dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

インフルエンザ

人生初のインフルエンザにかかりました。

17日(水)の午後からしゃっくりが止まらず、なんだろうと思いながら次の日には発熱。一晩様子をみて翌朝熱は下がらずということで病院へ。

検査の結果、インフルエンザ(A型)と判明されました。

週末は仕事などの予定も詰まっており、残念至極の思いでキャンセルのお願いを致しました。

妻や子供たちにも心配をかけ、身体を早くよくしたいと思っても、寝て薬を飲んで、水分をとって安静にしてと、そんなことしか出来ないことが少々情けなく思います。

しかし、そんなに無理をしているつもりはなくても、身体は正直なのでしょうか。免疫力も低下していたのですね。

しっかり回復させて参ります。

何が出来るのか。

仕事での手続きがあり、あるお客さま方にお会いしてきました。

このお客さまは、昨年9月に奥様をご病気で亡くされました。

まだ50歳の若さで、お子さんも中学3年生ですから、本当にお辛かったと思います。

約1時間程、夫婦の思い出、ご病気が見つかり、闘病してきた約1年のこと、使える薬が無く、治験に懸けた思い、そして亡くなられた日のこと、そして今の心境など、色々お話下さいました。

思い出が甦り、途中涙を流されることもあり、まだまだ悲しみが癒えない姿に、私も目頭が熱くなりました。

一番心に残ったのは、もう治療が出来なくなった時、泣いてばかりいたのは自分や義母ばかりで、奥さまは涙一つみせず、弱音も言わずに受けとめておられたという姿です。

本当に一番辛いのは、奥さまご本人でありましょう。その辛さを身内に振り撒くこともせず、ただ凛とした姿でいらっしゃった奥さまの強さに、ただただ畏敬の念を抱くばかりです。

仕事や趣味のテニスで気を紛らわしていても、一人になったら本当にきついとおっしゃっていました。

このような悲しみを背負っている方を前にして、私は何が出来るのでしょうか。

何かしようと思う事自体、おこがましい事だと思いますが、仕事を通じてご縁を頂いた方であっても、仕事の垣根を越えて、人間と人間とが生きあうことこそ、本当の生きる喜びなのではないでしょうか。

そう言うことを非常に考えさせられます。


定年後は、お客さま(ご主人)の実家の北海道で暮らし、スキーの講師などをしながら、奥さまは好きなガーデニングを楽しむというライフプランを立てていらっしゃいました。

この希望もなくなりましたが、また落ち着いたら相談にのってもらいたいということでした。

この仕事を長く続けると、きっと色んな場面にご縁を頂戴する事と思いますが、この仕事の『Why』を、改めて考えてみなくてはなりません。

そのような気付きのある時間でした。

遺族会・互例会

今日は仕事を休み(この3連休仕事をしたので、その有給にあてましょう)、遺族会の互例会に参加致しました。

食事をみなさんと共にし、現会長の遺族会の意味や想いをしっかり聴くことができ、益々遺族会の存在意義、利害関係を超えた生かされている人間としての使命を犇々と感じる時間でありました。

生かされていることの『畏れ』とでも言うのでしょうか、それを感じたからなのか、ただお酒が入っているからだけなのかわかりませんが、会の中にいるだけで自然と涙が溢れるのです。

これは、もしかしたら私の先祖の計らいであるかもしれません。生きている時間を、損や得やらで費やすのではなく、生かされているこの命の有り難さ、畏れをお役だつ力に変えなさいと言われているように感じたのです。

会長は言われました。

『太平洋戦争だけではなく、この日本国のために尽くされた先祖皆様に対する感謝は、日本国民として当たり前なのです。』

私たちが今日本にいること。
その感謝を忘れず、また感謝の想いを形に表すためにも遺族会にて与えられた役目を果たしていきたく思います。

奪われても失わないもの。

『奪われ』ても、『失わない』ものが
この世にはあります。

その一つに、『知恵』があるのではないでしょうか。かつて近江聖人といわれた陽明学者、中江藤樹さんは、『叡知』とよびました。

知恵は、知識が役立つものになったものです。知識は人間の暮らしを豊かにします。そんな知恵を、人々の暮らしにお役立ちするために商売があります。

知恵は、例え奪われてもお金や物のように失いません。

だから、自分の努力で生まれた知恵も、他人からお裾分け頂いた知恵も、多くの人々に分け与えていくことこそ人間が豊かに生きる方法の一つであり、また知恵が知恵を作っていくのだと思います。

