dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

運動会

今日は娘の小学校の運動会でした。

先週の台風とは売って変わり、
秋晴れの良い天気となりました。

全学年が赤組・白組に別れ、真剣勝負をする
という、時代が変わっても受け継がれている
スポーツの勝負の魅力がこの学校には
残っていて、楽しませてくれます。

また、運動会というものは、なぜこんなにも
感動するものなのでしょうか。

娘が幼稚園の頃からです。

運動会は一生懸命、大真面目に、
日頃の練習の成果を魅せてくれるからでしょうか。

運動会というものを体全身で感じるエネルギーが
幸福感を作り出してくれるのです。

本当に不思議なものです。

本当に温かい心をくれる子供達に
感謝致します。

8月の狂想曲

黒澤明監督、1991年公開の映画、
『8月の狂想曲』を観ました。

1945年8月9日、長崎に投下された原子爆弾
夫を亡くした女性(おばあちゃん)と、
その孫である4人の子供達の夏の物語です。

長崎市内にある被爆した教会や石像、
爆心地に近い小学校にある焼かれた
ジャングルジムには、映像ではありながらも
衝撃を受けました。

私が印象に残ったのは、原爆や戦争を
体験された方は、その恐怖、絶望を背負いながら
生きているという事です。

誰のせいにするでもなく、ただただ、
あの悲劇の悲しみを背負っていらっしゃる。

シーンの中で古いオルガンがでて来ますが、
最初は全く調律があいません。

孫の一人がピアノを直していくにつれ、
最後には調律があうのです。

すると、おばあちゃんがその調律に反比例する
ように過去に戻り、ある意味狂いだして
しまうのです。

それこそが、戦争という絶対悪の経験だと、
私は感じました。

そのような悲しみ、絶対悪を二度と経験しない、 させない世の中にするため、私たちは
学ばなければいけません。

黒澤明監督は、素晴らしい映画を
世に残して下さいました。

平和が続く未来を、一人一人の意識と行動で、
作っていかなくてはなりません。

長女の誕生日

長女が8歳の誕生日を迎えました。

思い返せばちょうど8年前、真夜中に
病院から連絡がありました。

『もうすぐ生まれますから、病院に来て下さい。』

と告げられた時、自転車にまたがって、
もうダッシュで病院に向かったのを思い出します。

陣痛で苦しむ妻の背中を押さえ、何がなんだか
わからないまま時間が流れ、早朝に分娩室へ。

そして8時09分、無事に長女が誕生したのです。


長女がこの世に生まれた歴史的瞬間は、
昨日のことのように鮮明に覚えています。

その命も8年が経ち、お陰さまですくすくと
成長しています。

本当に有難いものです。

そんな8年間も、様々な出来事がありました。

そしてこれからも、変わるものと、
変わらぬものとが歴史を作っていくのでしょう。

今、長女とできることは、
今、しっかり味わっておこう。

そう感じる1日でありました。

『断片をつなぎあわせる人』になる。

私には、この人生をかけて
やっていきたいことがあります。

というよりは、以前から考えていた、
もやっとしたものが、ようやく行動に移せる
形になる時が来ました。

これが、『夢』という大それた言い方には
当てはまりませんので、小さな夢、役割とでも
位置づけておきましょう。

タイトルにありましたように、
『断片をつなぎあわせる人』になりたいのです。


それはなにか。


私は、戦争を体験された方々のそれぞれの体験を
知り、また政治的、国家的に戦争に向かっていく
背景を学び、一般大衆が戦争を美化していく力が
どう働いたかを研究し、それらをつなぎあわせ、様々な角度から『あの戦争』を、私たち世代
もしくは次世代語りつないでいくことです。

あの戦争を体験された方の中に、二度と過ちを
繰り返さないためにと、ご高齢でありながらも
日々語り部として活動されている方が、
今日もたくさんいらっしゃいます。

体験されたそれぞれの立場から、
戦争という絶対悪を語っておられます。

しかしながら、もう5年・10年もすれば、
戦争を体験された方々はほとんど
いなくなるでしょう。

そうなった世の中で、誰があの戦争を、
あの戦争に向かっていく過程を、
誰が伝えられるのでしょうか。

それは、我々の世代だと思うのです。

大きな違いは、私には戦争の体験が全くない
ということです。

しかし、だからこそ今、沢山の体験話を聞き、
学ぶことによって、誰よりも戦争を体験された
方々の話を聞いてきた、

そして、それぞれの体験=戦争の断片を
つなぎあわせ、『戦争』というものを多面的に
語ることができると思うのです。

あの戦争、そして時代をもっと学び、二度と過ちを繰り返さない未来を作っていくことが、日本人と
して生まれた使命であると、私は感じています。

仕事をしながらの両立には、かなり負担も出るで
しょうが、まずはやってみようと思います。

目的は明確になりました。

あとは目標設定です。

当面は、戦争を体験された方々にお話を
聞くことからスタートです。

進んで参ります。

鶉野飛行場跡

昨日、兵庫県加西市にある、加西・鶉野飛行場跡(旧 姫路海軍航空隊基地)に、7人のメンバーで行って参りました。


台風18号が接近中の中、朝までどうなるか
わかりませんでしたが、なんとか雨も降らず、
時々太陽の光りも射し込むような天気になり、
参加者の私たちにとっては非常に有難い
天気になりました。

