dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

大衆社会と共生と

今、私はスペインの哲学者、オルテガ・イ・ガゼットの『大衆の反逆 』(1930年著)を読んでいます。

これはなかなか気力のいる内容ですが、NHKのテレビ番組『100分de名著』で紹介されていましたので、少しは理解出来たかな~・・・という感じです。


18世紀~19世紀のヨーロッパでは、各地で革命が起こり、それまでそれぞれの土地で農家を営んでいた人々が、都市に集中しました。そして、『大衆社会』が出来上がりました。

この大衆の定義をオルテガは、こうまとめました。

・大量にいる人たち(みんなと一緒であることに安心感があり、みんなと違う自分には不安を感じる)。

・根無し草になった人たち(元々あった生活基盤、文化、伝統の中にいた人たちが、都市という全く違う世界へ出て何か一緒にやっていく状態)。

・個性を失い、何者でもない群衆化した人たち。

ある意味、視覚的で量的なもので判断していくために、多くの人が賛同していくことが【正しい】とし、違う少数派は【間違い】であり、排除しようとする力が働きます。

これが大衆社会の始まりだと、オルテガは考察しました。


多くの大衆社会は民主主義を生んだのですが、この、民主主義というのは、例えば投票して、51対49で多数を得た方の案が採択されますが、多数を制したからといって、その案が必ずしも『正しい』 ものだというのは、また違うレベルですね。

しかし、多数派が正しく、少数派が排除されていく社会が勢いを増しました。それが、ファシズムスターリニズムを生み出したのですね。

オルテガは、この多数派の熱狂を『超民主主義』と呼んでいます。超民主主義で起こりやすいことは、これこそが正義だ!という熱狂により、その中から独裁者を生むことです。

このような大衆社会において、オルテガは重要な声をあげています。

それは、『敵と共生する、反対者とともに統治する』ということです。

どれほど巨大な政治組織を基盤にしていようと、自分を支持する人間だけしか代表しない人間は独裁者ですね。

反対意見、様々な意見の方々がいて、その全てを共生させていく力こそが、本来の公人であるものの姿なんでしょう。

そう考えると、今の世の中も、あちらこちらで知らず知らず【大衆化】してしまっているようにおもいます。

世の中を出来るだけ俯瞰してみる、自分と違う意見の人を遠ざけるのではなく、共にこの時代を生きるものとして、お互いの役割を尊重する、良いところに目を向ける。

そのような共生が必要だと、考えされられました。

とても気力のいる生き方ですが、真理に少しでも近づく生き方をしていきたいなぁと思います。