dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

体質・空気・流れ

私が語り部として、月1回開催頂いている平和学習『和望の会』。今月は17日に予定をしております。

いつもは、私が戦争体験をされた方々のお話を伝えるという形式でやっておりますが、今回は、そもそもなぜ日本は、あのような戦争をしたのか?突入していったのか?というテーマでお話をさせて頂きます。

そのため、様々復習兼ねて本を読んでいるのですか、中でも著者・保阪正康の『あの戦争は何だったのか』には、非常に調べあげられた当時の軍部の体質、空気、流れが具体的に書かれています。

そして、まずその体質こそ、今の日本にもまだまだ根強く残されていると、強く感じました。

ワンマン、独裁的な力が浮き彫りとされた今年の様々なニュースを見れば、一目瞭然でしょう。

『物言えぬ』から大惨事を招いた太平洋戦争。戦争こそは繰り返してはないものの、まだまだ『物言えぬ』体質により、多くの人々が傷ついている事は、間違いのない事実です。

また、そういった空気の力も、多いに関係していると思います。

空気というものは本当に怖い。なぜなら少数派は悪、多数派は善というような、大きな流れをつくってしまうからです。


この体質・空気・流れ。

この3つが最悪な方へ進んだときの惨事こそ、あの戦争であり、今もなお、この3つは様々な場面、コミュニティーで作られていくことを肝に命じなければならないと思います。

人間が集まれば、この3つの支配が生まれることをしっかり管理しなければ、良い社会は作られない。

そんな事をこの本から学んだのでした。

スマホを落としただけなのに

映画【スマホを落としただけなのに】を観て参りました。

今やスマホは、生活の中で無くてはならない存在となっているのは、私だけではないでしょう。

スマホには、大切な人からご縁を頂いたたくさんの方の連絡先や写真が入っていますし、ソーシャルネットワークにログインすれば、私と繋がっている方々の個人情報がわかります。

また、アマゾンやYahoo!から気軽にクレジットカードで買い物もしているので、情報を抜き取られてしまうことも簡単にはできることでしょう。


スマホとは、自分自身の分身であり、この映画は、その分身であるスマホを落としてしまうことのリスク、いや、デンジャーを教えてくれるものでしょう。

またそれだけにとどまらず、家庭環境などの理由で、母親から愛をちゃんと貰えなかった子供が大人になったときのリスクについての危惧を訴えているようにも思います。

文明は新たなリスクを生む。

リスクを常に考え、ちゃんと管理する時代であることは間違いないでしょう。

f:id:dantel:20181107202947j:plain

この時期になると

この時期になると、ポストに届き出すものがあります。喪中葉書です。

『祖母 ◯◯が◯月◯日に◯◯歳で永眠いたしました』

など、お身内のご不幸が書かれています。

普段は悲しみのひとかけらも見せない方も、大切な方とお別れの時があり、受け入れ、今を生きている。

人はどんな人も、色んなことがあって、色んな事情を受け入れて生きている。

その事を、喪中葉書は教えてくれます。

私も出来る限り、

『げんきよく きげんよく』

生きていきたいものです。

日日是好日

先日、樹木希林さん最後の映画となりました、『日日是好日』を妻と観て参りました。

『お茶』を習うことで、そして続けることによって、今まで気付かなかった音や空気、季節、命の大切さ、そして人の気配りなど、日々に変化がわかるようになるというお話で、とても心が和む佳い映画でした。

映画の中で、特に印象的な言葉がありました。

『人生の中で、すぐにわかることはそのまま通りすぎればよい。しかし、すぐにわからないことは、ゆっくりゆっくり時間をかけてわかればよい。』

また、

『何でも理由を頭で考えればいいのではない。感じればよいこともあるの。』

そして、

『毎回同じ人が集まる茶時でも、1回1回が違うの。だから、ああ、これがこの人たちと会うのが最後かもしれないと思ってその時その時を大切にするの。』

セリフはそのままではありませんが、覚えている範囲で書かせてもらいました。

最後のセリフのことを人は

『一期一会』

といいますね。

昔、携帯も電車も車も飛行機もない時代でしたら、会うこと事態がもっも喜びある時間であとたのでしょう。

そして、もしこの時間が終われば、次本当に会えるかわからない。もしかしたら殺させるかもしれない。病に伏せるかもしれない。

だからこそ、会えた今を本当に大切にする。
命をいまここに集中する。

それこそが、生きることであるかもしれません。

本当に大切なことを気づかせてくれた素晴らしい映画でした。

野茂英雄

一昨日NHKの番組で、野茂英雄さんの特集がありました。

野茂英雄といえば、日本プロ野球史に残る輝かしい成績は勿論のこと、1995年に日本人初のメジャーリーガーとなり、その後の日本人メジャーリーガーの架け橋を作ったパイオニアでもありますね。

