dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

大阪府立中央図書館へ

先日、大阪府中之島図書館と
大阪府立中央図書館の利用カードを作りました。

今日は東大阪で仕事があったので、
帰りに府立中央図書館に寄ってみました。

4階建の立派な建物には、さすがは蔵書数日本一の
図書館だけあり、大量の本が保管されていました。

歴史コーナーには、私がほしい早乙女勝元氏の
『決定版 東京大空襲写真集』と、
『東京復興写真集1945~46』があり、
見入ってしまいました。

この写真集の値段は、両方共に1万円以上する
ので、なかなか買えませんが、近々購入して
我が家の文化資本にしたいものです。

東京大空襲写真集では、日本人による
東京大空襲のまさにその時の記録が掲載され、
月日は勿論の事、何時何分、何処でどういった
状況のものか、詳細も書かれています。

その写真の数は1,400枚。東京空襲の全貌を知り、
空襲の惨禍が伝わります。

また、東京復興写真集では、1945年秋からほぼ
1年間の写真が掲載されていています。まさに現代
都市・東京の最初の歩みといったものでしょう。

写真では人や建物、お店や看板等々、街頭風景を
中心に復興していく様子が写し出され、
復興していく様が手にとるようにわかります。

この2つの写真集を見比べるとよくわかるのが、
1945年の戦争末期の東京と、戦後すぐの復興に
向けた東京は、わずか1年ではありますが
別世界であるという点です。

もちろん、この写真ではすべてがわかることは
ありませんが、復興していく中での人々の雰囲気、
着ているもの、街の様子は明らかに
変わっています。

しかしながら、ここにはあの戦争で家をなくし、
家族を亡くし、耐え難い苦しみを背負って
いらっしゃる方々がほとんどではないでしょうか。

そこはもう想像することしか出来ませんが、
人間が前を向いていくという点で、
とても大切なものがここにあるのではないかと
思います。

また、空襲前の1943年や1944年の10月頃までは
どうだったのでしょうか。

非常に興味が湧いてきます。

いつの日にかこの2つの写真集を我が家に置き、
ゆっくり研究したいものです。

人生はわからない。

ある会社の社長であり、私のお客さんである方の
お母さまから連絡があり、社長が3週間前に
脳幹出血で倒れ入院されているとのことでした。

47歳と若く、仕事もバリバリされながら、
オフには鹿児島で趣味のサーフィンや、
安納芋を生産されたりしている本当に元気な方
だけに、大変驚きました。

今のところは命に別状はないそうですが、
まだ一般病棟には移れずといった状況です。

意識はしっかりして言葉も話せるようで、
それを聞いて一安心致しました。

しかし、人生というのは本当にいつどうなる
ことか全くわからないということを、
痛感させられました。

だからこそ、本当に毎日を一生懸命、
出来る限り人のために高尚に、
生きていかなくてはならないと思います。

本当にそうしないと、誰々がどうだとか、
あの人はこうとか、そんな誹謗中傷に明け暮れて
人を妬み、被害妄想に悩まされるだけで人生は
あっという間に終わってしまいます。

内村鑑三が遺した後世への最大遺物の中にあった、
『高尚なる勇ましい生涯』こそが、誰にでも
遺せる遺物であるということを肝に命じて、
勇ましく生きていこう。

改めて思う次第です。

1954年・ゴジラ

先日の第五福竜丸展示館の影響を受け、
1954年(昭和29年)11月に上映された、
初代ゴジラの映画をレンタルして観ました。

というのも、ゴジラ制作のエピソードどして、
第五福竜丸の事故が大きく影響していることを
知ったからです。

ゴジラ誕生は、第五福竜丸被爆した年に
映画化されました。

ゴジラは、海底洞窟に潜んで暮らしていた
ジュラ紀の生物で、ビキニ環礁で繰り返し
行われる水爆実験のせいで安住の地を追いやられ、
遂に地上に出て人間社会に襲いかかる
『核の落とし子』というものでありました。

