dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

モリのいる場所

夫婦で映画『モリのいる場所』を観て参りました。

毎週水曜日はチケット代が1,100円となり、とてもお得な上、平日なので人が少なくとてもゆっくり観られることが嬉しい限りです。

この映画は実際にいた画家、熊谷守一さんの晩年の頃をモデルにした物語です。

熊谷守一さんは昭和52年7月、97歳で亡くなられましたが、晩年はご自宅の家、庭から約30年間ほとんど出ず、毎日庭に住む植物、蟻やカマキリ、蛙や猫などを観察し、夜中に絵を描くという人生であったといいます。

画家でありながらも欲がなく、名誉にも興味がないので清貧、生活は大変だったといいます。

しかし、その人間の常識的な日常生活にとらわれることなく、必要以上の繋がりや物を持ちたがらず、ゆっくりゆっくり生命を感じて生きる。実はそんな生き方こそが本当の意味での豊かさであるのではないかと、ハッとさせられました。

庭で寝転びながら、じっと蟻を観察している時、
熊谷家に来ていたカメラマンにこう言うのです。

『最近になって気づいたんだが、蟻は左の2番目の足から歩いてるね。』

それを聞いたカメラマンは、守一と同じ格好になり、蟻を観察するのですが、蟻の動きが早くてよく見えません。

そこで守一は何度もいいます。

『ゆっくり観て』と。

このシーンはとても印象深く、私の心に残りました。

スピードが要求されることが多い今の世の中で、ゆっくりと何かを観たり、ゆっくり物思いにふけったり、熟考したりすることがいかに価値があり、生命に深い豊かさと感動を与えてくれるものであるか、そこに気づかせて貰いました。

物の豊かさ、便利さも大切ですが、心の豊かさこそ本来生きる喜びである。

また私の人生の中で、養分となり生き方に影響を与えてもらいました。

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大林監督とがん

前回の続きになりますが、いのちのセミナーより、大林宣彦監督からのメッセージで心に残ったことを書き残します。

大林監督は、2016年8月24日に末期の肺がんと診断され、余命3ヶ月と言い渡されました。それも、映画『花筐』の撮影に入る前日だったのです。

それから『がん』との共同生活が始まりました。

がんも一生懸命に生きている。

そう思うと自分はがんを住ませてやっている宿主、がんは住ませてもらっている宿子として考えるようになったのです。

大林監督はいつも、がんとこんな会話をするそうです。

『おい、がん君。君もしっかり生きていたいだろう?だったら宿主である俺をあんまり困らせちゃだめだよ。宿主の俺がしんじゃったら、君も死んじゃうんだから。』

だから余命3ヶ月と言われても、今もこうやって元気に暮らされているそうです。

そして同時に、

『まてよ。俺だって地球の宿子だ。我々人間はみんな地球の宿子。だったら宿主の地球を困らせることはしちゃならない。』

そんな風に、がんになる事80歳ではじめて気づかれたのです。

人間というものは、自分の命は大切にして、動物・植物などあらゆる生命も含めて他人の命は不幸にしてしまう。

自分の命も、蚊の命も、草の命も、地球からすればどれも大切な命です。

自分の命のように、あらゆるものを大切に思えたなら、世の中はもっと良くなっていくのでしょう。

大林監督の言葉には一つ一つ気付かさせられ、考えさせられるものがあります。

日本を代表する素晴らしい映画監督です。

いのちのセミナー

本日、JR西日本あんしん社会財団が主催する、『いのちのセミナー』に参加させて頂きました。

以前ブログでも紹介致しました、映画作家
大林宣彦監督が講師だったこともあり、非常に楽しみにしておりました。

大林監督は、日中戦争の最中の1938年に広島県尾道でお生まれになり、少年時代は軍国少年として育ちました。『いつかはお国の為にご奉公するんだ』という強い思いを持っていましたが、敗戦を迎え、価値観も教育も180度変わり果てた世の中で、どう生きていけばいいのかわからなくなったそうです。

生きている人間が死んでいるように見え、逆に死者が生きているようにさえ感じたといいます。

そんな記憶が、これまでの人生の根底に流れ、ある意味では力となってきました。

あれだけ鬼畜米英、赤鬼だ青鬼だ!と教えたのは大人たちでしたが、敗戦後に大人たちは、平和になった!戦争しなくてよくなった!と手のひらを返したように代わってしまったのです。

