動く芥川龍之介
録っていた『あらすじ名作劇場』。
なんと、昭和2年に撮影された、芥川龍之介の映像が紹介されました。
動く芥川龍之介。これは本当に貴重な映像です。
しかも、木登りをする芥川です。
ただただ凄い。
最近はよく、テレビの番組を録画しています。
その殆どが、歴史や教育、文学番組です。
そして夜のゆっくりとした時間に、味わうように観る。これがなんともいえない、至福の時になります。
昔はバラエティーやお笑い番組が好きでした。
しかし、今はもう殆ど観ません。
歳を重ねてきたこと、そして、自分が求めるものが変わってきたことも大きいでしょう。
将来的には、妻や、友人や、時には一人でぶらぶらと、歴史に触れる旅を、たくさんしたいなぁと思います。
歴史は繋がってきた道。
その道を戻っていく旅。
ライフワークにしていきたい。
そんな想いを巡らす、夜の一時でした。
正しさよりも、優しさを!
阿部寛と天海祐希が夫婦役の映画、
『恋妻家宮本』を夫婦で観にいきました。
一人息子が結婚し、夫婦だけの生活が始まったそんなある日、夫の阿部寛が、妻である天海祐希が書いた離婚届を見つけることで、ストーリーが展開していきます。
コミカルで何度も笑わせてもらいましたが、感動も多く、心がじわりと幸せな気持ちになる映画でした。
この映画の中で、非常に印象に残った言葉があります。
それは、『正しさ』よりも、『優しさ』という言葉です。
正しいことはもちろん大切ですが、時に正しいを求めることで、衝突し合うことがあります。
戦争のように、正しさと正しさはぶつかり合う。
しかし、優しさと優しさは、もっと大きな優しさを生む。
この映画を観て私は、自分には正しさ(正しく生きる姿勢)を、人には優しさ(優しく接する姿勢)を、スローガンの一つにしていこうと思いました。
また、映画のテーマソング『今日までそして明日から /吉田拓郎』が、この映画とマッチしていました。
早速、レンタルCD屋さんに向かいました。
良い映画をありがとうございました。
少子高齢化にテーマをもって
日本人の人口は減少していきます。
世に言う『少子高齢化』です。
少子高齢化に伴う生産力(国力)の低下、高齢者の増加に伴う社会保障や年金の危機など、多くのメディアがそれを煽り、その類いの本、雑誌が連日のように露出されています。
そうして、我々の老後には年金制度は崩壊しているのではないか?と、漠然とした不安を持つ人や、そんな老後にどんな対策を講じてよいかわからないという30代、40代も多いように感じます。
そんな、ネガティブ一色の未来予想図が描かれる我が国ですが、少子高齢化自体が悪いことではありません。
確かに、今までの経済価値で考えれば、マイナス要因は多いと思います。
しかしながら、発想の転換を行えば、プラスに働く面は、非常に多いように思います。
そもそも、『老い』とはなんなのか?
まずはこの問に、一人一人が向き合い、答えを見いだしていく事がとても大切な時代になると思うのです。
必ずしも、老い = 衰え ではありません。
体力や記憶力は低下します。
また、自立度も、歳を重ねれば重ねる程に、低下していくのは、医学的にも分かっています。
しかしながら、歳を重ねれば重ねる程、増えていくものがあります。
それは、情緒と経験です。
情緒は人の心を豊かにします。そして、経験こそは、次世代への大きなプレゼントになります。
この情緒と経験を、今の30代、40代が意識し、培っていくことができれば、どれだけ幸福感の多い社会が成熟するでしょうか。
そんな、幸福感を持つ高齢者が世の中に増えれば、物質的な豊かさが多少なくても、世の中は明るいと思うのです。
もちろん、物質的な豊かさも必要です。その為には、今から準備していくことは必要です。その術も、日々お伝えしています。
しかしながら、心の豊かさは、学んで学んでいかなくてはなりません。
私のテーマは、ここにあります。
昨年秋、『高齢社会エキスパート』という資格を取得しました。
そして月1度、老年学の勉強会に参加しています。
物心共に豊かにする。
そんな大人が一人でも創造できる社会。
その一助になればと思う次第です。
私自身がまだまだ。
課題は山積みですが、テーマへ挑戦して参ります。
一足早い、バレンタインデー
今日は、長女と妻が、
手作りのカップケーキを作ってくれました。一足早い、バレンタインです。
一生懸命に作ってくれました。
長女的には、形があまりうまくいかなかったようで、
『あんまり可愛くないけど!』
『うまくいかなかったけど!』
と何度も言っていましたが、一番見映えの良いケーキを、私にくれました。
味はとても美味しく、長女に伝えると、照れたように喜んでくれました。
まだ当分、バレンタインデーにチョコを渡すお相手は、私であってほしいなぁと思う今日の午後でした。
ひつじのショーン救出作戦!