第五福竜丸の事故が日本人にとって
どれ程大きな問題であったかが伺えます。

ゴジラを観てとても驚いたのは、昭和29年の
特撮技術レベルの高さです。

特にゴジラが東京に上陸し、建物などを破壊して
いくシーンは、本当に臨場感がありますし、
リアルさが伝わります。

なおも興味深いのは、昭和29年の東京の街が
よく観察できる点です。

銀座の松坂屋や国会議事堂、東京湾
団塊の世代が、まだ幼い頃の戦後昭和の首都を
見事に感じとれることに、私の心は躍動しました。

是非また、戦前戦後を生きられた方と
お話をして、当時の事などを伺えたらもっと
嬉しくなるでしょう。


物語では最後に、ある研究者が開発した
秘密兵器によってゴジラを倒すこととなります。

人間が作り出した核兵器によって、安住の地を
追いやられたゴジラに罪はありませんが、
人間が生きていくためには、その罪のないものを
また兵器によって殺傷する。

そんな矛盾とエゴを突き付けられたような
エンディングでありました。

ちょうどゴジラをレンタルした次の日に、
2017年に公開された『シン・ゴジラ』が
地上波初放送していました。

これは録画しておいたので、新旧と見比べて
楽しもうと思います。

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第五福竜丸展示館

東京出張では、1日目の仕事を終え、
新木場駅から歩いてすぐ、夢の島公園内にある、
第五福竜丸 展示館』に行って参りました。

木造のマグロ漁船第五福竜丸は、1954年3月1日、マーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカが
行った水爆実験によって被爆し、
被害にあいました。

乗組員23名が大量の放射能(死の灰)を浴び、
全員が被爆されたのです。

その後、ほとんどの乗組員が、放射能の影響で
癌などを発症し、亡くなられました。

しかしアメリカは、核実験との因果を
認めなかったといいます。

被爆後、半年で亡くなられた久保山愛吉さんの
遺した言葉が、重く心に響きました。

原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい。』


太平洋戦争末期、広島と長崎に原爆が
投下されて以来の、核の被害に日本を中心に
大変な問題となったのは言うまでもありません。

日本では、3,000万人もの原水爆禁止の署名が集まったと言います。これは当時の人口からすると、
3人に1人の割合です。

戦争の傷も癒えぬままの当時の状況で、
国民の怒り、憤りや悲しみの感情を察しますし、
どれだけ重大なことであるかがわかります。


第五福竜丸展示館の中央には、第五福竜丸
一隻まるごと保管されています。

これは圧巻であり、またこの船が被爆したのだと
思うと、身が引き締まる思いが致しました。

実は第五福竜丸は、1967 年に廃船処分となり、
解体業者に払い下げられ、船体はゴミの処分場で
あった「夢の島」の埋立地に放置されたそうです。

これを知った市民の間に保存の声が上がりました。

「沈めてよいか第五福竜丸」という朝日新聞での 投書や原水爆禁止運動など、全国で保存の
取り組みが行われました。
 
そして1976年6月、ついに東京都立第五福竜丸
展示館が開館し、船は展示・公開されたのです。

これは本当に素晴らしい働きかけだと思います。

これからの日本、そして世界の大切な文化資本
一つとして、大切に残して貰いたいと、
そう切に願います。

『核』廃絶の日がくることと共に。

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仕事の報酬は仕事

昨日、今日と東京で仕事をさせて頂きました。
行きの新幹線からは、富士山が綺麗に見えました。

今年は新幹線、飛行機、日本平から富士山を
見ることが出来ましたし、また実際に登頂も
しましたので、富士山に縁のある1年でした。

仕事の方も、昨年独立された社長、前職の後輩、
2年ぶりにお会いするお客さんと、
良い時間を過ごすことができました。


ソニー創業者の一人、井深大さんの言葉に、

【仕事の報酬は仕事だ。それが一番うれしい。】

という言葉があります。
本当に素敵な言葉だと思います。

良い仕事をすれば、信頼が生まれ、次の仕事を
頼まれる可能性は高いですし、紹介されることも
増えるでしょう。

良い仕事の定義は、本心でお客さま目線と
なれるかどうかだと思います。

これは言葉では当たり前ですが、行動においては
極めて難しく複雑です。

商いのテーマはここに集約されていると
言えるでしょう。

『利益』だけに躍起になって右往左往
しているのは商いではありません。

利益は状況です。

状況で安心したり不安になったりするのは、
状況に支配されているからでしょう。

例え、利益が上がらなくとも
本当に良い仕事をすることにもっと注力する
会社、人間が増えれば世の中はもっとよくなると
思うのです。

と、自戒を込めていっております。


東京では、仕事以外にも勉強はしてきました。
今回は、第五福竜丸展示館と、昭和館
行って参りました。

そのお話は次回のブログで綴ります。

涙を流すより、考えてほしい

ハードディスクに録りためていた、
アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館で働く、
中谷 剛さんの特集番組(NHK)を観ました。

中谷さんは、世界遺産アウシュヴィッツ
ビルケナウ強制収容所アウシュヴィッツ
ビルケナウ博物館の、最初で唯一の
外国人公式ガイドであります。

主に、日本人見学者のガイドを勤めておられます。

アウシュビッツは、ナチス・ドイツ
第二次世界大戦中の1940年、占領下のポーランド
政治犯を収容するため開設、後にユダヤ人らを
大量虐殺する「絶滅収容所」となったのです。

