上品な人・下品な人
人には上品な人・下品な人がいますが、そもそも上品・下品の定義をどのように位置付けるのかは、人それぞれでは無いでしょうか。
ドイツの社会学者、マックス・シェーラーによる『上品な人・下品な人』の定義に、私は非常に共感致します。
マックス・シェーラーによる上品な人とは、生産的な人生であるとしています。
上品な人の人生態度は、どんな人に対しても、1人の人間であることの価値を認める為に、他者と比較してうぬぼれたり卑屈になったりしない。博愛心から『与える』ことに重きを置く人としています。
損得感情のない、平等に謙虚に接する態度そのものだと言えます。そういった人がいれば、当然そのフィールドには幸福感が高まり、生産的な人生だと言えるでしょう。
逆に下品な人とは、非生産的人生であります。
人生態度は極めて未熟で、他者と比較して高慢になったり卑屈になったりする傾向が強いのです。
利己的から『得る』ことに重きを置き、所有することばかりに心が偏るとしています。
とかく私たちの社会では、比較や評価をしあう事がほとんどではないでしょうか。
あの人はダメ。
あいつよりはマシ。
この方には勝てない等々。
比較や評価に気をとられて右往左往して1日が終わっていく。ややもするとそんな毎日を繰り返し兼ねません。
本当の人間と人間が生きあうこととは、まず互いが1人の人間である、その価値を認めあうことにあるのではないでしょうか。
相手も私も1度きりの今を大切に生きていることを認めあう態度こそ、上品な人(生産的人生)だと真に思います。
私は反省する点ばかりですが、マックス・シェーラーの定義する上品な人に少しでも近づけるよう、実践反省し、学んでいきたいと自戒を込めている次第です。