dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

中江藤樹先生

今日は1日休暇をとって、滋賀県高島町にある、近江聖人、中江藤樹の記念館などに行って参りました。

内村鑑三著者、『代表的日本人』によって、中江藤樹先生を知ることができました。

藤樹記念館、藤樹神社、藤樹先生のお墓、そして実際に学問をしていた藤樹書院などなど。

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江戸時代の封建制度の中、相反する陽明学を中心に、正しい行いをし続けた、本当に素晴らしい人格者です。

記念館では、館長が親切丁寧に、藤樹のお話、高島町の歴史について語ってくださいました。

なんと、館長も以前は学校の先生、校長先生をされており、今は館長をしながらお寺の住職までされているそうです。

中江藤樹先生のような、先生として生きてこられたんですね。

午後からはマキノ高原にある、メタセコイヤ並木や、海津の石積などを見てきました。

自然と人工物がうまく調和し、そこに歴史的な要素が入る。

それはそれは美しく、素敵な景色でした。

今日は一人、ゆっくり勉強をさせていただきました。藤樹先生の教えをもっと学び、日々の生活に少しでも行動として表れるよう、努力して参ります。


※藤樹先生の教えの一部を以下記載します。

◎生きる根底に、正しい哲学をもって努力すること。

→哲学があるから、いざという時に正しい判断ができる。

◎一番の財産は信用。

→そのためには日々、真面目に誠実に仕事をすること。自分を磨き高める努力をする。

◎日々の生活や仕事において、『五事を正す』を実践し、良知に致る生き方を!

→五事とは、
貌(ぼう)顔付き、

言(げん)言葉使い

視(し)まなざし

聴(ちょう)よく聞く

思(し)思いやり

以上です。

三室戸寺と平等院

週末は、次女の3歳の誕生日でした。

1日休みだったので、家族で宇治にある三室戸寺と、平等院に行って参りました。

三室戸寺には、紫陽花が1万本以上あります。

天気もよく週末ということで、開門の朝8時半から大勢の人が来られていました。

様々な色、種類の紫陽花が咲き、
本当に美しいものでした。

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また、本堂の前には立派な蓮の花が綺麗に咲いており、風情を楽しませてくれました。

