dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

生きあう

今日、私のお客さんとお会いする約束でしたが、なんと婚約者を連れてきて下さいました。

3月14日に入籍されるそうです。

幸せに満ちたお二人の雰囲気が、微笑ましいものでした。

お付き合いをされて1年半。

この恋が、きっと深い愛情となり、
この人生で一番大切なパートナーとして長年、生きあう事でしょう。

私は、生きあうという言葉が大好きです。

人は、一人だけで生きてはいません。
人と生きあっています。

明日も大切な人と一緒に生きあいましょう。

定義

職場の歓迎会でした。

お酒の席というのは、本音で語らいあったり、議論しあったりする事があります。

ついつい、人の意見に反論したり、自分の考えを押しつけたりしてしまいがちです。

だからこそ、こんな時にも、忘れないようにしているのが、【定義】です。

例えば、『親友はいるか?』という話になった時、親友はたくさんいると答えた人がいたとします。

それに対して、親友などたくさんいるはずがないと、反論した人がいます。

果たして、この会話は成り立っているのでしょうか。

これは成り立っていません。

なぜなら、『親友』とは何かが、
お互いに定義付けられていないからです。

定義付けをして議論する。

特にお酒の席では必要になるのではないでしょうか。

今日も一日、お疲れさまでした。

正義感という違和感

日本の、ある消防士のドキュメント番組を見ていました。

2001年に起きた同時多発テロ。その現場であるグランドゼロに、外国人として初めて立った日本人消防士の物語です。


事のはじめは、テロが起こる3ヶ月前になります。ニューヨークで世界70国から集まった消防士さんたちの、オリンピックともいえる大会がありました。

そこで日本人消防士さんが見事優勝されました。その夜はアメリカの消防士チームと健闘を称えあえ、共にお酒を交わしたそうです。

また会おう!そう約束した矢先、あのテロ事件が起こります。

大会に出場した、日本人消防士の一人が、共にお酒を交わしたアメリカの消防士に安否のメールをします。

11日経ってようやく返事がありました。その内容は、『助けてほしい』でした。

メールを読んだその消防士さんは、なんと休暇を取り、共に大会に出場した仲間たちと、ニューヨークへ向かうのです。

それは、誰にも止められない正義感が動かしたものでした。

ここで私は、この正義感というものに違和感を感じました。

たった一度、大会で競いあった、それも異国の同士のために、現地に行くという判断をした、その正義感にです。

確かに助けてあげたい。そんな思いは、私にも沸いてくるはずです。

しかし、これは公務ではなく、自主的な判断です。

もし、正義感というものを冷静に考えた時、一番守るべきものは何でしょうか。

私は家族を守りたいと思います。

テロ事件が起こったニューヨークで、すぐさま次のテロが起こるかもわかりません。危険度は最高潮にある場所です。

もしもの事があった時、一番大切である家族を置き去りにしてしまうことが、果たしてその決断は正義でしょうか。

日本で大火災が起こった場合、本来居るべき方がいらっしゃらなければ、どうなるのでしょうか。

この方々の行動力、正義感は凄まじい力がある半面、本来居るべき場所、選ぶべき正義はそこではないように思いました。

感動的な物語ではありますが、正義感というものに違和感を覚えた時間でした。

人は感情で動く生き物。
だから、感動と書きます。

私は非常に冷血だと思われるかもしれませんが、感情の主体を、本当に大切なものに使いたいと思いました。

消防士でもない私が、偉そうに書きましたが、
自分の意思を確認する意味でも、
書い留めてみました。

お金で幸福は買えるか?

