『諦める』と『受け入れる』
先週、ある私のお客さまが、こんなことをおっしゃられました。
『諦めると受け入れるの違いがよきわからない。私は子育てで失敗もたくさんしたけど、それは諦めていたのか受け入れてきたのか、どうなんでしょう。』と。
今までそんな事を思いもつかなかったので、
非常に衝撃的でした。
まず一緒に辞書で調べてみました。
辞書にはこうあります。
諦める・・・とても見込みがない、しかたがないと思い切る。断念する。
受け入れる・・・人の言うことや要求などを聞き入れる。
とすれば、自分自身のことであるのが諦めであり、他の力が働いた状態のことは受け入れるであろうか?とも思いました。
そして、その時例え話を用いて私なりに出た答えは以下の通りです。
ある人が万引きをして逃亡していた。しかし逃げ道を失って、警察からもう逃げられないと思ったことが『諦める』。
そして自分のした罪、それによって迷惑をかけたたくさんの人々に対し、罪を認め、償っていく決心が『受け入れる』。
そしてこの話を師匠に聞いてもらいましたら、師匠からは『諦める』という本当の意味を頂きました。
師匠は言います。
“あきらめる”は、“諦める”とも書きますが、
“明らめる”とも表現します。
つまり、物事の理(ことわり)が明らかになる、
という意味です。
具体的にやっている、あるいはやってみた、
すると具体的な結果が出ます。
すると、やってみたい、と思ってやったことの
意味付けが出来るわけです。
あくまでも具体的な行動と結果から明らかに
されることがある、ということです。
極めて主体的な思考活動といえます。
“諦める”を受け身に感じてしまうとき、主体性や親密性を欠いていることが多いかもしれません。
雑感でありますが・・・。
諦めるは物事を明らかにする(なる)。
そう考えれば、ただマイナスに働くだけではなく、主体性が生まれます。
日本語の面白ろさ、奥深さを感じました。
なにげに普段使う言葉を切り取ってみると、想像力を掻き立てるものが生まれるかもしれません。
非常に面白いテーマを頂きました。