dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

遺族会

私の住む市にある『遺族会』の会員として、登録させて頂きました。

以前、戦没者追悼式に参加させて頂いたことがきっかけで、遺族会会長とご縁を頂戴したのです。

初の定例会で自己紹介をさせてもらい、また私に対して遺族会の参加者、お一人お一人が丁寧に自己の紹介をして下さいました。

15人程お集まりしていましたが、そのほとんどの方は、親兄弟という肉親をあの戦争で亡くされていたのです。

『私の父は、ガダルカナル島で戦死しました。幼い頃だったので父の記憶はありません。』

『私の主人の父は終戦1ヶ月前、ビルマで戦死しました。そして母も亡くしました。当時3歳だった主人は、毎日毎日、家の中をぐるぐる回り、父と母を探し明け暮れていたそうです。』

『私も4歳のとき、父が戦死しました。残念ながら父の記憶はありません。』


そんな紹介を聞かせて頂き、背筋がピンと伸びるような思いになりました。

今は60代、70代になられた遺族会の方々。普段何気なく道ですれ違うだけでは到底わからない、想像も出来ない悲しみをずっと背負い生きていらっしゃいます。

私も両親を亡くした身でありますが、父、母の顔や声は今でも鮮明に覚えています。

しかし、幼い頃に親を亡くし、自分の父、母の顔も声も、共に過ごした日常も、字の癖も好きな食べ物も、なにもかも記憶に無い方々がこうやって生きてこられた、そして今も生きていらっしゃるのだという事に、改めて気付かされました。

あの国民を悲惨な目にあわせた戦争を、絶対繰り返してはならないと強く思いました。

私は直接、親族が戦争で亡くなったということは聞いておりません。

しかしながら遺族会に参加させて頂き、このような悲しみを背負って生きてこられた方々の想いに触れ、受け継いでいかなければならないと思います。

微力にもならないかもしれませんが、しっかり役目を果たしていきたいと思います。

76年前の今日

ちょうど76年前の今日12月8日未明、日本軍による真珠湾攻撃が行われ、米英との太平洋戦争が開戦されました。

直接的な関わりがない私にとっても、12月8日は日本人として非常に意識する日であります。

当時、真珠湾攻撃に空母蒼龍の航空整備士として参加され、以前お話も聞かせて頂いた瀧本さんに電話をいたしました。

夏ごろに体調を崩されていましたが、順調に回復されており、お元気な声を聞かせて頂けました。

『今日は真珠湾攻撃から76年ですね。』

実際に体験された方と、そんな会話が出来ることをありがたく思いました。

仕事をしていても、昼御飯を食べていても、私の周りには『真珠湾攻撃の日』など全く思わず、今を生きている人の日常風景が時と共に目の前を過ぎていきます。

私の意識は私の大切な人生観です。

76年前の今日、大本営発表の臨時ニュースを国民はどう受け止めたのでしょうか。たった76年前です。

今日はやっぱり意識の中です。

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上品な人・下品な人

人には上品な人・下品な人がいますが、そもそも上品・下品の定義をどのように位置付けるのかは、人それぞれでは無いでしょうか。

ドイツの社会学者、マックス・シェーラーによる『上品な人・下品な人』の定義に、私は非常に共感致します。

マックス・シェーラーによる上品な人とは、生産的な人生であるとしています。

上品な人の人生態度は、どんな人に対しても、1人の人間であることの価値を認める為に、他者と比較してうぬぼれたり卑屈になったりしない。博愛心から『与える』ことに重きを置く人としています。

損得感情のない、平等に謙虚に接する態度そのものだと言えます。そういった人がいれば、当然そのフィールドには幸福感が高まり、生産的な人生だと言えるでしょう。

逆に下品な人とは、非生産的人生であります。

人生態度は極めて未熟で、他者と比較して高慢になったり卑屈になったりする傾向が強いのです。

利己的から『得る』ことに重きを置き、所有することばかりに心が偏るとしています。

とかく私たちの社会では、比較や評価をしあう事がほとんどではないでしょうか。

あの人はダメ。
あいつよりはマシ。
この方には勝てない等々。

比較や評価に気をとられて右往左往して1日が終わっていく。ややもするとそんな毎日を繰り返し兼ねません。

本当の人間と人間が生きあうこととは、まず互いが1人の人間である、その価値を認めあうことにあるのではないでしょうか。

相手も私も1度きりの今を大切に生きていることを認めあう態度こそ、上品な人(生産的人生)だと真に思います。

私は反省する点ばかりですが、マックス・シェーラーの定義する上品な人に少しでも近づけるよう、実践反省し、学んでいきたいと自戒を込めている次第です。

発展

『断片をつなげる人』(戦争語り部)を人生のプロジェクトとして、お客さまをはじめ様々な人にお話をさせて頂きますと、驚くような発展があるものだとおもう出来事がありました。

