dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

トゥルーマン・ショー

1998年の映画『トゥルーマン・ショー』を観ました。

あらすじは以下。

トゥルーマン・ショー」という長寿テレビ番組がある。赤ん坊の時にテレビ局に売られたトゥルーマンの人生を盗み撮りして、かれこれ30年近く、ひたすら24時間放映し続けている。

トゥルーマンが暮らす島は、実はハリウッドが巨額を投じて作った巨大な半休形のドーム内であった。

そこに住む人々は皆良い人。彼は家族にも恵まれ、それなりに幸福に暮らしている。

しかし、彼の周りの人々は、みんな俳優やエキストラ。両親や妻、親友にいたるまでも。

それを知らされていないのはトゥルーマンただ一人だった。

この番組は、つくりもののドラマにはないリアリティがあり、皆テレビに釘付けとなっている。

ところが、当のトゥルーマンはふとしたことから自分の人生はニセモノではないかと疑い始める。

これまで何の疑いもなかった現実が、実は本物ではないのではないか。この問いから、彼の大きな冒険が始まる。


映画としてストーリーの興味深さはもちろんなのですが、これは2,000年以上前にプラトンによる著書【国家】に登場する【洞窟の比喩】に元ネタがあったのです。

洞窟の奥に閉じ込められている人々。人々は、奥の壁しか見られない。その後ろには火が燃えていて、その光が彼らを背後から照らしている。

火の前ではさまざまな道具や人や動物の像が運ばれてくるが、後ろを観ることが出来ないので、その壁に投影されたものだけが目の前に見える。

彼からにとってはその投影された影が、真実世界になっている。


トゥルーマン・ショーも、洞窟の比喩も、何を教えているのでしょうか。

それは、我々も実はトゥルーマンであり、洞窟の人々であるということだと思います。

我々はこの人生において、見てきたもの、教えられたもの、家族や友人、参加するコミュニティが大きな価値観を作り、それが幸せであり、全てであるかのように思い込んでいます。

つまりそれは、実はそう思わされているに過ぎないかも知れない。洞窟の影だけを見ているのかもしれないのです。

それに気づいたら、やはり多面的なものの見方、本質を見る力が必要になると思います。

様々な古典から叡智を養う、出来るだけ広角に勉強する、良い意味で疑念を持つ。そういう事が大切になるのだと思います。

特に、このコロナウイルスについての報道は、まさに洞窟状態?かもしれません。

私もまだまだ浅い見解かもしれませんが、勇気を持って、今、見ているもののその向こう側を見られるよう、日々チャレンジしようと思います。

佳い映画に感謝🍀

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