人のお役に立つために知恵を生み出す。そんなことに生きがいが持てたら、この世界は実に素晴らしいものになるのだと思います。

人のために生まれ、奪われても失わない。そんな知恵『叡知』を、私もない頭を使って作り出していきたいものです。

北野天満宮~ソプラノリサイタル

5日に師匠と、同じく一緒に師匠から学んでいる先輩と3人で、北野天満宮へお参りに行きました。

小寒のどんよりした冬らしい空から、冷たい小雨が降る午前でしたが、多くの人が初詣を楽しんでおりました。

学問の神様である菅原道真公に、今年も学問がしっかり出来ることを願いました。

それからあらかじめ予約をしていた、京都の伝統あるとうふの店で昼食を頂き、その後は次の目的地へと京都の町を4kmほど歩いたのです。

師匠は、町のあちらこちらにある町地蔵1つ1つ丁寧に挨拶をされ、歩くだけでも勉強させられるものでした。

午後から向かったのは、師匠の知人からの紹介されたソプラノリサイタルの会場です。

ソプラノ歌手、渡士あかねさんの歌う声は、優しくもあり力強く、希望を見出だすような素晴らしい感動を与えて下さいました。

新春から素晴らしいピアノと歌声を聴く事が出来たことに、大変な満足感を得ました。

この後、京都のYMCAで部屋を借り、菅原道真公にまつわる古典を勉強致しました。

その中で『延命十句観音経』という非常に短いお経が出てくるのですが、短い分だけ言葉に力があるお経です。

毎日百遍えても、十日で千遍唱えることになりますから、無理なく多く唱えられます。また、私の氏神さまは天神社でありますから、まさしく菅原道真公に通じており、このお経は覚えるに相応しいものだと思いました。

最後は京都駅辺りで夜ご飯をたべ、多くの物語を語らい合いました。

新年早々から丸一日、師匠たちと学問が出来たことを本当に嬉しく思います。

味わい深い時間でありました。

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三が日

この三が日は、非常に充実した日々でした。

元旦は、前述のように毎年変わらぬ大事な時間を過ごせましたし、二日は妻の実家にて、すき焼きや御節料理を楽しみ、実家近くのお寺に皆で参り、自宅ではトランプで盛り上がりました。