村上龍さんの『おしゃれと無縁に生きる』を読んでいます。

物事の本質を捉える独自目線には、勉強させられる一冊です。

その中に、『お金で幸福は買えるか』というテーマがありました。

そのテーマに、村上さんは全く興味がないとおっしゃています。

なぜなら、『幸福という定義が曖昧だから』です。

確かに幸福感というものは、感じるポイントが千差万別なるものです。

しかしながら、『お金があれば、不幸をある程度回避できる。』と定義づけられているところに、非常に納得感がありました。

お金があれば、趣味などを持つことが出来たり、旅行に行ってリフレッシュすることができます。

また、定期的な健診、スポーツジム通い、管理された栄養のある食べ物を摂取したりと、健康作りにも充分留意することができます。

お金で幸福は買えるかわからない。
しかし、不幸は回避できる。

この定義に、非常に賛同いたしました。

不幸を回避するお役立ち。

それこそが私の仕事だと思います。

今日も気付きを頂きました。
ありがとうございます。

動物たちに学ぶ

昨日、家族で動物園に出掛けました。

天気もよく、風もなく気温も高め。
出掛けるには最高の午後でした。

市内の中心部にあるこの動物園は、実に12年ぶりです。

暫く工事をやっていましたが、園内も園周辺も、とても綺麗になっていたのには驚きました。


さて動物園には、沢山の動物たちがいますが、中でも生態に驚いたのは、コアラです。

コアラは、24時間のうちの15時間以上眠っているようです。

ですからコアラを見ても、気持ち良さそうに眠っているところでした。

しかしながら、大勢の来場者が、コアラの愛らしく眠る姿を見ては、かわいい、かわいいと声を上げて癒されていました。


また、猛獣エリアのライオンは、さすがの迫力でした。

威厳のあるたてがみ、堂々とした姿を、たくさんの人がカメラにおさめていました。


ゾウやキリンの大きさ、鋭い目をした鳥たち、可愛らしいペンギンの姿に美しい柄の猫科の動物たち。

動物たちはそれぞれ、姿、形が全く違います。

そんな動物たち1つ1つのエリアそれぞれに、たくさんの人が魅了されている。

それは、動物たちが、何か他の動物になろうとするわけではなく、ありのままの姿でいるからだと思います。

人の魅了も同じだなぁと思うのです。

自分を高尚な人に魅せたり、知識をひけらかしたりするのは、反って魅力的に映りません。

素直で、謙虚で、ありのままの自分で生きる人には、魅力を感じます。

動物たちのように、ありのままの自分で生きたいものだなぁと、感じました。


有り難いことに、
今日も家族で幸せな時間を過ごせました。

ソフトボール

今朝は、いつもよく我がソフトボールチームの面倒をみて頂いている、キングスさんというチームに混じって、練習試合をしてきました。

場所は、Panasonic内にある、人工芝グラウンドという素晴らしい環境でした。

人工芝は、天気がいいと太陽の照り返しが強く、この2月であっても、少し動いただけで汗が滲みました。

久しぶりに、打って投げて走る。スポーツで身体を動かすことは、リフレッシュになりますし、身体が喜んでいる事が、犇々と伝わりました。

明日は筋肉痛でしょう。

それもまた心地よく感じるものです。

こうやって、当たり前のように身体を動かせることを当たり前と思わずに、感謝しなければなりませんね。

当たり前と思うことが、知らず知らず人生をつまらなくするものですから。

今日も一日、ありがとう。

必要でないものは、必要でないと言うことが必要!

今朝早くに、私のお客さんである、ある会社の社長から電話を頂きました。

この社長から、同じ会社の役員さんをご紹介頂いたのですが、その紹介を私にして下さった理由をお話下さいました。

その理由は、私が

【必要でないものは、必要でないと言える事も、この仕事には必要です。】

といった事にあるようです。

この社長は、私がお伺いした時に、何か安いものがあったら買ってやろうと思って下さったようです。

しかしながら、私はそれを拒否しました。

そこに、紳士さと信用を頂きました。

商売をしていると、これは必要でないという物まで、必要だと言ってに売り付ける人もいます。

という私も、喉から手が出るほど契約頂きたい欲が出るときもあります。

しかしながら、必要でないもは必要でない!と言えることも、商売をしていく中で大変必要な事だと思います。

この事が伝わったこと、またそれをしっかりフィードバック頂く社長の優しさに、また勉強をさせて頂きました。

石田梅岩さんを見習い、
正しい商売を志していこうと思う次第です。

光陰矢のごとし

欲望中心の生き方では、
欲望は永遠に満たされない。

使命中心の生き方こそ、
生きる意味を感じることができる。


自分が人生に期待するのではなく、
人生があなたに期待をしている。


今日もフランクルの言葉が、
じわぁっと心に染み渡りました。

言葉との出会いも、ご縁だと思います。

今、置かれている立場がどんなに苦境でも、何かがその人を待っています。

だからこそ、不平不満だけに終わらずに、意味を問い、自立した一人間として行動していこうと思います。

『光陰矢のごとし』

月日はあっという間に過ぎ去ります。

毎日、毎日、味わい深いものにしていきたいものです。

比較・評価の時代は終わりにしよう

毎日の暮らしを、ただただ業務のようにこなすのではなく、一つ一つに意味付けをしていく事で、人生が味わい深いものになっていきます。

学ぶことを放棄すると楽になりますが、人生に奥行きはでません。

失敗と成功。
損と得。
苦と楽。
憎しみと愛情。

そんなものに、私たちは右往左往しがちです。

そういった比較評価の人生は、そろそろおしまいに致しましょう。

失敗の中にも、成功の中にも
損の中にも、得の中にも、
苦しみの中にも、楽しさの中にも、
人を憎く思ったり愛したりする中にも、

『意味を問う』のです。

それがきっと、自分の人生をかけがえのない深いものにしていきます。

ふと思う 今日の魂 格となれ

娘の作文

テーブルの上に、長女が書いた作文が置いてありました。

見ると、とびばこがうまくなったこと、そして毎日ご飯を作ってくれるお母さんへ、ありがとうの言葉が添えてありました。

素直な気持ちのある温かさと、
本当にうまくなったなぁと思う字体に、
嬉しくなりました。

この作文を読んで今日の日が終わる。

幸せです。

娘よ、とっても有難う。