dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

瀧本邦慶さん

10月9日は、
私にとって歴史的な1日となりました。

日本海軍兵の、瀧本邦慶さんにお会い
出来たのです。

瀧本さんを知ったのは、私が語り部に関心を
もったつい最近のことです。

インターネットで語り部という検索文字に
ヒットして出てきた記事が、瀧本さんの語り部
関する記事だったのです。

瀧本さんは、真珠湾攻撃ミッドウェー海戦に、
空母飛龍の整備兵として参加しました。

その後、日本軍の南方の重要基地であるトラック島
で想像を絶する過酷な体験をされ、奇跡的にも
帰還された、数少ない貴重な戦争経験を持つ
お方です。

御歳96歳の瀧本さんは、非常に元気で、
エネルギーのあるお方でした。

7月から体調を崩され、3か月ほど療養をされて
いたのですが、そのことを感じさせない姿で
ありました。

私個人のために、約2時間半もの時間を使って
頂き、戦争の体験、戦争の悲惨さや矛盾さ、
無益さ、そして如何に国民大衆の犠牲が大きいか
と云う『真実』を語って下さったのです。

特に、戦争も末期に差し掛かった昭和19年
トラック島での日々の話は壮絶でした。

トラック島に来て1週間で、
アメリカ軍の大空襲にあうのです。

日本軍はこの空襲により、航空機350機、
軍艦・輸送船55隻、戦死者は15,000名という
大損害を受けました。

この攻撃により、トラック島は事実上孤立
しました。もはや食料や武器など物資の輸送も
途絶え、残った兵士たちは飢えに苦しみ、
栄養失調が増えていったといいます。

次第には、骨と皮だけになり、最早人間の姿では
なくなり、餓死者が続出していったそうです。

そんな、戦友がどんどん死んでゆく状況でも、
士官たちは銀飯を食べている。

しかし、それに噛みつこうものなら簡単に
殺されてしまう。

これが同じ国の、而も同じ部隊の、
大本営では発表しない真の姿なのです。

瀧本さんは、今の官僚支配の世の中と同じ、
彼らが大切なのは自分の命であり、自分以外の者の
命は、消耗品であるとおっしゃられていました。

いつも士官からこんな言葉を
吐き捨てられたそうです。

『貴様たちがいくら死んでも、その補充は
すぐにできる。1銭5厘の葉書1枚でいくらでも
徴兵できるんだ!』と。

トラック島では約20,000人の日本軍が
餓死したといいます。

華々しく戦闘で散っていくのではなく、
遙か南洋の小島で人知れず餓死し、
椰子の肥やしになって消えてゆく。

その虚しさと、死ぬ前に今一度祖国の母に会い
たい!そんな思いを鮮明に覚えているといいます。


瀧本さんの体験を通じて、今日の時代の流れは、
当時のような戦争へ突入していく兆しが
随所に見受けられると言います。

戦争の姿は、大切に育てた息子が
親より先に死ぬこと。

常々から政治に強い関心を持ち、流れを知り
自分で正否を判断するよう心がける。

問題が発生したら、一方向だけからみるのでは
なく、多方向から考えてみて、批判点があれば
声をあげる。

そんなメッセージを、今の若者に語り部として、
命ある限り伝えていきたい。

それが生き残ったものの使命であり、私が生きて
いる意味だと、強く伝えて下さいました。

我々は、メディアの前で語る権力者の
うわべだけの言葉に騙されず、自分の頭で
しっかり考え、歴史に学び、人生を本当の意味で
豊かに生きていくこてをしなければならない。

改めてそう感じました。

本当に貴重なお話を頂き、心から感謝致します。