dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

いのちのセミナー

本日、JR西日本あんしん社会財団が主催する、『いのちのセミナー』に参加させて頂きました。

以前ブログでも紹介致しました、映画作家
大林宣彦監督が講師だったこともあり、非常に楽しみにしておりました。

大林監督は、日中戦争の最中の1938年に広島県尾道でお生まれになり、少年時代は軍国少年として育ちました。『いつかはお国の為にご奉公するんだ』という強い思いを持っていましたが、敗戦を迎え、価値観も教育も180度変わり果てた世の中で、どう生きていけばいいのかわからなくなったそうです。

生きている人間が死んでいるように見え、逆に死者が生きているようにさえ感じたといいます。

そんな記憶が、これまでの人生の根底に流れ、ある意味では力となってきました。

あれだけ鬼畜米英、赤鬼だ青鬼だ!と教えたのは大人たちでしたが、敗戦後に大人たちは、平和になった!戦争しなくてよくなった!と手のひらを返したように代わってしまったのです。

そんな大人の姿を見て、大人への絶望感、つまりは未来への絶望を余儀なくされたといいます。

この時代に生きた方々、特に縁の深かった黒澤明監督、ミッキーカーチスさん、立川談志さんなど、みんなそのような思いをされていたそうです。

印象深い話がいくつもいくつもありましたが、その中で立川談志さんのエピソードは、私の心に強く強く刻まれるものがありました。

談志さんは寄席の最中、お客さんが一人でも寝ているのを見ると、落語を中止して舞台袖にはけていくことがあったのです。

自分の落語を聞かない無礼な奴だ!というような理由ではありません。

その理由とは、戦時中は夜寝る時間以外は絶対に寝てはいけなかったからなんです。寝ることを許されない国民学校で叩き込まれた精神が談志さんには根付いていたのです。

そして、自分が起きている間はあの戦争で亡くなっていった人達の分まで、この命を大切に使うんだと決め、命がけで落語をしているからなのです。

そんな思いを持ち、命を使っている相手に対して寝ている人間がいると、そんな人間に話などしたくないと思うようになった。

これはやはり、あの時代を生きた人の感覚なんだと言われていました。

敗戦少年という言葉で表現されていましたが、そんな経験をされ、わずか小学生ぐらいの年齢から生きる希望までを見失ってきた方々の想いを聞き、とても考えさせられるものがありました。

大林監督は、2016年8月24日に肺がんが見つかり、余命3ヶ月を宣告されています。

それでもいいます。戦争で死ねなかった人間がガンごときでは死ねないと。

あと30年映画をとると言われていました。
本当にそのよいな監督の姿を見ていけたらと思いました。

素晴らしい講演、心から感謝致します。