自分の主体性はどうか。
師匠から、下村湖人先生の『青年の思索のために』を読み返してみなさいと連絡がありました。
その中に、今の社会に通ずる素晴らしい文章を見つけました。
心窓去来の章にある
“自分の自主性はどうか”という短い文章です。
「野菜類がこんなに値下がりでは肥料代にも足りない。来年はもう主食一本槍だ。」と一人のわかい農民がいった。
「みんなが野菜を作らないとすりゃあ、おらぁ、その裏を行ってうんと作ってみるかな。」と、もうひとりのわかい農民がにやりと笑った。
するとそれをきいていた老農がよって来て、たしなめるようにいった。
「値上りや値下りなどに頓着しないで、あたりまえに作るものを作っていりゃあいいんじゃよ。それが百姓の本筋じゃでな。」
この三人の言葉のうち、いずれの言葉に共感を覚えるのかを考えて見ることは殆ど無用に属する。
われわれにとって大事なことは、自分自身がその立場にあった場合、果していずれの言葉を発する人間であるかを、よくよく反省して見ることでなければならない。
これは本当に気づかされます。私の人生にも反省すべき点がどんどん降ってくるような衝撃がありました。
世の中でいうと、SNSなどに散見する、承認を得ることにむきになった文章ではなく、自分がその時々の立場、状況で、本当はどんな言葉を発し、行動していく人間であるのか。
その自分の主体性こそに、真剣に向き合い、省みることこそ、真理に近い生き方なのでしょう。
毎日めまぐるしく変化する中で、今がよければいい!といった、手段が目的にならないようにするため、こういった先生方から学ぶことは本当に必要だと、改めて思いました。