東京大空襲
東京大空襲から今日で、ちょうど72年目。
3月10日の夜、アメリカB29の爆撃機が、
東京の街を焼きつくしました。
約2時間に及ぶ容赦ない無差別爆撃で、
10万人もの人が、亡くなられたのです。
その多くが、女性や子供たちと言います。
昨年、東京にある、作家の早乙女さんが建てられた、東京大空襲戦災資料館に行きました。
そこで、恐るべき事実を知りました。
今の東京、日本からすると、想像もできないような地獄の世界がありました。
そして、今でもその哀しみを心に秘めて生きている人がいます。
どんな世界にも光と闇があります。
しかしながら、あの戦争の時代とは、国を守るために命を犠牲にすることがいくところまでいってしまった時代だと思うのです。
人間の歴史として、
忘れてはいけない事実です。
リスクコントロール
私の甥が、今日手術をします。
先日、遊具から落ちて、右手首を粉砕骨折したのです。
幸い、頭などではなく手首で良かったとは思いますが、プレートを入れる手術を行うため、全身麻酔をします。
リスクというものは、全てのものに、あらゆる場所に潜んでいるものだと、再認識させられました。
例えば、まだ幼稚園、小学校低学年ぐらいのお子さんと一緒に、親子がキッチンで料理をしているとします。
微笑ましい光景ではありますが、キッチンにはリスクが大変に潜んでいます。
包丁、油、火などは最たるものです。
ちょっとした油断が、大怪我、大火傷を招く恐れがあります。
かといって、子供に何もさせないわけにはいきません。
大切なことは、どんなものにもリスクが潜んでいる事を自覚し、リスクを回避する術を考えておく事が重要です。
これを、リスクコントロールと呼びます。
キッチンなら、使った包丁は、子供の手が届かない場所に置くことや、鍋を煮るときなどは、鍋の取っ手が子供の手に届かない向きにするなど、簡単に回避することが出来ます。
世の中は表裏一体。
微笑ましい出来事も、一瞬で地獄に突き落とされる場合があるのです。
リスクコントロール。
親として、人として大切な知恵だと思います。
たられば書店にて
私の町に、昨年『たられば書店』という古本屋さんが出来ました。
2階建て古民家を改装し、1階には本が並び、2階は多目的スペースにされ、絵本の読み聞かせ、落語、読書会などのイベントを定期的にされています。
今日、そんなたられば書店にいきますと、店長が2階でPCに向かい作業をされていました。
お互い少し時間がありましたので、珈琲を入れてもらい、雑談で盛り上がりました。
店長が主夫となった動機、その後、本屋さんをはじめたきっかけ、これからの構想などを話して頂きました。
私も、これから伝えて行きたい事、構想などをお話させて頂きました。
色々な話の中で、今後、2階の多目的スペースを使用させて頂くこととなりました。
伝えたいことが、少しずつでも動き出しています。
また、地元という場所が嬉しい。
一歩一歩、地道に歩んでいきます。
第9回歴史ツアー
昨日は、同級生達と発足させたグループ、【天下布部】の歴史ツアーでありました。
今回で9回目を迎えた日帰りのツアー。歴史好きや、歴史を勉強したいという人が集い、年に3回の日帰りの旅を楽しむ企画です。
今回は初の試みで、【陶芸体験】を組み入れてみました。
それもあってか、男女、大人子供あわせて総勢14名の参加となり、大いに賑わいました。
陶芸は私も初体験で、湯呑みに挑戦しました。
頭の中で浮かんだイメージを、左右の手や指で粘土を形にしていくのですが、物凄く難しい作業です。
しかし、無心に集中している時間が心地よくもあり、普段では味わえない時間を過ごす事ができました。
出来上がったものは、陶芸の先生が手直しをして焼いてくれます。
仕上がりが、非常に楽しみです。
後半は、私のお客さんが経営するお店で焼肉丼を食べ、奈良公園や興福寺で、奈良の文化や歴史に触れました。
帰ってからは地元でお酒を交わしました。
それぞれが、それぞれの天下布部への想い、歴史へのロマン、人生の機微などを語らい合いました。
まさに生きあう時間でした。
私はこの、天下布部が大好きです。
今回は残念ながら予定の合わなかったメンバーさんも、また是非とも語らい合いたいと思います。
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盆栽作り
いつもお世話になっているカウンセリングの先生のご紹介で、盆栽教室に参加して参りました。
旭山桜の盆栽で、4月には桜の花を咲かせます。
盆栽作りは初体験で、先生の指示で順をおって作りました。
鉢底網を針金で固定し、ゴロ土で覆い、土を被せます。
桜の木を植え、その周りに山石や苔、植物でアクセントを付けます。
慣れていないものには、特に丁寧になりますね。
素人ながらに、まずまずのものが出来上がりました。
それにしても、盆栽を作る作業は非常に面白く、相当に集中しました。
終わってからは、一緒に盆栽作りをした方々と、雑談で盛り上がりました。
花を咲かしてくれる日が楽しみです。
ステキな時間を、ありがとうございました。
生きあう
今日、私のお客さんとお会いする約束でしたが、なんと婚約者を連れてきて下さいました。
3月14日に入籍されるそうです。
幸せに満ちたお二人の雰囲気が、微笑ましいものでした。
お付き合いをされて1年半。
この恋が、きっと深い愛情となり、
この人生で一番大切なパートナーとして長年、生きあう事でしょう。
私は、生きあうという言葉が大好きです。
人は、一人だけで生きてはいません。
人と生きあっています。
明日も大切な人と一緒に生きあいましょう。
定義
職場の歓迎会でした。
