dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

『断片をつなぎあわせる人』になる。

私には、この人生をかけて
やっていきたいことがあります。

というよりは、以前から考えていた、
もやっとしたものが、ようやく行動に移せる
形になる時が来ました。

これが、『夢』という大それた言い方には
当てはまりませんので、小さな夢、役割とでも
位置づけておきましょう。

タイトルにありましたように、
『断片をつなぎあわせる人』になりたいのです。


それはなにか。


私は、戦争を体験された方々のそれぞれの体験を
知り、また政治的、国家的に戦争に向かっていく
背景を学び、一般大衆が戦争を美化していく力が
どう働いたかを研究し、それらをつなぎあわせ、様々な角度から『あの戦争』を、私たち世代
もしくは次世代語りつないでいくことです。

あの戦争を体験された方の中に、二度と過ちを
繰り返さないためにと、ご高齢でありながらも
日々語り部として活動されている方が、
今日もたくさんいらっしゃいます。

体験されたそれぞれの立場から、
戦争という絶対悪を語っておられます。

しかしながら、もう5年・10年もすれば、
戦争を体験された方々はほとんど
いなくなるでしょう。

そうなった世の中で、誰があの戦争を、
あの戦争に向かっていく過程を、
誰が伝えられるのでしょうか。

それは、我々の世代だと思うのです。

大きな違いは、私には戦争の体験が全くない
ということです。

しかし、だからこそ今、沢山の体験話を聞き、
学ぶことによって、誰よりも戦争を体験された
方々の話を聞いてきた、

そして、それぞれの体験=戦争の断片を
つなぎあわせ、『戦争』というものを多面的に
語ることができると思うのです。

あの戦争、そして時代をもっと学び、二度と過ちを繰り返さない未来を作っていくことが、日本人と
して生まれた使命であると、私は感じています。

仕事をしながらの両立には、かなり負担も出るで
しょうが、まずはやってみようと思います。

目的は明確になりました。

あとは目標設定です。

当面は、戦争を体験された方々にお話を
聞くことからスタートです。

進んで参ります。

鶉野飛行場跡

昨日、兵庫県加西市にある、加西・鶉野飛行場跡(旧 姫路海軍航空隊基地)に、7人のメンバーで行って参りました。


台風18号が接近中の中、朝までどうなるか
わかりませんでしたが、なんとか雨も降らず、
時々太陽の光りも射し込むような天気になり、
参加者の私たちにとっては非常に有難い
天気になりました。

鶉野飛行場につくと、コンクリートが所々削られて
いて、周囲には雑草がたくさん生えていました。

当日のまま残されたものが、無機質に広がっているようで、何か寂しさも感じた次第です。

太平洋戦争時には、滑走路が3本あったそうです。

他2本は土であったため、戦後はすぐに田畑などになりましたが、中央の滑走路はコンクリートなので、整備出来ずそのまま残ったそうです。

現在飛行場跡の周りには、工場や田畑、溜め池や
民家などがありますが、当時は川西航空機工場
などがあり、紫電紫電改という戦闘機が、
合計500機程の組立てられていました。

