『成功をつかもう』という浅はかさ
渋沢栄一翁『論語と算盤』をゆっくり読んでいると、心に栄養分が送られるような感覚が致します。
著書の中に、目に見えることだけで、成功とか失敗とかを判断するのは、非常に浅はかであるという言葉があります。
時世の成功だけを求めて、永遠の失敗者となる例えを、歴史から戒めていました。
湊川の戦いで矢尽き刀折れて戦死した楠木正成は『失敗者』で、征夷大将軍の位に上り詰め日本中を支配下に置いた足利尊氏は確かに『成功者』でありました。
しかしながら、現在においては、尊氏を崇拝する人はいないが、正成を尊敬し崇拝する人は日本中どこにでもいます(明治時代は特にそうだったようです)。
また、菅原道真と藤原時平については、時平は当時の『成功者』であり、無実の罪で流された大宰府の地で寂しく月を眺めるしかなかった道真は、当時の『失敗者』であったでしょう。
けれども、今では道真は『天満大自在』として、全国の津々浦々にいたるまで奉られています。
道真の失敗は失敗ではなく、彼はむしろ真の成功者であることを読み解く、非常に分かりやすい例えです。
成功とは、『義』を求めた上での『利』という結果であり、『利』を求めて『義』をかく成功など、真の成功者とは言えない。
とかく現代では、義を欠いた『利潤』に目を奪われがちであります。マスクなどの転売で利潤を獲ようなど、以ての外。
『義』を貫く勇気、格を磨かねばと改めて思う次第です。