鶉野飛行場につくと、コンクリートが所々削られて
いて、周囲には雑草がたくさん生えていました。

当日のまま残されたものが、無機質に広がっているようで、何か寂しさも感じた次第です。

太平洋戦争時には、滑走路が3本あったそうです。

他2本は土であったため、戦後はすぐに田畑などになりましたが、中央の滑走路はコンクリートなので、整備出来ずそのまま残ったそうです。

現在飛行場跡の周りには、工場や田畑、溜め池や
民家などがありますが、当時は川西航空機工場
などがあり、紫電紫電改という戦闘機が、
合計500機程の組立てられていました。

戦局悪化の中、急遽作られた鶉野飛行場は、
姫路航空隊の基地とされました。

姫空の若者たちが、練習用として滑走路を使用。
しかし、神風特別攻撃隊が日本に編成されると、
ここからも63名の若者が、特攻隊として
飛んでいったのです。


周囲には米軍機を攻撃する機銃座、弾薬庫、
防空壕などが至るところにありました。

兵庫県の内陸部まで米軍機が入り込んで
来ていたことがわかります。

防空壕の中にも入れますが、中は真っ暗で
コウモリやカマドウマが壁にへばりついて
住みかにしていました。

当時、空襲警報がなると、飛行場の兵士や
民間人がこの防空壕に入り、
爆弾を避けていたのです。


戦争の跡がほぼそのまま残り、その場所を
少しでも触れることが出来た事は、
私にとって貴重な体験でした。

ボランティアガイドの方も、小学校1年生で
空襲を経験された、現在78歳の方でした。

78歳というお歳を感じさせない、
元気で方で素敵な方した。

戦後72年という月日が経ちましたが、太平洋戦争がいつはじまったのか、終戦日はいつか、
そんなことすら知らない日本人がたくさんいます。

私たちは日本人として、あの戦争をただの歴史の
1つにしてはいけません。

忘れてはいけない事実です。

その事を、次の世代にも伝えていくことが、
私たちの責任であると思います。

そのためにも、しっかり学んで感じて、
そして考えていきたいと思います。

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突き抜ける

今日、名古屋で素晴らしいご縁を頂きました。

同じ仕事をしている先輩にあたる方です。

もうすぐ開催する研修会でスピーチ頂く事が
決まり、打ち合わせでお会いさせて頂きました。

考え方、行動力、そして身体中から
出ているオーラ。

そのすべてにおいて、今まで出会ってきた
方々とは違うものを感じました。

それは、本当に人の役に立つことを追求し、
お金ではなく『本質』を大切に
仕事をされているからです。

仕事というよりは、生き方をされていると
いった方があっているでしょう。

主に、これからの街づくりをテーマに工務店
職人さん、伝統ある左官職人さんなどに携わり、
人と人を繋げていらっしゃいます。

こんなエピソードを聞きました。

過疎化の進むある町。

過疎化進行を食い止め、出来ることなら町が
また活性化することを願う町の人々がいました。

なんとか役に立とうと、過疎化から復活した町を
探し、ご自身で現地に行き、
情報を集めたそうです。

その中には、アメリカは
ポートランドまであったのです。

なんと一人でポートランドまで行き、
有名建築家と会い、情報を得ていたのです。

それをきっかけに、ポートランドの建築家と
日本のある町に縁が生まれました。

今では過疎化の進行を止めるどころか、
この町に住みたい若い家族が、
何百世帯も空き待ちをしているそうです。


正に、現代の龍馬です。


そんな先輩に、アドバイスを頂きました。

『本当にやりたい、本質に携わることを
やりたいなら、突き抜けるぐらいやることです。』

この言葉は、胸をじわっと熱くしました。

質にこだわった仕事や生き方を。
たった一度の人生を、おもいっきり
チャレンジしよう。

いい生き方とは、そういう生き方なのでしょう。

素晴らしいご縁と時間に感謝し、まだまだ
甘い自分自身を成長させていこうと思います。

眼鏡

眼鏡をかけはじめて、
ちょうど10年が経ちました。

10年記念!というわけではないですが、
眼鏡のレンズの傷が目立ってきたので、
新しいものと変えました。

といっても、今の眼鏡のフレームが
気に入っているので、今回レンズだけを
交換しました。

20歳前半まで視力はよく、眼鏡には縁がないと
思っていましたが、20代中頃から急激に
視力が低下。

今では、眼鏡が当たり前の生活になっています。

これからも人生が続く限りは、
私にとって必需品です。

そう思うと、愛着が沸きますね。

大切に扱って参りましょう。