これも毎年の行事ではありますが、共に生きあう家族の喜びをじわっと味わえた、至福の時間でありました。

そして三日は、早朝から内村鑑三の『代表的日本人』を再読し、大切な資料の整理などで心に養分が入りました。

午後からは、家族で初めての書き初めをしたのです。

今年一年をどう生きるか。そんなテーマは子供にとって難しいものですが、長女は迷わず決まったようで、『元気』『力』を筆にしました。

3歳の次女も、字にならない文字をしっかり書き、妻は一文字『和』(なごみ)を表しました。私は『誠実』と書き記しました。これは年間の目標のスローガンでもあります。

そのあとは、2本の映画を観ました。

一つは師匠から借りた1987年、デイビット・ジョーンズ監督作品『チャーリングクロス84番地』という映画です。

ニューヨークで暮らすヘレーヌという女流作家は、珍しい趣味『古書集め』によって、ロンドンで古書店を営むフランクという店主と出会います。

出会うといっても、実際に会うのではなく、古書の売買によって始まった文通で心を交わし会うのです。

そして20年もの月日が経ったある日、ヘレーヌはフランクが病死したことを知るのです。

古書というお互いの趣味から始まった20年もの文通の往復は、観るものを優しい気持ちにさせてくれます。

心暖まる余韻の残してくれる映画でありました。

そして2本目は、長女が借りた『火垂るの墓』です。

火垂るの墓はもう何度も観ましたが、今回ほどに心苦しくなったことはありませんでした。

戦争孤児のあまりにも残酷で厳しい物語は、観るものの心を苦しめます。

辛くて仕方ありませんでしたが、兄妹が亡くなった後、ちゃんと二人は出会えているという事を前提にしている事が唯一の救いです。

長女も悲しくて泣きそうになったと言っていましたので、彼女にもだんだん『悲しい』という感情が明徳として育っているのでしょう。

人が映画や本などを観て悲しむ心があるのは、そのものが悲しいというからではありません。自分の中に悲しみを持っているからこそ、人はその悲しみが分かるのです。

悲しみの経験がなければ、他人の悲しみをわかってあげられないものです。

というような三が日を味わい、本当にありがたく思います。

さあ、不如意なことも多々あるでしょう2018年を、共に生きあう人々と共に味わっていきたいと思います。

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2018年元旦

年が明け、2018年がスタート致しました。

元旦は毎年、朝から家族、そして私の弟と共に先祖の墓参りにいきます。新年の挨拶を済ませたあとは、我が家にて御節料理を頂きます。

今年も伯父さんが顔を出してくれ、子供達にお年玉を下さいました。

伯父さんは、代表して1つのお年玉ではなく、伯父さんからの分、奥さんからの分、それから長女、次女からの分と4つの袋に分けて下さいます。

きっと1つの袋でまとめるより、たくさんの袋でもらった方が子供達は喜ぶと思い、手間をかけて下さっているのです。本当に優しい伯父さんです。

午後からは、皆で氏神さまに初詣に参りました。これも父、母が生きていた頃から変わらない行事です。

この毎年変わらない元旦の行事を、今年も皆で出来たことを嬉しく思います。

そして2018年も、げんきよく、きげんよく過ごして参ります。

遺族会・慰霊祭

昨日は、今年の11月から加入させて頂きました、私の住む市の遺族会での慰霊祭がありました。

朝7:30から、市の公園にある慰霊碑を掃除し、参加者皆で、英霊へ般若心経を唱えました。

遺族会の会員の平均年齢は70歳ぐらいだと思いますが、皆さん本当にお元気です。

般若心経を唱え、御焼香を終えた後、会長がこのようにおっしゃられていました。

『英霊たちは、全くの不条理な死に方をされました。この、今の平和を築かれたのは間違いなく、この方々の犠牲の上にあります。だから、戦争のことをいうのはどうだこうだ、そう言う人はいるけど、この方たちを当たり前のように弔い、そして慰霊するのは当然の義務だと思います。

最近の若い人の中には、権利ばかりを主張する人もいるが、義務を果たしてはじめて権利があるのです。』

ごもっともだと思いました。

私は、もっと我々世代がこういったことに関心を持ち、風化させないよう受け継いでいく事がこの国に生まれた『義務』だと思います。


今年も、本当に様々な事がありました。

しかし、過去に比べれての大きな違いは、仕事ではなく、自分に人生においての役割が見出だせたことだと思います。

語り部』として、それぞれあの戦争の体験を聞き、後世へ繋いでいくこと。

来年も大真面目に、取り組む決意です。

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年賀状

今年も無事、年賀状を出すことができました。

600枚以上の年賀状に、一言一言を書いていくのも正直大変ですが、一人一人に感謝を込められたと思います。

2017年、直接お世話になった方も、ずっとご縁を繋いで下さる方も、今年はじめましての方も、そして御別れした方もありますが、改めて私は多くの方々に支えられているということを実感しました。

明日は今年1年をしっかり振りかえってみようと思います。

2017年、残り少ない時間を味わって参ります。

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歩くことで得られる景色

今日は朝早くから、私のお客さまにカレンダーを届けて参りました。

多くは郵送するのですが、私が徒歩圏内でまわれるお客さまには毎年歩いて届けるのが年末の恒例ともなってきました。

約3時間をかけて歩くと、さすがに足腰が痛くなり、疲労もなかなかのものです。

しかし、普段見馴れた、そして懐かしい景色もゆっくり歩いてみれば、色々な発見があるのですね。

ブロック塀に育った青々しい苔、全く知らなかったお総菜屋さんの存在、幼い頃に母と行った市場の帰り道で遊んだ公園、小学校の頃に行ったことのある銭湯、普段はあまり存在感を示さないがクリスマスということで聖歌の合唱が聴こえてくる教会などなど。

ゆっくり歩くスピードでしか見えない、聞こえない、そして味わえない風景をたくさん感じることが出来て、心が温かくなりました。

効率やスピードが求められる世の中ですが、ゆっくり過ごさなければ見逃してしまうような、そんな味わい深いものが世界にはちりばめられています。

その事を、改めて感じることが出来たクリスマスイブでした。