トルコ記念館
2月27日、そして3月2日と和歌山県那智勝浦で仕事をさせて頂きました。
せっかくの和歌山ですから道中、串本にある『トルコ記念館』と『日米修好記念館』に寄ってきました。
トルコ記念館は、今から約130年前、この地で起こったある大事故がきっかけで作られたものでした。
1890年、現トルコ(当時のオスマン帝国)の軍艦エルトゥールル号が日本に派遣されました。
同9月、横浜を出向し、帰途についてすぐ船は台風により紀伊大島・樫野崎の船甲羅岩礁で難破します。
エンジンが爆発し大火災が起き、無惨にも乗組員の約9割近くが亡くなりました。
しかし、その事故を知った串本の地元民たちは、すぐにその事故を島中に伝え、我を忘れ、荒波の中必死の人命救助を行ったのです。
そして、69名のトルコ人を救ったといいます。
串本の村人たちは、非常に貧しい生活をしていましたが、最優先で食料を差し出し、怪我の手当てをしました。
怪我をしたトルコの乗組員たちは、この村人たちの道徳的な行動に大変な感激を受けます。
そうして、この話はトルコ中に伝えられ、今もずっと学校などで語り続けられているそうです。
トルコがずっと親日でいるのは、実はこの事件があったことがきっかけだったのです。
記念館にある、来訪者が感想を綴るノートを覗くと、トルコ語のメッセージがたくさん書かれていました。
スタッフさんに聞くと、トルコ人が沢山訪れているそうです。
まさに、『得』ではなく『徳』で生きることを過去の方々に学んだ時間でした。
また、日米修好記念館では、実は浦賀にペリーが来航する2年前に、串本に1隻の商船が来ていたことを知りました。
地元民が初めて星条旗を見たのは、浦賀ではなく串本だったようです。
歴史とは実に面白いものです。
インターネットなどで情報などは大量に入る時代ですが、やはり現地に行かないと感じられないものがありますね。
人間も五感で生きている。
現場・現物。
よい機会を頂戴しました。