今日我が家では、ピアノの下部分と、壁との小さな隙間に落ちた、ひつじのショーンフィギュアを救出する、一代プロジェクトを行いました。
事の発端は、以前次女が、ピアノの下にショーンのフィギュアを落としてしまったことでした。
ピアノの下には、ペダルの部分があり、大きな隙間ができています。その隙間に入り込んだので、もう取れないと、妻も娘二人も諦めた様子でした。
そこで、私が出動。
『お父さん、無理やって!』
『どうせ失敗に終わるって!』
と小学1年生の長女。
何もしないで諦めようとしている長女に、これは実践教育だ!と思い、こう言いました。
『何もしないなら、変わらないよ。でも、チャレンジすれば、失敗に終わるかもしれないけど、何もしないよりは、ショーンを救出できる可能性は上がる!』
そして、救出プロジェクトを決行致しました。
隙間のものでも取れるように、新聞紙を細く丸め、先っぽを折り、ピアノと壁の隙間に入れてみる。
一回目は失敗に終わる。
しかし諦めない。
もっと長くしたものに、ガムテープを貼り、ショーンが運良くくっつくかもという作戦。これも失敗。
まだまだ諦めず、逆側から新聞紙を差し込んでぐいぐい押してみる。
そうすると、ショーンが少し顔を覗かしている。
根気と集中力を高め、何ども手を伸ばしていくと、ついにショーンを救出することが出来ました。
最初は無理と思っていた娘たちも、ワァーっと喜びの声をあげてくれました。
諦めなかったら、目的を達成できる確率はぐんと上がるということ。
またそれよりも、
諦めないというプロセスの中にこそ、面白い時間があるということを、少しでも伝えられたと思うと、佳かったなぁと思います。
ひつじのショーン救出作戦、
無事に成功。
ショーンも、喜んでくれているでしょう。
3つのLIFE
LIFEには、3つの意味があります。
それは、
『暮らし』『人生』 そして、
『命』です。
私も含めて、現代人は『暮らし』の事で毎日がいっぱいになっているように思います。
給料は多いか少ないか?
子供の教育費はどれくらいかかるのか?
あの人と一緒になるのは嫌だ。
こんな家に住みたい。
少しでも損をしたくない。
などなど。
もちろん、そういった暮らしに関する考えは、大切だと思います。
しかし、暮らし一辺倒の人生で、人は物心共に豊かにはなれないと思います。
なぜなら、暮らしとは方法論、つまりは『やり方(やりくり)』だからです。
暮らしの中に、もう2つのLIFEである、『人生』や『命』をしっかりとベースに置くこと。それこそが、真の豊かな人生になると思うのです。
人生とは、すなわち、どんな人生にしたいのか。
命なら、この命をどう使うのか。
それこそが、魂の響きであります。
その想いを響かせていく中に暮らしがあるのなら、間違いなく貧乏になっても、少々の損をしても、不平不満に終わらない、心の豊かな人間でいられることでしょう。
そのためには、やはり読書が必要です。
過去の偉人たちが、人生や命を教えてくれるからです。
多いに豊かな心の養分を、心の栄養を、分け与えてくれるのです。
Time is life。
時間は命そのものです。
心豊かに生きていきたいものです。
人生に何かを期待するのではない。
ヴィクトール・フランクルの夜と霧を
師匠の研究会で学びました。
1942年、ナチスによるユダヤ人への人種差別、強制労働が始まりました。
ユダヤ人たちは、強制収容所に集められ、
その殆どが、過酷な労働、病気、また兵器により殺害されました。
その死の収容所に連行された、精神科医のフランクルが、卑劣な環境の中で人は何を思い、どんな行動を起こし、それでもいきる意味を見いだしていく、そんな素晴らしい名著が、『夜と霧』です。
フランクルの言葉には、机上で培われた精神だけではなく、死と常に向き合ってこられた体験によって、物凄い力を感じます。
今回の勉強会で、特に印象に残ったフランクルの言葉が、2つあります。
ひとつは、
『人生に何かを期待するのは間違っている。人生が、あなたに期待しているのだ。』
そしてもうひとつは、
『あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つの自由、それは自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である。』
このふたつの言葉は、私に衝撃を与えました。
人生をこうしたい!ああしたい!