この場所には、130万人以上が連行され、
ユダヤ人がその9割を占めていたそうです。

中谷さんは、学生時代にポーランド旅行で
出会ったポーランド人と社会人になって再会。
そこで、『アウシュビッツ収容所にいた』という
ことを告白され、衝撃を受けたそうです。

そして、『歴史にかかわる仕事をしよう』と
決心し、ポーランドでの永住を決めたのです。

一つの出会いで、こんなにも後の人生を
変えてしまう。出会いというものは、
すごい影響力であります。

アウシュビッツという負の歴史は、私が語るまでも
ありませんが、このような壮絶な歴史が生まれた 背景に着目しなければいけません。

多くの人々は、ヒトラーが悪魔だったからと、
ヒトラーの人格を否定することで、この問題を 決定しまいがちです。

しかし、そうではありません。

ドイツは第一次世界対戦で敗戦。
巨額な賠償金を払わされ、国内の失業率は
30%以上という、大打撃を受けたのです。

その恐慌を経済から救いだしていくのが、
ナチス党でありました。

ナチス党が政権を握ると、瞬く間に国民に
労働が戻り、パンが食べられるようになりました。

そして、そもそもの民族間の問題が引き起こした
としたプロパガンダが、ユダヤ人差別を
巻き起こしたのです。

良民も無知であれば、プロパガンダに侵されます。
また、無知でなくとも、時の空気や風潮、圧力に
より、一方的な思想しか持てなくなるのです。

戦争や差別といったものは、こういった空気に
よって生み出されるものだということ。

そして、その空気が勝ればアウシュビッツ
ような悲劇が平気に行われるということ。

アウシュビッツは、それを教えてくれる、犠牲の
上にある、未来の人間への教えであると思います。

中谷さんは見学者に、『考えてみてください。』
という問いをたくさん投げ掛けていました。

それは、答えはそれぞれ自由であり、それを問い
続けることこそが大切だとしているからです。

そして、それは前館長の

『涙を流すより、考えてほしい』

という言葉にありました。

人類を歴史を学ぶことしか、
今の時代とは戦えません。

一人一人が真剣に歴史を学んでいく。
そんな教育が今の日本には不足していることを
とても懸念しています。

日本では、戦争映画やドキュメント番組、
そして本もたくさんあります。

しかし、ただ涙を流すだけで終わるのではなく、
なぜ戦争が起こるのか、今、どういったことが
行われているのか、真剣に考えるべきだと
私は思います。

我々大人が、大真面目に学ぶべきなのです。

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地獄絵ワンダーランド

今日は予定通り、京都にある龍谷大学
龍谷ミュージアムに行って参りました。

11月12日まで、『地獄絵ワンダーランド』が
開催されています。

地獄というものがどういった概念で、
システムはどうなっているのか。
また、どう世の中に浸透していったのか。

平安時代から近代までに渡り、描かれてきた
地獄絵や巻物、彫刻などが展示され、
非常に面白いものでした。

平安時代に、比叡山の恵心僧都源信は、
多くの経論から往生の要文を編集し、
「往生要集(おうじょうようしゅう)」という
書物を書きました。

それが、所謂『あの世』のガイドブック
という内容で、日本人の死後の世界観に
大きな影響を与えたそうです。

人間は死ぬと、極楽浄土を含む『六道』に
輪廻するとされます。

六道とは、天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄で
あり、とりわけ関心を集めたのが地獄でした。

まるで本当に地獄を見てきたかのようなリアルな
描写は非常に説得力があり、人間の恐れそのもの
であるように思います。

その恐れの象徴が、十王の一人であり、地獄の
王の中の王、『閻魔王』ではないでしょうか。

十王や閻魔王に人生を裁かれ、八つに別れた
地獄のどこに行くのかが決まります。

よく、嘘をつくと舌を抜かれるといいますが、
これは八つの地獄の中の『大叫喚地獄』と呼ぶ
場所をさしておりました。

八つの地獄絵は、ゲゲゲの鬼太郎でお馴染みの
水木しげるさんがアニメにされ展示していました。

法要として使われる初七日や四十九日も、
あの世の行事によって決められている事なども
知れ、教養の一つとなりました。

お土産に買って帰ったパンフレットを
長女が興味深く読んでいました。

次回、もしまた地獄絵ワンダーランドが開催
されるならば、子供も連れていこうと思います。

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