そんな大人の姿を見て、大人への絶望感、つまりは未来への絶望を余儀なくされたといいます。

この時代に生きた方々、特に縁の深かった黒澤明監督、ミッキーカーチスさん、立川談志さんなど、みんなそのような思いをされていたそうです。

印象深い話がいくつもいくつもありましたが、その中で立川談志さんのエピソードは、私の心に強く強く刻まれるものがありました。

談志さんは寄席の最中、お客さんが一人でも寝ているのを見ると、落語を中止して舞台袖にはけていくことがあったのです。

自分の落語を聞かない無礼な奴だ!というような理由ではありません。

その理由とは、戦時中は夜寝る時間以外は絶対に寝てはいけなかったからなんです。寝ることを許されない国民学校で叩き込まれた精神が談志さんには根付いていたのです。

そして、自分が起きている間はあの戦争で亡くなっていった人達の分まで、この命を大切に使うんだと決め、命がけで落語をしているからなのです。

そんな思いを持ち、命を使っている相手に対して寝ている人間がいると、そんな人間に話などしたくないと思うようになった。

これはやはり、あの時代を生きた人の感覚なんだと言われていました。

敗戦少年という言葉で表現されていましたが、そんな経験をされ、わずか小学生ぐらいの年齢から生きる希望までを見失ってきた方々の想いを聞き、とても考えさせられるものがありました。

大林監督は、2016年8月24日に肺がんが見つかり、余命3ヶ月を宣告されています。

それでもいいます。戦争で死ねなかった人間がガンごときでは死ねないと。

あと30年映画をとると言われていました。
本当にそのよいな監督の姿を見ていけたらと思いました。

素晴らしい講演、心から感謝致します。

5月12日

5月12日、先祖への墓参りに家族で行って参りました。

いつも御供えの花を買うのですが、その花の中に、赤いカーネーションが入っておりました。

母の日にちなんで選んでくれたのでしょう。

お墓には祖母と母が入っています。生前には、母の日にカーネーションなど渡したこともなかったのですが、今となってですが少しでも喜んで貰えてたら佳いものです。

ちなみに妻には、今年は紫陽花をプレゼントしました。

私が紫陽花を年々好きになっていき、どうしてもベランダで育てていきたいという気持ちが強くなったことが大きな理由ではありますが・・。


その日の夜には、小・中・高と同じ学校の同級生の結婚サプライズパーティーに参加させてもらいました。

なんと23年間お付き合いし、結婚に至ったのです。

夫婦の数だけ物語がある。

本当に幸せになってもらいたいものです。

我が家も家族四人、健康には一番留意して、出来るだけ、げんきよくきげんよく日々を暮らしていきたいと思います。

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別れの曲

今年も、私が習っているピアノスクールでは、発表会が開催されることになっています。

私が今年選んだ曲は、ショパンの『別れの曲』です。

メロディーが本当に好きで、少しずつでも引けるようになってくると、ずっと引いていたくなります。

当然歌詞などありませんが、この切なく美しいメロディーは、心に染み込んで癒されていきます。

いつかはこの世と、大切な人と、別れるときがくる。

そんな事を想いながら練習をしていると、この世界に身をおいていたい執着心や、生きあっている人々との時間の愛おしさが、浮き彫りになってくるのです。

発表会は11月23日。後半年以上あるので、自分のもっているものが出しきれるように、練習をがんばります。

大叔母の通夜

ゴールデンウィークの真っ只中、
父方の大叔母が97歳でこの世を去られました。

京都は伏見に住んでいたため、私は幼いころから『京都のおばあちゃん』と呼んでいました。

年に数回ですが、京阪電車に乗って伏見稲荷駅までいくことが、とても新鮮で冒険のようにワクワクしていたことを思い出します。

成人してからは、1度会ったかどうかというぐらいになってしまいましたが、最期の通夜に会いに行けて良かったと思いました。

遺影や、眠られるお顔を拝見しますと、私のおばあちゃんそっくりでありました。

97年のご苦労、そして沢山の喜びを与えた人生だったと思います。

私も、すこしでも人に喜びを与えられるものにしていきたいと思います。

10年

今年の5月1日で、今の仕事を始めて丸10年を迎えることが出来ました。

10年という月日は、本当にあっという間ですが、思い返せば沢山の経験や思い出があり、そのすべてが自分を大きく成長させてくれていた光輝くものだったと思います。

そして、そのほとんどは自分からではなく、師匠をはじめ、書先輩方々、仲間、お客さま、友人、家族などなど、人の支えがあってこそであり、改めて、自分一人の力などは微塵もなかったと思うのです。