1995年当時は、まだフリーエージェントポスティングシステムなどもなく、メジャーに行くなど御法度な時代でした。

しかし、野茂はプロ野球を引退してでもメジャーにいく、挑戦することを諦めませんでした。その情熱一本に、当時の近鉄球団も根気負け、ついにメジャーリーガー野茂英雄は誕生しました。

当時、マスコミは100%野茂を叩いていました。野茂がメジャーで通用するわけない!メジャーをなめている!と。

今のように応援される形でいける時代じゃありませんでしたから、孤独であったでしょう。

しかし野茂は、メジャーリーガーとして1年目からオールスターに出る活躍をせます。そしてメジャー2年目でなんとノーヒットノーランを達成(メジャーでは2度達成)。1000奪三振はメジャー3人目のスピード到達。数々の苦労、努力も同時に味わいながら、偉業を成し遂げたのです。

その後、イチロー松井秀喜田中将大大谷翔平と、多くの日本人がメジャーに渡り、活躍をします。

その先駆者である野茂。しかし、彼は自分でパイオニアだと思っていませんでした。

『ただ、メジャーに行きたかっただけです。』と。

決して奢らない姿勢には心をうつものがありました。

そして野茂の活躍は、当時の大リーグを大きく救ったことにも繋がりました。

当時、大リーグでは選手の年俸額が上昇。年俸を抑えたい球団側と年俸を上げてほしい選手側とが衝突し、ストライキを起こします。その結果、ワールドシリーズが中止になるという異例の事態となっていました。

拝金主義化したメジャーリーグからはファン離れが進んでいたのです。

そんな中、野茂は日本で提示された1億2000万円という年俸にうしろ髪など引かれず、僅か1,000万円(当時メジャー最低年俸)で海を渡ったのです。

そして、高額年俸のスター選手を次々にねじ伏せていくのです。

この姿に、心を打たれたファンたちがまた帰ってきたといいます。

野茂の貢献はすごいものです。

ただ大好きな野球。ただもっとレベルの高い場所で挑戦したい!その想い一筋の力は、周囲に感動を与えていく。

私も自分の立場を省みて、本当に好きか?本当に何がしたいのか?そんな事を思いました。

寂しくなる

今日、クライマックスシリーズ西武ライオンズソフトバンクホークスに負け、2018年の最後の試合となってしまいました。

今年は3月30日から破竹の8連勝でスタートし、1度も首位を譲ることなく、リーグ優勝を果たしました。

これだけ強いライオンズを観たのは、黄金時代以来ではないでしょうか。

そんなライオンズが、クライマックスシリーズではソフトバンクに歯が立たなかった。

最高のシーズンとはうってかわって、らしさを封じ込まれたものとなりました。

これが野球なんでしょう。

最後のセレモニーでは辻監督が、号泣していました。だれよりも悔しいと感じたのでしょう。

本当に良い監督だなぁと思いました。

10年ぶりの日本一を!と思っていましたので、心に穴が空いたような寂しさがあります。

しかしこれが現実です。

来シーズンは、この悔しさをバネにして、更なる強い野球を目指してほしい。

有難う!
今シーズンのライオンズ!

感動貯金箱

先日、Panasonicの本社にあるパナソニックミュージアムに家族で行って参りました。

私の父は、松下電工に勤めていましたので、家にはNational製の電化製品や、松下幸之助さんの本があり、今でもPanasonicにはとても馴染み深さがあります。

ミュージアムには、大正時代に開発されたアイロンや白熱灯、昭和に入ってからの懐かしいNational製品、そしてPanasonicのテレビやラジカセ、最新の美容器具まで展示されており、見るものの心を魅了しました。

個人的には、おばあちゃんの家にあった電子レンジ(1980年代のもの)と、赤いラジカセ(これも1980年代)に再会できたことが、本当に嬉しかったです。

そして、子供達も楽しめるようにスタンプラリーがあったので、退屈せず家族みんなで楽しめした。

また、ミュージアムの別館として松下幸之助歴史館があり、創業者の松下幸之助さんの歴史や人間像を非常によく学べるようになっていました。

驚いたのが、30種類もの幸之助さんのメッセージ(本などから抜粋した名言)がカードになっていて、自由にとって持って帰られるようになっていたこと。それらをまとめられるケースは別売ですが、300円なので、お土産には最適。師匠と先輩に2つ購入させて頂きました。


