dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

第五福竜丸展示館

東京出張では、1日目の仕事を終え、
新木場駅から歩いてすぐ、夢の島公園内にある、
第五福竜丸 展示館』に行って参りました。

木造のマグロ漁船第五福竜丸は、1954年3月1日、マーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカが
行った水爆実験によって被爆し、
被害にあいました。

乗組員23名が大量の放射能(死の灰)を浴び、
全員が被爆されたのです。

その後、ほとんどの乗組員が、放射能の影響で
癌などを発症し、亡くなられました。

しかしアメリカは、核実験との因果を
認めなかったといいます。

被爆後、半年で亡くなられた久保山愛吉さんの
遺した言葉が、重く心に響きました。

原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい。』


太平洋戦争末期、広島と長崎に原爆が
投下されて以来の、核の被害に日本を中心に
大変な問題となったのは言うまでもありません。

日本では、3,000万人もの原水爆禁止の署名が集まったと言います。これは当時の人口からすると、
3人に1人の割合です。

戦争の傷も癒えぬままの当時の状況で、
国民の怒り、憤りや悲しみの感情を察しますし、
どれだけ重大なことであるかがわかります。


第五福竜丸展示館の中央には、第五福竜丸
一隻まるごと保管されています。

これは圧巻であり、またこの船が被爆したのだと
思うと、身が引き締まる思いが致しました。

実は第五福竜丸は、1967 年に廃船処分となり、
解体業者に払い下げられ、船体はゴミの処分場で
あった「夢の島」の埋立地に放置されたそうです。

これを知った市民の間に保存の声が上がりました。

「沈めてよいか第五福竜丸」という朝日新聞での 投書や原水爆禁止運動など、全国で保存の
取り組みが行われました。
 
そして1976年6月、ついに東京都立第五福竜丸
展示館が開館し、船は展示・公開されたのです。

これは本当に素晴らしい働きかけだと思います。

これからの日本、そして世界の大切な文化資本
一つとして、大切に残して貰いたいと、
そう切に願います。

『核』廃絶の日がくることと共に。

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