何故に思う通りにならない!
と、人生をコントロールするのではなく、
人生側から、何をあなたに期待しているのか?という視点を全く逆にするのです。
また、後者では、
何もかも奪われたとしても、その時の自分の態度は、自由に選べるということです。
フランクルには、絶望を希望に変える力があります。
非常に意味のある、研究会でした。
フランクル、読んでみます。
鏡餅のみかん
お正月にお飾りをする鏡餅ですが、一番上にみかんをのせる意味をご存知でしょうか?
今日、歴史に詳しい先輩に、日本の知恵、伝統や精神を一部教えて頂きました。
みかんは、古くから『だいだい』と言われ、薬としても重宝されたようです。
そんな貴重なだいだいを鏡餅にのせることにより、先祖代々(だいだい)、栄えるように願いが込められているそうです。
また、鏡餅の下には、『ゆずりは』と『うらじろ』という葉を敷いています。
ゆずりはは、若葉が出だすと、前年の葉がそれを譲るように落葉する性質をもっています。
その事から、『良縁を子孫に譲り、家族の繁栄を祈る』という意味が込められているそうです。
また、うらじろは、裏を返しても心は白いという意味をもち、夫婦円満の象徴であると言われました。
鏡餅ひとつにも、これだけの日本の素晴らしい知恵や精神が込められていることを知り、改めて先祖の偉大さを思い知らされました。
来年のお正月には、ちゃんとした鏡餅を飾り、その精神を大切にしようと思います。
先輩に感謝。
ありがとうございます。
ふさわしき人
喜多川 泰さんの最新刊、
『秘密結社 Lady birdと僕の6日間』を読ませて頂きました。
喜多川さんの小説を読むと、眠らせている自分の中のまだ見ぬエネルギーが、沸々と湧き上がるような思いに掻き立てられます。
中でも、この言葉に格別の力を感じました。それは、
【ふさわしい人になろうよ】
という言葉です。
何にふさわしい人かと言いますと、【努力した分だけ、ふさわしい人になる】という意味です。
努力をした分以上でも、以下でもなく、天秤の片一方に努力をした分を置くと、もう片一方は、平行になった天秤に、ふさわしい人物が乗っている。
普通なら、小さな努力で大きな結果を生みたいと願ったり、自分を少しでも大きく見せたいというのが、人間というものに思います。
しかしながら、努力をした分だけふさわしい自分になりたいと思う強さに、私もそのようになりたいと貪欲に意気込んだ次第です。
努力した分だけ、ふさわしい人になるから、いつも顔張って生きていけるのです。
努力と釣り合いのとれた成果を手にするからこそ、その成果を心から楽しむ生き方ができるのです。
ふさわしい人。
また一歩一歩、起きあがりこぶしのように、タフにチャレンジしていこうと思います。
銅像には三者の想いがある
明治維新150周年
カウントダウンシンポジウム in京都
~幕末京都を彩った薩摩の魅力~
非常に長いタイトルのイベントですが、無事に当選し、歴史ツアー仲間であり、会社の先輩と共に参加してきました。
基調講演として、歴史コメンテーターの金谷 俊一郎さん、パネルトークには、幕末維新ミュージアム 副官長の木村 幸比古さん、鹿児島県立図書館 館長の原田 泉さんという顔触れが揃いました。
明治という、新たな時代を作って来られた薩摩志士の万死一生の姿や、その舞台となった京都と薩摩の深い繋がりなど、
非常にコアな部分を、沢山お話くださいました。
好きな歴史、尊敬する人物をお話されるパネラーの皆さんの、生き生きとした表情が十分に伝わり、こちらも幸せな気持ちになりました。
金谷さんが、『銅像』について最後におっしゃられていました。
『銅像には三者の想いがある』と。
一つは、
その銅像を彫った彫刻家の想い。
そして一つは、
銅像となった人物の想い。
そして最後の一つは、
銅像にしようと願ったそこに住む人々の想いです。
そんな三者の想いが重なって、形となる銅像には、きっと命が宿っていると思います。
祈りがあります。
私はこの先、だいそれたことは出来ないですが、身の丈にあった大きさでもいいので、少しでもフットワークを軽く、人の役に立っていきたいと思いました。