野茂英雄
野茂英雄といえば、日本プロ野球史に残る輝かしい成績は勿論のこと、1995年に日本人初のメジャーリーガーとなり、その後の日本人メジャーリーガーの架け橋を作ったパイオニアでもありますね。
1995年当時は、まだフリーエージェントやポスティングシステムなどもなく、メジャーに行くなど御法度な時代でした。
しかし、野茂はプロ野球を引退してでもメジャーにいく、挑戦することを諦めませんでした。その情熱一本に、当時の近鉄球団も根気負け、ついにメジャーリーガー野茂英雄は誕生しました。
当時、マスコミは100%野茂を叩いていました。野茂がメジャーで通用するわけない!メジャーをなめている!と。
今のように応援される形でいける時代じゃありませんでしたから、孤独であったでしょう。
しかし野茂は、メジャーリーガーとして1年目からオールスターに出る活躍をせます。そしてメジャー2年目でなんとノーヒットノーランを達成(メジャーでは2度達成)。1000奪三振はメジャー3人目のスピード到達。数々の苦労、努力も同時に味わいながら、偉業を成し遂げたのです。
その後、イチローや松井秀喜、田中将大や大谷翔平と、多くの日本人がメジャーに渡り、活躍をします。
その先駆者である野茂。しかし、彼は自分でパイオニアだと思っていませんでした。
『ただ、メジャーに行きたかっただけです。』と。
決して奢らない姿勢には心をうつものがありました。
そして野茂の活躍は、当時の大リーグを大きく救ったことにも繋がりました。
当時、大リーグでは選手の年俸額が上昇。年俸を抑えたい球団側と年俸を上げてほしい選手側とが衝突し、ストライキを起こします。その結果、ワールドシリーズが中止になるという異例の事態となっていました。
拝金主義化したメジャーリーグからはファン離れが進んでいたのです。
そんな中、野茂は日本で提示された1億2000万円という年俸にうしろ髪など引かれず、僅か1,000万円(当時メジャー最低年俸)で海を渡ったのです。
そして、高額年俸のスター選手を次々にねじ伏せていくのです。
この姿に、心を打たれたファンたちがまた帰ってきたといいます。
野茂の貢献はすごいものです。
ただ大好きな野球。ただもっとレベルの高い場所で挑戦したい!その想い一筋の力は、周囲に感動を与えていく。
私も自分の立場を省みて、本当に好きか?本当に何がしたいのか?そんな事を思いました。