dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

我々は与えられすぎている

先日、師匠との勉強会で、師匠がこんな言葉を言われました。

【我々は与えられすぎている】

師匠ご自身の人生を振り返ったとき、結婚もできて子供に恵まれ、その子供たちが大学にも行きながら、なんとか生活もできていることは、自分の能力からすると、出来すぎていると思ったそうです。

それは、ご先祖さんであったり、生きあっている方々に支えられている点がおおいにあり、これは、与えられすぎていることに着眼されました。

今の状態では、与えられているものが多く、自分の存在がふわぁ~っと浮いていようで、シーソーなら非常に傾いていると考えたのです。

それでは『存在が軽くなっている』と同じだ!と話されていました。

だから、人様に与えることをする。毎日コツコツと徳を積むことにより、与えられたものと、自分がお役だちすることのバランスがようやくとれ、シーソーは真っ直ぐになっついく。

これこそ、与えられていることと、与えることのバランスがとれ、中庸を保てる姿なのですね。

与えられているものに気づいたとき、愚痴は消えますし、全然自分が甘んじている存在であることに気づきます。

この考え方には、私も大きな気付きを頂きました。

与えられすぎている。
これは忘れてはいけません。