守口市の歴史に触れる
昨日、ひょんな事から、家族で守口市の歴史に
触れるツアーに参加してみました。
ゆかりある守口市ですが、改めて知らないことが
多いにことに驚きました。
守口市駅近くに残る文禄堤は、文禄3年(1594年)
に豊臣秀吉が毛利輝元、小早川隆景、吉川広家に
淀川の改修工事を命じて建設し、京都の伏見城と
大阪城を結ぶ最短距離で作られたそうです。
当時は27㎞の長さだったのですが、
今では700mしか残っていません。
また、1615年、大阪夏の陣で勝利した家康は、
東海道53次に、伏見・淀・枚方そして
守口の4つを増やし、東海道は57次となりました。
守口市は、その最後の宿を担ったのです。
そして明治ごろまでは、文禄堤は
淀川の堤防でした。
明治の淀川がどこを通っていたのか、地形や知名、
写真などでガイドさんが丁寧に教えてくださり、
非常に面白かったです。
1868年(慶応4年)には、戊辰戦争の鳥羽伏見の
戦いで負けた幕府軍が大阪城に敗走。
それを追うかたちで大坂御親征軍と明治天皇が
守口市に到着。明治天皇は難宗寺に
ご仮泊されたのです。
特別に、難宗寺では天皇の御座所(玉座)を見せて
下さいました。これには感激致しました。
守口市は一夜、日本の帝都となったのですね。
また、江戸川乱歩の自宅や大塩平八郎の書院跡
(マクドナルドになってた)、司馬遼太郎の執筆の
場などもあり、非常に面白かったです。
普段では感じることのない平凡な町並みにも、
多くの歴史があることを改めて感じた、
よい時間でした。