第7回いのちのセミナー その②
第7回目のいのちのセミナーの続きとなります。
講師は、福井県霊泉寺の住職であり、青森県恐山菩提寺の院代を務める、南 直哉氏です。
前回、何故生きているのか?それな解がなんとか分かるようになる救いがあると書きました。
それは、出てきた瞬間に、よくぞ出て来てくれましたと受け止めてくれる手があるということ。そしてそれが親の役目であること。
親のその言葉、愛情によって、自分の命や生きていくことの価値をちゃんと実感できていくのです。
しかし、この価値を見いだせず、与えられなかった人は少なくないといいます。
その中の一人、75歳の女性の話がありました。
この方は生涯独身であったので、お金には多少の余裕もあったことから、高級老人ホームに入居していました。
しかし、なかなか周囲の人間と馴染めず、違う老人ホームに移ったそうです。
移ったホームでも同じように仲間外れにされてしまい、悩みを聞いてほしいと、住職の南さんを尋ねて来られたというのです。
住職には、『また違う老人ホームに移ったほうがいいですか?』と、そんな風に聞かれたそうです。
その前にあなたのことを聞かせてほしいと、様々な話を聞き、この方がなぜ仲間外れにされるのか分かりました。
それは、親から受け止められてこなかったという事でした。
遡ること昭和20年半ば、戦後の貧しい暮らしの中で、この方はまだ『つ』のつく歳に、兄弟3人の面倒をみていたといいます。
親は離婚し、母が育てていました。困窮する経済状況から、母親は水商売で生計を立て、毎晩遅くに酔っぱらいながら帰宅してたといいます。
殆ど毎日、酔っぱらって帰宅した母親に、お水を入れてあげていたそうです。
ある日、母親がいつものように泥酔しながら帰宅し、テーブルに座るなり顔を埋めていました。
いつものように、お水を差し出した時です。母親はこのような言葉を発したのです。
『あんた達さえいなければ・・・』
もちろん、他の兄弟は寝ています。
母親も、次の日にはけろっとしていて、そんな言葉を発したことも知りません。その言葉を知っているのは、この世でたった一人、この方だったのです。
『あんた達さえいなければ・・・』
その続きに、何を言おうとしたかはわかりません。ですが、実の母親から出た信じがたいその言葉をずっと受け止めて来られたのです。
いちばん信用できる人が信じられない人生。
いちばん愛情をもらえる人からもらえなかった愛情。
この事が大きなトラウマになり、人を信じることが出来ない人生を生きてこられたのです。
だから、老人ホームでも人との関わりかたが素っ気なかったので、周囲から無視されていったそうです。
住職はこう答えたそうです。
『あなた、もう30年も生きようも思わんでしょ?だったら、あなたが今からするべき事は、老人ホームを移ることじゃない。母親を許してあげることですよ。』と。
誰かを許すということは、実は自分を許すということです。
誰かを許す、その自分を許すということなんです。
人を許せないのは、その人を許す自分が許せないからです。
その住職の言葉はとても胸を打つものがありました。
それから、その方はどうなったかは知らないといいます。しかし、なにか残りの人生に変化があれば佳いなと願います。
私はこのセミナーを通じて、命の価値、存在している価値を、親から日々、子供たちに伝えてあげることの大事さを学びました。
そして人を許すは、自分を許すこと。
肝に命じて、思い通りにはいかない人生も、たまに棚ぼたのある人生も、味わっていこうと思うのです。