午後からは、平等院へ。

10年以上ぶりでしたが、なんとも言えない
空気があります。

藤原頼通が、約1000年前に築いたとされる
平等院鳳凰堂

極楽浄土を彷彿される美しさは、1000年を
経ても感じることの出来ます。

この魅力というものは、時代をいとも簡単に
またいでいけるのですね。

暑さで機嫌を損ねていた長女も、ミュージアムに
入れば、仏像や鳳凰を、興味津々と見ていました。

帰宅後は、ケーキを食べ、
改めてお祝いをしました。

ここまで、健康にすくすく育ってくれたことを
嬉しく思います。

諸行無常。人生は常ではありません。

毎日あたりまえのように過ぎ行く日々では
ありますが、1日とて同じ日はありません。

その事を忘れずに、精進して参ります。

ご縁

23日(金)に、あるお客さまのご自宅へ伺いました。

70歳の方で、先日ご主人が他界されたせいか、精神的にも表情にも、お疲れの様子がうかがえました。

そんな中、ご主人とのさまざまな思い出話をして下さいました。

以前お住まいにされていた場所が、私が結婚するまで住んでいた市だったので、ご縁を感じたのですが、もっと驚かされたことがあります。

なんと、私が通っていた幼稚園で、先生をされていたのです。

時代は少し違いましたが、沢山お話が出来ました。

ご主人を亡くされ、ご主人との思い出の地が偶然私の思い出の地であり、また幼稚園までも同じ。

ご縁というものは、本当に不思議なものです。

毎日、毎日、本当に素敵な出会いをありがとうございます。

子育ては難しいもの

子育てとは、本当に難しく思います。

長女は嫌なこと、出来なかったことを隠そうとする知恵がついてきました。

それについて、夕食の時に家族で話し合いをしました。

どちらかというと、母親にはちゃんと伝えようとする意思があるように感じましたが、私にはもじもじして、はっきりと話をしません。

私も、つい感情的になってしまうので、怒られるのが怖いのでしょう。

私もクラクラと反省をしながら、難しくもあり
また、面白味のある教育に、
しっかり向かって参るとします。


すべては思うようにいくというような、そんなタイトルの本が多いのですが、それは全く違うと思います。

2600年も前に、お釈迦様は、
『人生は思うようにならないもの』と、
悟っていますから。

だからこそ、成長しがいがある。

そんな人生を、また歩もうといたしましょう。

でんでんむしの かなしみ

新美南吉の、
『でんでんむしのかなしみ』という絵本を、
師匠に教わりました。

今の皇后さまが、

『何度となく、思いがけない時に記憶によみがえってきた』とおっしゃられた物語です。

でんでんむしはある日、自分の背中の殻の中には、かなしみがいっぱい詰まっていると気づくのです。

そして、仲間のでんでんむしに
その事を打ち明けます。

何びきもの、同じでんでんむしに話をすると、だんだんとある大切なことに気づいていく物語です。

シンプルで短いお話ですが、大人の私にも元気をもらえる、素敵な絵本でした。

心にしみる、素敵なお話が
この世界にはたくさんありますね。

ありがたいものです。

『可もなく不可もなく』ではなく

『可もなく不可もなく』という言葉があります。


特によくもなく、また、悪くもない。普通である。という時に使うのですが、この言葉は間違っているように思います。

本来は、

『可もあり不可もあり』ではないでしょうか。

すべてのものには、良い部分とよくない部分があるのだと思います。

可もなく不可もなく

ではなく、

可もあり不可もあり。

良いところも悪いところも見つけないより、良い部分はここ、悪いところはここ!と、多面的に見れるようになった方が、豊かになると私は思います。


どっちでもいいよ!と言われそうですが、なにげに感じること、気付きを自分の中で、大切にしていきたいと思います。

愛宕山

昨日、京都の愛宕山に登ってきました。

標高は971M。

天気もよく恵まれた環境で、空の青さ、木々の美しさ、水の綺麗さ、鳥の鳴き声などなどをみんなで感じながら登山は、本当に楽しいものです。

愛宕山は、スタートからかなり傾斜のある階段コースで、すぐに息切れ(笑)

それでもゆっくりペースで、途中水分補給をしながら、約2時間ちょっとで山頂に到着しました。

山頂には、ご年配の方や小さな子供たちもたくさんいて、感心致しました。


山頂の愛宕神社で参拝し、みんなでお昼御飯を食べましたが、達成感の空腹に入るおにぎりは、格別おいしく感じるものですね。

そして下山がなかなか辛い。

息をはぁはぁ切らして歩く登りのようなしんどさはさいのですが、足にくる負担に、筋肉がついていかず、ふらふらになりました。

それでも、登山入り口まで戻ってきたときは、本当に嬉い気持ちになりました。

まだまだ体力不足ですが、8月の富士山に向け、よい準備の1つになりました。

皆さん、お疲れ様でした。


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父の日 プレゼント

今日は、妻と子供たちから少し早めの、
父の日プレゼントを貰いました。

妻と次女がプレゼントを一緒に選んでくれて、長女がお手紙を添えてくれました。

一手間、二手間かけてくれたプレゼント。使うたびに、これはプレゼントだと思うでしょう。

ありがとう。大切に使います。

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指輪

事故から1日が経ち、念のため、痛む箇所は病院でレントゲンをとりました。

左手の小指あたりも腫れていたので、手のひらを撮影するときです。

レントゲン技師の方に、『指輪を外してもらえますか』と言われました。

私は、今でもたまに空手をするのですが、指輪を外すのはその時ぐらいです。

なので、あ、そうかといった気持ちで指輪を外そうとしました。

しかしながら、指が浮腫んでうまく外せません。

仕方がないからそのまま撮影しました。

私は空手以外には、全くといってよいほど、指輪を外しません。

それは、父の影響だとおもいます。

父は、私が幼い頃からずっと結婚指輪をしていました。外したとこなど見たことがありません。

そんな父も、約2年前に他界しました。

父が亡くなる1年前に、母がこの世を去ったのですか、それからも父は、指輪を外すことはありませんでした。

父が亡くなったとき、痩せてしまった薬指にしていた指輪が、今でも脳裏に焼き付いています。

私は、父の性格、個性をあまり好まない人生を歩んできました。

しかしながら、父の影響を多大に受けていることを知らされます。

指輪は、その一つです。

私の左手の薬指を見るたびに、父の薬指と繋がっているように思います。

死を持って、新たな父との出会いがある。

薬指の指輪は、きっと親子の物語を繋いでくれているのでしょう。

追突事故

昨日、人生はじめて追突事故にあいました。

信号待ちで、私が車をとめていると、後ろから衝突されたのです。

幸い、私一人しか乗っていなかったことと、レントゲン等の結果、骨には異常なかったので、一安心でした。

衝突した側の運転手も、非常に律儀な方で、迅速に対応くださいました。

残念なのが、新車だったこと。

事故有りとなれば、当然価値が下がってしまいますね。

ま、それでも体が問題なければ、よしとしましょう。

事故によって気づかされることも多いです。

私は被害者となったわけですが、加害者の方の律儀な姿勢に、穏便でいられること。

この先、私が加害者になることだってありえるのです。

そんな時は、今回のように律儀に対応しようと思います。

家族も心配をおかけしましたが、今日は日曜参観の代休だったので、家族みんなで病院に付き添ってくれました。

心強かったですよ!
ありがとう。