる、荒れている学校)で、週3回授業を請けもっているそうです。
その学校は、片親や生活保護といった環境の子供たちが多数います。
宿題はやらない。
授業は集中しない。
塾などいけるわけもない。
そんな子供たちが多い中、どうすれば勉強が面白くなるか?を考え、試行錯誤しながらも、日々頑張って取り組んでいるそうです。
その研究に行き着いたのは、ご自身の経験からでした。
ご自身も、親が不仲で離婚し、厳しい環境で育ったそうです。
それでも、大学に行きたいと志しました。お金は高校卒業後、2年間働いて全て自分で用意しました。その時に出会ったのが、私のお客さまだったのです。
お客さまは、ご苦労のある学生だからと、なんと、家賃を15,000円で貸してあげたのです。利益などほとんどあがりません。
その家賃なら、大学のお金が貯められる
と、学生さんには大きな希望となりました。そして、同級生とは2年遅れながらも、見事国公立に合格しました。
働きながらですから、相当の努力をされたのでしょう。
自分のように、家庭環境がよくなくても、思いが強ければ、大学にいける。学べる。そのことを、今の小学生たちに教えたい。その情熱が彼の大きな使命感となっているようです。
この学生の使命感、人徳の強さに感動しましたし、その彼を応援したい思いで、ただのような値段で部屋を貸してあげたお客さまの心意気にも感銘を受けました。
まさに、生身の人間と人間が生きあっている美しさ、人徳を感じたのです。
私もこの学生のように、またお客さまのように、徳を育んでいかなくてはと、エネルギーをお裾分け頂きました。
魔女の宅急便
『魔女の宅急便』
これは平成元年に公開かれたジブリ映画ですが、私にとってこの魔女の宅急便は、心の中の、大切な大切な場所に、色あせず、しまいこんでいる、そんな大好きな映画です。
『魔女の宅急便』との出会いは、テレビCMでした。物語の中で流れる、『海の見える街』という曲が聴こえてきたとき、心のなかをぎゅっと掴まれたような、切なさで締め付けられる経験をしました。
まだ小学校5年生でしたが、多感な時です。どこか、生まれてきた時にタイムスリップしたような、かなしいような愛情のようなものを身体中で感じ、涙が溢れてきたのです。
本当に不思議な体験でした。
どうしてもこの映画が観たくて仕方がありませんでしたが、当時、主人公が女の子の映画を、映画館で観るというものに恥ずかしさがあったのでしょう。親には映画を観たいとは言えませんでした。
しかし、この小さな夢はすぐに叶いました。
学校の体育館で、『魔女の宅急便』が、映画上映されることとなったのです。
この嬉しさは、もう格別のものでした。
『海の見える街』が流れ、大きな時計台のある、ヨーロッパ風の素敵な街が大きなスクリーンに写し出されます。曲と街の世界が一体感を増します。
キキという女の子が、一人前の魔女になるために修行する姿が、まだ小学校5年の子供ではあったけれど、だんだん大人に向かっていくんだなぁという、あの不安定な頃の思いとリンクしていました。
最後に流れる、荒井由美の『やさしさに包まれたなら』がまた、この映画にぴったりです。本当に神様のような、大きな存在が包んでくれるような気持ちになりました。
あれから30年。
今、ふと『海の見える街』を聴くと、あの頃に戻ります。
歳は重ねるほど、戻れる場所が増える。
そして、戻れるアイテムの1つに、音楽があると思います。
音楽。本当に素敵なアイテムです。
子供たちにも、今、どんどん素敵な音楽を聴いてもらいたいと思います。
そしていつか、大人になったとき、その音楽がきっと、人生の醍醐味を与えてくれるでしょう。
魔女の宅急便。この世に、このような映画が生まれ、出会えたことに感謝です。
平成元年、1989年は私にとってセンシティブな1年であることは、間違いありません。