私の、ある士業をされているお客さまにお話を致しますと、なんとこの方も以前から『戦争語り部』に関心を持っていらっしゃいました。

私の危惧する、近未来に戦争体験者がいなくなる時代に危機感があり、しかしその事についてどうすれば良いのか気持ちは混沌とされていたそうです。

しかし、私の考えをお話されせもらった事が一つのきっかけで、一緒に何かしら協力し合うことが出来そうになったのです。

近日では、桜花の会主催『戦争体験を聞く会』が来年1月20日にありますので、一緒に参加することになりました。

私のような思いを持った方がこんなに近くにいるとは、本当に不思議ですし心強く思います。

そして今日も、算命学の先生をされているお客さんのご主人が、旅行や仕事で遠方にいくと必ず戦争跡地などを回るということを知りました。

ご主人は私の語り部の想いに対して、とても関心していただいたといいます。

そうやってコツコツではありますが、人との繋がりを大事にし、行動をしていく所存であります。

実に我々世代が、歴史に学び、大いに語り、しっかり考え、後世へしっかり受け継いでいかなければなりません。

繋がりのご縁に、感謝であります。

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館へ

先日ブログで記した猪熊弦一郎現代美術館に行って参りました。

新聞で故猪熊弦一郎氏を知り、11月30日まで開催している『戦時下の画業』を何とか現場現物で見たいと思い、最終日に香川県丸亀市まで強行突破してきたのです。

丸亀市駅すぐにある美術館は、非常に美しい外観をしており、そこにあるというだけで素晴らしいフィールドを作っているように感じられます。

この戦時下の画業展では、猪熊が1941年~45年のまさに太平洋戦争時、文化視察または作戦記録画を描く従軍画家として戦地に派遣され、各戦地で描かれたものを主に展示してありました。

中国、フィリピン、ビルマなどに派遣された猪熊が作戦記録画として描いたものは、確認できるものでたった2点しか現存していません。そのうちフィリピンのコレヒドールを描いた1点は、戦時中に行方不明となっているようで、たった1点、ビルマの泰緬鉄道建設現場を描いた『◯◯方面鉄道建設』のみ現存しているそうです。

猪熊が戦争を直接的にあらわした絵はほとんど残っていませんが、一方で、従軍先で出会った人々や風景を描いた油彩画などは、猪熊本人がたくさん保管していたといいます。

現物の絵をじっと眺めていると、猪熊が本当に描きたかったもの、描きたくないが描かざるをえないもの、その背後にある彼の葛藤や矛盾のようなものが、絵を通じて私なりに感じました。

表現の規制が激しく、自由などもない時代にも、人物や美しい風景などの本当に描きたいものを描かずにはいられないといった心をうかがったように思います。

戦後は、自由を取り戻したかのような、エネルギーを感じとれるような作品が多く並んでいたのも、印象的でした。

戦後、猪熊は自身の戦争体験をほとんど語らなかったといいます。

猪熊は言葉では語ってこなかったですが、残してきた絵を持って、私たちに戦争というものを語ってくれているように思います。

現場に行けた事、本当に良かったですし、急な私の衝動を認めてくれる家族の寛容さにも感謝致します。

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断捨離におもう。

少し前に、とにかく不必要なものをどんどん捨てる『断捨離』が流行し、最近では生きる為に必要最低限のものだけしか持たないミニマリストという人も現れるようになりました。

断捨離やミニマリストなどの生き方が性に合う人ならそれで良いと思いますが、あたかも『断捨離』という、物を捨てる事だけが正しいという風潮や空気がある点、またその風潮や空気にただ流されているだけの人も世の中には多いように思います。

先ほども『断捨離』をテーマにしたテレビ番組を少し見ていました。

子育てが終わり、子供も独立したある主婦が、子育て中に買っていた絵本を断捨離するというのです。

断捨離する理由はよくわかりませんでしたが、今まで捨てられなかった理由としては、まだ子供が小さい頃、たくさん読み聞かせをしてあげた大切な思い出が詰まっているものだからということでした。

そんな中、意を決して、涙を流しながら絵本を捨てていくのです。

これは本当に良いものなのでしょうか。私は不思議に感じました。

部屋が片付く、スッキリして気持ち良いなどの利点は当然あるでしょう。

しかし、その親子が絵本を通じて歩んできたかけがえのない時間や思い出、願いのような暖かみがそこにはあるのです。それを日々感じられる絵本があることでエネルギーが湧いてくるでしょう。