戦局悪化の中、急遽作られた鶉野飛行場は、
姫路航空隊の基地とされました。

姫空の若者たちが、練習用として滑走路を使用。
しかし、神風特別攻撃隊が日本に編成されると、
ここからも63名の若者が、特攻隊として
飛んでいったのです。


周囲には米軍機を攻撃する機銃座、弾薬庫、
防空壕などが至るところにありました。

兵庫県の内陸部まで米軍機が入り込んで
来ていたことがわかります。

防空壕の中にも入れますが、中は真っ暗で
コウモリやカマドウマが壁にへばりついて
住みかにしていました。

当時、空襲警報がなると、飛行場の兵士や
民間人がこの防空壕に入り、
爆弾を避けていたのです。


戦争の跡がほぼそのまま残り、その場所を
少しでも触れることが出来た事は、
私にとって貴重な体験でした。

ボランティアガイドの方も、小学校1年生で
空襲を経験された、現在78歳の方でした。

78歳というお歳を感じさせない、
元気で方で素敵な方した。

戦後72年という月日が経ちましたが、太平洋戦争がいつはじまったのか、終戦日はいつか、
そんなことすら知らない日本人がたくさんいます。

私たちは日本人として、あの戦争をただの歴史の
1つにしてはいけません。

忘れてはいけない事実です。

その事を、次の世代にも伝えていくことが、
私たちの責任であると思います。

そのためにも、しっかり学んで感じて、
そして考えていきたいと思います。

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突き抜ける

今日、名古屋で素晴らしいご縁を頂きました。

同じ仕事をしている先輩にあたる方です。

もうすぐ開催する研修会でスピーチ頂く事が
決まり、打ち合わせでお会いさせて頂きました。

考え方、行動力、そして身体中から
出ているオーラ。

そのすべてにおいて、今まで出会ってきた
方々とは違うものを感じました。

それは、本当に人の役に立つことを追求し、
お金ではなく『本質』を大切に
仕事をされているからです。

仕事というよりは、生き方をされていると
いった方があっているでしょう。

主に、これからの街づくりをテーマに工務店
職人さん、伝統ある左官職人さんなどに携わり、
人と人を繋げていらっしゃいます。

こんなエピソードを聞きました。

過疎化の進むある町。

過疎化進行を食い止め、出来ることなら町が
また活性化することを願う町の人々がいました。

なんとか役に立とうと、過疎化から復活した町を
探し、ご自身で現地に行き、
情報を集めたそうです。

その中には、アメリカは
ポートランドまであったのです。

なんと一人でポートランドまで行き、
有名建築家と会い、情報を得ていたのです。

それをきっかけに、ポートランドの建築家と
日本のある町に縁が生まれました。

今では過疎化の進行を止めるどころか、
この町に住みたい若い家族が、
何百世帯も空き待ちをしているそうです。


正に、現代の龍馬です。


そんな先輩に、アドバイスを頂きました。

『本当にやりたい、本質に携わることを
やりたいなら、突き抜けるぐらいやることです。』

この言葉は、胸をじわっと熱くしました。

質にこだわった仕事や生き方を。
たった一度の人生を、おもいっきり
チャレンジしよう。

いい生き方とは、そういう生き方なのでしょう。

素晴らしいご縁と時間に感謝し、まだまだ
甘い自分自身を成長させていこうと思います。

眼鏡

眼鏡をかけはじめて、
ちょうど10年が経ちました。

10年記念!というわけではないですが、
眼鏡のレンズの傷が目立ってきたので、
新しいものと変えました。

といっても、今の眼鏡のフレームが
気に入っているので、今回レンズだけを
交換しました。

20歳前半まで視力はよく、眼鏡には縁がないと
思っていましたが、20代中頃から急激に
視力が低下。

今では、眼鏡が当たり前の生活になっています。

これからも人生が続く限りは、
私にとって必需品です。

そう思うと、愛着が沸きますね。

大切に扱って参りましょう。

石田梅岩を読み返す

山岡正義著書『魂の商人 石田梅岩が語ったこと』
を読んでいます。

商売やビジネスをしている多くの人に、
是非とも読んでもらいたい一冊です。

資本主義経済は、利益をあげることの方向性に、
正しさを選択出来なくなっているように思います。

もちろん、全てがではありません。

利益をあげることは、
商売として当たり前の目的ではあります。

しかし、石田梅岩は、『正しく利益を追求する』
ことこそ、商人のあるべき姿と説いています。

正しく正直で倹約し、自立してこそ真の商い。

私も商いの端くれであります。

正々堂々、正しく美しい心で
利益を追求して参ります。

きらきらと輝く嬉しいこと

今日はきらきらと輝く嬉しいことが
散りばめられた1日となりました。

午前中は、大変ご無沙汰している
お客さんとお会いしました。

50代後半のご夫婦で、約3年ぶりに
顔を合わしましたが、お二人とも変わらず
お元気そうでした。

帰り際に、奥さんから本をプレゼント頂きました。

読書好きな私が来るので、きっとどれが
いいかなと考え、ご用意下さったのでしょう。
お心遣い、本当に嬉しかったです。

午後からは、娘たちの秋物の服を買いに
出掛けました。

私は娘たちの服を選ぶのが好きなので、
可愛らしい服と出会った時は嬉しくなるものです。

夕方からもう1件、お客さん宅へ向かう途中、
LINEが入りました。

少し前に一緒にご飯を食べた彼から、お願い
していた品が出来上がった連絡でした。

彼とは、もう17年ほどの付き合いに
なるでしょうか。

アルバイト先で出会い、バンドを組み、
いまでも時々は近況報告兼ねて会っています。

その彼にお願いしていたものとは、私が趣味で
携わっています『歴史ツアーグループ』の
家紋ロゴ入り一合枡です。

早々に作ってくれたのです。
しかも、デザインは抜群です。

これも本当に嬉しい出来事です。

日々の忙しい中、自分の時間を削って
作ってくれたのでしょう。

早く、その一合枡でお酒を飲んでみたいと
思いました。

最後に、夕方のお客さんからも、娘たちにと、
ハロウィンデザインの御菓子を頂戴しました。