そうやって、ある意味こういった節目に自分の人生を振り返ることで、『感謝』を忘れる事は人間の堕落に繋がるのだという点を改めて感じさせられます。

私もこの10年の中で、感謝を忘れて傲慢になっていたことが何度もありました。どこかに慢心、自分はイケている?という勘違いも、恥ずかしながら持っておりました。

そんな時は、決まって失敗という道にたどり着くものです。

やり直しがきかないのが人生。
されどあらためられるのも人生。

この繰り返しによって、大切なことを少しは理解出来てきたように思います。

また次の10年に向かって、どんな経験があるのでしょう。それを考えると楽しみではありますが、まずはこの仕事の目的、『出会った方・ご縁のあった方・お客さまの人生を、物心共に豊かにする!』を愚直に行って参ります。

安全と安心

リスクマネジメントのプロなら、リスクファイナンスに『安全』という言葉は使っても、『安心』という言葉は使ってはならないと師匠は言います。

『安全』と『安心』には、似ていますが、きっちり使い分けをするべきだということです。

『安全』とは辞書を引くと、危なくないこと。物事が損傷・損害・危害を受けない、または受ける心配のないこととあります。

そして、『安心』とは気にかかる事がなく、またはなくなって、心が安らかなことと書いています。

すなわち、『安全』という状況を作り出すのは明確な手段、手法であり、『安心』は、その安全の状態が成り立ってはじめて生まれる心の状態なのです。

だから、安全第一とか安全運転とか、リスクマネジメントには『安全』に対する手段が問われるのですね。

安心第一や安心運転とは言いません。

リスクマネジメントのプロは、まず人々に『安全』を提供する手段を伝えなければなりません。

その向こう側に顧客の安心が生まれる。

こうすれば『安心』ですね!の前に、『安全かどうか』を問える仕事をしていかなければならないことを、改めて思う師匠との時間でした。

ラッキーガーデン

先週の土曜日に、生駒にあるラッキーガーデンという森の中のレストランに、家族みんなで行って参りました。

生駒山の中腹にあり、羊やヤギと触れ合いながらスリランカ料理が楽しめるお店です。

スリランカ料理で用いられる、独特な黒胡椒を使ったオレンジケーキやイチゴアイスなどを、自然の中で楽しませて頂きました。

子供たちも、最初は羊やヤギに恐る恐る近づいていましたが、なれてくると頭や体を撫でてやったりと、面白がっていました。

夜から商談がありましたので、少しの時間でしたが、リフレッシュできたように思います。

自然というものはいいですね。
自然は人を評価しませんから。

佳い時間を過ごさせて頂きました。

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和望の会

本日、第2回目の『戦争体験者の思いをつなげる会』を、京都は烏丸御池のカフェで、させて頂きました。

名前を変え、和を望むとう意味を込め、『和望(かずみ)の会』とさせて頂きました。


今回は新たに2名の方が参加して下さり、私を含め6名で、平和とはなにか、戦争とはなにかを大いに語らいました。

今回私からは語り部として、大阪で空襲の体験をされた秋山美代子さんのお話を中心にお話をさせて頂きました。

聞いて下さった皆さんが、丁寧に全身を傾け、傾聴して下さる姿に有難いと思いつつも、改めて、人の体験をお話することの難しさを痛感致します。

とくに、私は体験者ではないという点は、変えようもない事実だということ。

ここには細心の注意を払わなければなりません。

誇張したり、感情が入ってしまうと、虚偽になりかねません。

かといって、やはり戦争という事実な、あの経験をされた方々の想いは、しっかり後世に繋いでいかなければならないのも事実です。

まだまだ経験の不足さ故にでる難しさ。

そこと向き合ってまた新たに活動して参ります。

この会に協力頂いた『cafe yokoso』のスタッフ関係者、また来てくださった方々に感謝いたします。