東京・埼玉の旅を終えて
一昨日から3日間、東京・埼玉の旅を味わって参りました。天候にも恵まれ、本当に佳い時間でした。
初日は2世帯のお客さまとお会いしました。新橋、渋谷でお会いしましたが、人の多さ、人が放つエネルギー、やはり首都ですね、すごく感じました。
夕方からは、お知り合いになった下山口の居酒屋さんで、友人の一人と飲みました。
仕事や家族や野球や人間関係について4時間半語らいあいました。彼が大阪にいた頃、二人で飲むこともありませんでしたが、離れたからこそ実現できたことでもあり、新鮮さを感じました。
そして店主からは、西武ライオンズのユニフォームをプレゼント頂くという驚きのサプライズ。お酒の進む本当に嬉しい1日になりました。
2日目は午後から研修だったので、午前中は、私が尊敬する歴史上人物の一人である内村鑑三先生のゆかりの地、【今井館】に行って参りました。
今井館という名前の由来は、内村鑑三先生の塾生であった大阪の香料商、今井樟太郎の死後、その遺志に基づき、内村先生に献じられ、建てられたことから名付けられたそうです。
新渡戸稲造の『武士道』、岡倉天心の『茶の本』に並んで、内村鑑三の『代表的日本人』は、当初英語で書かれ、アメリカやヨーロッパで爆発的な人気を誇りました。
これらの名著によって、開国後、西洋人がいだく野蛮な日本人というイメージを、大きく払拭することとなります。
今井館のスタッフの方が、懇切丁寧に案内下さり、その親切の香りが、私の心を美しくしてくれたように思います。
午後は会社の研修でした。
これはこれで、課題は山積みであるとう問題意識が沸いて出てきましたが、ここでは会社の事ですので割愛致します。
最終日3日目は、渋沢栄一先生ゆかりの地へ行って参りました。
生誕の地、史料館は埼玉県深谷市の血洗島(ぞっとするような地名ですが)というところにありました。
田畑の多い、自然豊かな場所にあるこのゆかりの地には、渋沢栄一先生が2024年から新一万円札の顔となる事が決定したことだけあり、平日にも観光名池として、多くの人が訪ねていました。
著書、『論語と算盤』は有名ですが、まだ商人が蔑まれた時代に、日本を豊かにするためには、政治だけではなく商工が発達しなければならないという思いから、当時の大蔵省を辞職し、実業界へ転身。
その後、日本製紙や第一国立銀行、東京証券取引所など実に600もの会社の設立・経営に関わる、正に『日本資本主義の父』の所以を残すことになりました。
その軌跡をたどりながら、その歴史を感じ、また自分のこれからの人生について、何を残せるのか?を考えました。
内村鑑三先生もそうですが、生まれてきたからには、自分が死ぬまでに少しでもこの世界に恩返しができることをしたいと考えています。
その答えが、生まれた時よりも、少しでも佳い世の中にして死ぬということです。
これこそ本望と、人生の目的とされているところに、お二人の、日本への世界への大きな愛を感じます。
は、読みなおしてみたいところです。
実りの多い3日間、この実を少しでも人生に活かせるよう、日々新たに学んでいこうと思います。
※城山三郎著書【雄気堂々】を数年前に読みました。波乱万丈の渋沢栄一の人生を如実に書かれた素晴らしい物語だと思います。
東京・埼玉の旅は本当に佳いものとなりました。温かいお言葉、御気遣い有難うございました。