娘たちが喜んだのは言うまでもありません。

思うように行かない事が多い人生ではありますが、こうやってきらきらと輝く嬉しい事が
散りばめられているのも人生であります。

周囲の皆さんの、暖かいお心遣いに感謝し、
また明日も大事にしていきたいと思います。

青春は戦争の消耗品ではない

大林宣彦監督「花筐 HANAGATAMI」が、
12月16日に公開されることが決定したことを
知りました。

この作品は、作家・檀一雄さんの小説が原作。

大林監督が、約40年前に商業映画デビュー用に
脚本を書き上げていた思い入れのある作品
だそうです。


大林監督は、撮影当初の2016年8月に、
なんと末期の肺癌と診断され、
余命半年とも言われることになります。

しかし、撮影を生きる使命と捉え、
最後まで映画を録り続けられました。

なぜ今、あの戦争時代を描いた作品なのか。

それは、大林監督世代が、あの戦争が終わり
次世代へ何も伝えてこなかったことの迂闊さ、
戒めであると言っています。

そしてもう一つは、大林監督の父の存在です。

監督の父は、青春時代の6年間を、
戦地で過ごしました。

戦争が終わり、復員した父は、
戦争を語ることはなかったといいます。

父のことを考えると、人生を戦争に捧げた
人生まるごと消耗品だったと定義しました。

二度と、そのような若者を出さない。
自分の意思で人生を選択できる、
そんな平和な時代を無くしてはならない。

平和がガタガタ音をたてながら崩れかかって
いく、そんな気配を感じる今こそ、
この映画を残すことに命をかけられたのです。

『青春は、戦争の消耗品ではない。』

あと10年もすれば、戦争を体験された方々が
ほとんどこの世にいない時代がきます。

私たちは、日本人として
あの戦争を風化させてはならない。

そう強く思いました。


花筐 HANAGATAMI、
心を込めて観たいと思います。

弱い自分を1ミリでも前へ

私のあるお客さんから、一本の電話を頂きました。

ご主人が、悪性リンパ腫の疑いが
あるということでした。

少しお話をしたあと一言、私に、

『とても心強いです。』

とおっしゃいました。


ご主人は59歳。
お仕事もされていますし、これからまだまだ
やりたい事も多いでしょう。

まだ決定したわけではありませんが、治療と
なれば、家族の協力が必要になります。

私の立場から少しでも、
お役に立てられる存在でありたいものです。


人生はいつ、どうなるかはわかりません。

その事を理解はしていても
普段は忘れているものです。

こういった時に気づかされます。

どうなるのかわからない人生だからこそ、
命一杯力を出し、懸命に生きることを
怠ってはいけないと思います。

それでも弱いのが私であり、人間。

これからもこの弱さと戦いながら、
四苦八苦を重ねながら、
1ミリずつでも前へ動かしていこう。

その行動こそ、幸せの原料です。

戦争を知らない人間は、半分は子供である。

100分で名著、大岡昇平著書『野火』を
見終わりました。

舞台は太平洋戦争で、日本軍がもっとも
戦死者を出したフィリピン。

守備隊は全滅し、生き残った主人公、
田村一等兵が、生と死の間に揺れる極限状態に
見た、人間の姿を写し出した小説です。

大岡さん自身も、比島で戦争体験をされ、
その体験を投影されたものだと言われています。

今、普段の生活からは想像も出来ない、
人間の卑劣さ、欲望、残虐さを感じました。

同時に人間は、綺麗なものだけでは
生きていけない。

そういったもの全てが人間であるということも、
思い知らされました。

太平洋戦争が終わり、その5年後に朝鮮戦争
始まります。

その情勢を大岡昇平さんは当時、
こう書かれています。


『この田舎にも朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようと
しているらしい。

現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが
利益なのだから別として、再び彼らに
欺されたいらしい人達を私は理解出来ない。

恐らく彼らは私が比島の山中で遇ったような
目に遇うほかはあるまい。

その時彼らは思い知るであろう。

戦争を知らない人間は、半分は子供である。』


私は、この戦争を知らない人間は、半分は
子供であるという言葉が、
非常に印象に残りました。

私は戦争を知りません。
歴史もまだまだ知りません。

そして、戦争を体験することなくこの世を
去っていきたいと強く願うものです。

だからこそもっともっと事実を知り、
歴史を学び、そして歴史に学ぶことによって、
未来を見る大事な目が育つのだと思います。

無知である自分を思いしり、
もっと学んでいきたいと強く思いました。

今の時代だからこそ、
『野火』を読むことに意味があると思います。

今日から9月。北海道の時間。

今日から9月に入りました。

8月31日と9月1日は1日しか変わりませんが、
私の気持ちは不思議と変わっているのが
分かります。

さて、8月末には仕事仲間で
北海道に行って参りました。

前回お伝えしましたミサイル発射、
そして上空通過というある種の危機を感じました。

また、そんな中ではありますが、
海鮮もの、ラム肉を味わい、小樽や余市
風景を楽しみ、ニッカウヰスキーの蒸留場で
学び、ゴーカート耐久レースを体験し・・・。

沢山の良い時間を過ごすことが出来ました。

最後に行った『青の池』は、
池の水が本当に青く、神秘的でありました。

硫黄沢川との合流時に、目には見えない
コロイド状の粒子が生まれ、太陽の力と
光の散乱を補う硫黄や石灰成分などが、
川底の石や岩を白くして、
青い池が誕生したそうです。


人間とは矛盾そのものです。

ミサイルという危機にありながらも、
楽しいことは、楽しめるのです。

改めて感じた時間でした。

9月も、様々な事がきっとあるでしょう。
父親の命日にあたる月です。

今、生きていることを有り難く思い、
今日1日を元気に行ってきます。

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