そしてまた孫が出来たとき、その絵本は孫やその家族にとっての大切な文化資本となっていくのだと思います。

絵本がたくさんあるおばあちゃんの家は、どれだけ素敵な家になるでしょうか。

テレビ番組ですからどこまでが真実かはわかりませんが、全てには表と裏が潜んでいます。

断捨離などのやり方だけにとらわれず、世の中の風潮や空気に流されず、まず自分の頭で考えることが、豊かに生きるための秘訣のように思います。

その点を考えさせられる時間でした。

喪中葉書

この時期になると、喪中葉書が毎日のように
届くようになります。

ご両親のどちらか、ご兄弟が、
そして祖父母が他界した方など様々です。

ああ、この方のお父さんは長生きをされたんだなぁとか、まだまだこれからなのにお気の毒に・・・
など、色々と思います。

そうして、当たり前ですがその事実を知らない
ままであったことも、勝手ながら思ったりも
するのです。

人は誰一人として別れを持たない人はいない。

喪中葉書をご丁寧に出して下さることを、
本当に有り難く思います。

葉っぱのフレディ

師匠に教えて頂いた絵本、『葉っぱのフレディ』を読みました。

この絵本の作者、レオ・バスカーリアは、アメリカの著名な哲学者であり、生涯でたった一冊書き上げた絵本がこの葉っぱのフレディでありました。

葉っぱのフレディは、大きな木の梢の近く、太い枝に生まれた葉っぱです。

そして周りにも数えきれない程の葉っぱがあり、その葉っぱ一枚一枚は、良く似ているけど、一つとして同じ葉っぱは無いことに気づきます。

春から夏へ、そして秋から冬へと四季に生きていくフレディたちは、まるで人間の人生を例えているようで心をうたれます。

葉っぱが紅葉し、やがて枯れ、枝から離れ落ちて
いく事を、引っ越しという表現で表していました。

引っ越しとは、死を意味するもので、すなわちその場所を離れること(死)は、新たな場で次の生命を育む役割と意味付けていたのです。

そうして輪廻転生のように、また土の養分となり、葉っぱとして生まれ変わっていくのです。

レオ・バスカーリアはメッセージにこう書き記しています。

『この絵本を死別の悲しみに直面した子どもたちと、死について的確な説明が出来ない大人たち、死と無縁のように青春を謳歌している若者たち、(中略)へ贈ります。』

死に長い短いはあっても、どんな人生にも必ず四季があると、吉田松陰は言い残しました。

葉っぱのフレディのように、四季があり
お役目を果たしてまた、土へかえり生まれていく。

この人生は終わっても、命は続いていく。
死とはそのようなものかもしれません。

長女がこの葉っぱのフレディを繰り返し読んでいます。彼女はどう感じているのでしょうね。

心温まる、素敵な絵本でした。

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夫婦だもの

師匠のご自宅で、映画『夫婦だもの』を観ました。

てんびんの詩など、数々の企業教育映画を
プロデュースされた、故竹本 幸之祐さんの
作品です。

舞台は金沢。地元のパン屋を営む『大昭パン』は、
進出してきた全国チェーンの大型店にお客を
奪われ、苦しい商売を強いたげられます。

夫婦で頑張ってきた地元店は、この深刻な状況に
よって様々な問題が生じるのです。

ついに無気力化した夫に対し、妻は商いの
原点に立ち返り、お客さま目線に立った
商売を一から始めるのです。

売ることが目的ではなく、お役立ちすることの
手段としての商いがある。

ただ安くパンを提供するのではなく、
朝食に焼きたてのパンを提供する。

その理念が、早朝に焼きたてパンを配達すると
いうお役立ちに変化して行くのです。
またに、お客さま目線を行動でしめしたのです。

そうした妻の地道な活動に心を打たれ、
次第に夫も活力を見いだします。

そして地元の方々に信頼され必要とされ、
売上はどんどん伸び、愛される商いの素晴らしい
モデル店となってゆくのです。

こんな印象的な言葉で、締め括られました。

『夫婦とは、苦しみは二人で分かち半分に、
喜びは二人で寄せあい二倍にできる。』

夫婦の絆、商いの原点を学ばせて頂き、
心がじわっと温かくなる時間でした。

猪熊弦一郎

昨日の日経新聞に、猪熊弦一郎の世界が
掲載されていました。

東京にあるJR上野駅の改札には、猪熊弦一郎
画した『自由』という名の大きな壁画があります。

写真が掲載されていましたが、非常に存在感の
ある大きな壁画です。

1945年の終戦後には、戦争で親を亡くした
多くの子供や復員兵らが上野駅に身を寄せていた
といいます。今では想像も出来ないことです。

この『自由』は1951年、上野駅の殺伐とした
人々の心をなごませたいと願う、ある青年の
発案から作られたそうです。

当時は絵の具が思うように手に入らず、
進駐軍のペンキを使いました。

制作には、古い工場の壁にパネルを何枚もはって
足場を組んだそうで、窓ガラス1枚も残っていない
工場内には寒風が吹き抜け、ストーブで手を
温めながら絵筆をにぎったといいます。

壁画には、リンゴを収穫する女性、猟師や木こり、
スキーをする若者などが描かれていて、
にぎやかな雰囲気をかもし出しています。

しかし、実際には駅の案内所や看板、
垂れ幕などが壁画の一部をさえぎっているそうで、
雑踏の中、絵を見上げる人は皆無だと
書いてありました。

なぜこの壁画が生まれたのか。

その想いや歴史を省みることで、
少し立ち止まって感じてみる。

そんな事こそが、心豊かになる教養だと思います。

次、東京へ行く際には、上野駅に寄って
この絵をじっくり眺めたいと思います。

そして、香川県丸亀市にある『猪熊弦一郎美術館』
にも近々行ってみたいと思います。