お酒の席というのは、本音で語らいあったり、議論しあったりする事があります。
ついつい、人の意見に反論したり、自分の考えを押しつけたりしてしまいがちです。
だからこそ、こんな時にも、忘れないようにしているのが、【定義】です。
例えば、『親友はいるか?』という話になった時、親友はたくさんいると答えた人がいたとします。
それに対して、親友などたくさんいるはずがないと、反論した人がいます。
果たして、この会話は成り立っているのでしょうか。
これは成り立っていません。
なぜなら、『親友』とは何かが、
お互いに定義付けられていないからです。
定義付けをして議論する。
特にお酒の席では必要になるのではないでしょうか。
今日も一日、お疲れさまでした。
正義感という違和感
日本の、ある消防士のドキュメント番組を見ていました。
2001年に起きた同時多発テロ。その現場であるグランドゼロに、外国人として初めて立った日本人消防士の物語です。
事のはじめは、テロが起こる3ヶ月前になります。ニューヨークで世界70国から集まった消防士さんたちの、オリンピックともいえる大会がありました。
そこで日本人消防士さんが見事優勝されました。その夜はアメリカの消防士チームと健闘を称えあえ、共にお酒を交わしたそうです。
また会おう!そう約束した矢先、あのテロ事件が起こります。
大会に出場した、日本人消防士の一人が、共にお酒を交わしたアメリカの消防士に安否のメールをします。
11日経ってようやく返事がありました。その内容は、『助けてほしい』でした。
メールを読んだその消防士さんは、なんと休暇を取り、共に大会に出場した仲間たちと、ニューヨークへ向かうのです。
それは、誰にも止められない正義感が動かしたものでした。
ここで私は、この正義感というものに違和感を感じました。
たった一度、大会で競いあった、それも異国の同士のために、現地に行くという判断をした、その正義感にです。
確かに助けてあげたい。そんな思いは、私にも沸いてくるはずです。
しかし、これは公務ではなく、自主的な判断です。
もし、正義感というものを冷静に考えた時、一番守るべきものは何でしょうか。
私は家族を守りたいと思います。
テロ事件が起こったニューヨークで、すぐさま次のテロが起こるかもわかりません。危険度は最高潮にある場所です。
もしもの事があった時、一番大切である家族を置き去りにしてしまうことが、果たしてその決断は正義でしょうか。
日本で大火災が起こった場合、本来居るべき方がいらっしゃらなければ、どうなるのでしょうか。
この方々の行動力、正義感は凄まじい力がある半面、本来居るべき場所、選ぶべき正義はそこではないように思いました。
感動的な物語ではありますが、正義感というものに違和感を覚えた時間でした。
人は感情で動く生き物。
だから、感動と書きます。
私は非常に冷血だと思われるかもしれませんが、感情の主体を、本当に大切なものに使いたいと思いました。
消防士でもない私が、偉そうに書きましたが、
自分の意思を確認する意味でも、
書い留めてみました。
お金で幸福は買えるか?
村上龍さんの『おしゃれと無縁に生きる』を読んでいます。
物事の本質を捉える独自目線には、勉強させられる一冊です。
その中に、『お金で幸福は買えるか』というテーマがありました。
そのテーマに、村上さんは全く興味がないとおっしゃています。
なぜなら、『幸福という定義が曖昧だから』です。
確かに幸福感というものは、感じるポイントが千差万別なるものです。
しかしながら、『お金があれば、不幸をある程度回避できる。』と定義づけられているところに、非常に納得感がありました。
お金があれば、趣味などを持つことが出来たり、旅行に行ってリフレッシュすることができます。
また、定期的な健診、スポーツジム通い、管理された栄養のある食べ物を摂取したりと、健康作りにも充分留意することができます。
お金で幸福は買えるかわからない。
しかし、不幸は回避できる。
この定義に、非常に賛同いたしました。
不幸を回避するお役立ち。
それこそが私の仕事だと思います。
今日も気付きを頂きました。
ありがとうございます。
動物たちに学ぶ
昨日、家族で動物園に出掛けました。
天気もよく、風もなく気温も高め。
出掛けるには最高の午後でした。
市内の中心部にあるこの動物園は、実に12年ぶりです。
暫く工事をやっていましたが、園内も園周辺も、とても綺麗になっていたのには驚きました。
さて動物園には、沢山の動物たちがいますが、中でも生態に驚いたのは、コアラです。
コアラは、24時間のうちの15時間以上眠っているようです。
ですからコアラを見ても、気持ち良さそうに眠っているところでした。
しかしながら、大勢の来場者が、コアラの愛らしく眠る姿を見ては、かわいい、かわいいと声を上げて癒されていました。
また、猛獣エリアのライオンは、さすがの迫力でした。
威厳のあるたてがみ、堂々とした姿を、たくさんの人がカメラにおさめていました。
ゾウやキリンの大きさ、鋭い目をした鳥たち、可愛らしいペンギンの姿に美しい柄の猫科の動物たち。
動物たちはそれぞれ、姿、形が全く違います。
そんな動物たち1つ1つのエリアそれぞれに、たくさんの人が魅了されている。
それは、動物たちが、何か他の動物になろうとするわけではなく、ありのままの姿でいるからだと思います。
人の魅了も同じだなぁと思うのです。
自分を高尚な人に魅せたり、知識をひけらかしたりするのは、反って魅力的に映りません。
素直で、謙虚で、ありのままの自分で生きる人には、魅力を感じます。
動物たちのように、ありのままの自分で生きたいものだなぁと、感じました。
有り難いことに、
今日も家族で幸せな時間を過ごせました。