記念にミュージアムで購入したナショナル坊やの貯金箱。これをその日から【感動貯金箱】と名付けました。

感動したことがあると、この感動貯金箱に100円を入れていくのです。

お金がたまるということは、それだけ感動があったということになります。

そうして貯まったお金をまた、感動出来るものに使っていく。

これからの私の人生、どれだけ感動があるかが楽しみです。

f:id:dantel:20181015232039j:plain

次女の運動会

週末は、次女にとってはじめてとなる、幼稚園の運動会でした。

秋晴れの良い天候で、時おり吹く風はひんやりとして気持ちの良いものでした。

私個人的には、幼稚園の運動会が一番感動してしまいます。

年長さんが鼓笛隊となり、一生懸命に奏でる楽器や力一杯旗を振る姿は、胸をうつものがあります。

うちの子も、可愛らしい服装で踊る姿は、まだ恥じらいもなく、懸命さがとても愛らしいものでした。

長女は小学生の部として、80m走に友達と参加し、緊張しながらも楽しんだ様子でした。

運動会は大人も子供も、自然に笑顔になる素敵な空間だと思います。

お義父さんお義母さんも観戦してくれ、家族みんなで佳い充実した1日となりました。

運動会が終わってからみんなで食べたカレー(嫁の作るカレーは年々美味しくなる)、こういう何気ないシーンは、これからも私の大切な思い出として生き続けるでしょう。

夜は御飯を食べに行き、カラオケに。


1日くたくたになりましたが、いやぁ、生きてるって感じでした。

感謝!

f:id:dantel:20181015194252j:plain

85歳の立ち退き

私のお客さまで、85歳の女性がいます。

先日、ご自宅にお伺いしますと、大家さんから急な立ち退きを迫られたといいます。理由は『建物の老朽化』。立ち退き期日は2019年4月。

85歳で立ち退き。これから何処へ行けばよいかと途方に暮れながらも、勇気を振り絞って不動産屋さんに入ったそうです。

結果、85歳の方が一人で住める家はありませんでした。

息子さんはいるのですが、息子さんの嫁さんのことを考えると一緒に住ませてほしいとも言えないし、第一迷惑をかけるのは避けたいと言います。

府営住宅などに移るしかないのか、と本当に心身ともにまいっていたところでした。

しかし、賃借人は弱い立場にありますから、当然保護されるべきだと思い、すぐに、不動産経験を持つ後輩に話をしました。

すると開口一番、『老朽化など、立ち退きの理由にならない。今すぐ立て替えないほどのものでしはか?』と。

『確かに築年数は経っているけど、前の台風でも雨漏りもしていないから、そこまでじゃないよ。』

『じゃあ、住み続けられますよ!』

そして、

『もし立ち退きする場合は、入居時に支払った敷金・敷引・礼金、は全額返金。また引っ越し費用も出してもらい、さらに立ち退き料として100万円出してもらうのが相場ですよ!』

さらに、

『年寄りだから、足元を見てるんですよ。もし相手が不服を言うなら、5,000円で調停できます。絶対に負けないですから。』と力強くいってくれました。

その事をお客さまに伝えると、本当に良かったと、安堵の声を下さいました。

今現在、立ち退きの期限は撤廃されているようです。

このように世の中には、圧倒的な知識格差と強い立場にある者の都合により、弱い立場の人間は不都合を強いられてしまうケースがあります。

弱い立場の人間を守れるのは、知識と知恵だと思いました。今回は本当に後輩に助けられました。

まだまだ弱い立場の人間が不都合を強いられている世の中です。そんな人々を少しでもサポート出来たら!と思います。そしてそれこそが学ぶ原動力になると思います。

私もとても勉強させてもらいました。

第7回 和望の会

本日、いつもお世話になっている京都のカフェ『yokoso』で、第7回目の平和学習~和望の会~が開催されました。

この会で、語り部として、というよりは戦争体験者の方々のお話を後世に繋げていく係りとして、毎月お話をさせて頂いています。

今回は、過去最多の9名の方にお越し頂きました。特に20代という若い方の参加が増え、約1時間の話を真剣になって聞いてくださり、その姿に感化されながらお話をさせて頂きました。

話の中心となったのは、12歳で富山の空襲を体験された奥田史郎さんのお話です。

奥田史郎さんの著者、『八月二日、天まで焼けた』より体験談を抜粋させて頂きました。

富山市の空襲は、地方都市としては最大の戦災を受け、約2,500人が亡くなっております。

奥田さんも、お母様をこの空襲で失っています。終戦2週間前です。

たった73年前の出来事です。

よく、1年はあっという間だといいますが、それが73回遡ったら日本は戦争を当たり前のようにしていたのです。

でも、ほとんどの人はよくわかっていません。

私も知りません。

でも無知は怖い。

当時の貴重な体験を風化させてはいけません。我々世代が、次世代に語り継ぐべき物語は、あの戦争を体験された方々の物語です。

学校教育だけではわからないこと、知ることもなかったこたを、微力ではありますが、これからも伝えていけたらと思います。