晴耕雨読ならぬ晴読雨読
自宅待機、テレワークになり約1ヶ月弱、午前中は必要な仕事を行い、午後からは晴耕雨読ならぬ『晴読雨読』状態です。
映画を観たり、本を読んだり、散歩に出たり、物思いに耽ってみたり・・・
隠居生活?のようになっています。
早寝早起きで極めて健康的ではあるのですが、仕事が思うように進まない、先行きが不透明といった理由で、どこか満たされない・・・というところが少し悩みでもありました。
イギリスでペストが大流行した1665年、2年間もの休学を強いられたニュートンが実家に戻り、そのタイミングで引力に気づいたそうです。ニュートンはこの期間を【創造的休暇】と名付けたそうです。
さて、自分は自分の出来る範囲で、創造的休暇になっているのか?と思いながら、ふと、『老子』をパラパラめくってみました。
【救い】はやってきました。
自然の道理、TAOをモットーとする老子の教えは、肩の力が抜け、無意味の意味するところを丁寧に教えてくれていました。
孔子が父なる教えであるなら、老子は母なる教えとでも言えるのではないでしょうか。
ことさらな行為をせず、
平穏であることを目的とし、
味のないものを味わう。
小さなものを大きなものと捉え、
少ないものを多いものとして扱う。
恨みには徳で返す。と。
スペシャルなイベント事や、なにかを成し遂げる充実した時間も大切ですが、全ては小事を丁寧に紡ぐことからはじまる。
【米ひと粒を味わう生き方、勇気】
味のない味を味わう。
それこそが自然体で味のある人生
なのかもしれませんね。