dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

戦没者追悼式

私の住む市で行われた、『戦没者追悼式』に
参加させて頂きました。

市の広報を見て知ったのがきっかけです。

市長をはじめ市議会委員、政治家、そして遺族の
方々、私のような一般の市民の方々が集まり、
厳かに執り行われました。

大阪府知事の席はありましたが、ご本人が
いらっしゃらないのは残念でした。


さて開会の言葉から始まり、霊名簿安置、
国家斉唱、黙祷と形式的に続き、市長や
衆議院議員が追悼の言葉を読み上げました。

約1時間ほどの式ではありましたが、
思うことは多様にございます。

まず、戦没者追悼之標、そして戦没者のご遺族の
方々を前にして、非常に身が引きし締まりました。

空気というのでしょうか。あの戦争は終わって
いても、悲しみを背負ってこられた深い歴史を、
わずかでも感じさせて頂いたようにも思います。

また、市長や衆議院議員等が読み上げた
追悼の言葉には、空気の中にふわふわ浮いた
ような軽さを感じました。


確かに追悼式ですから、形式的な文章を読むのは
当然でしょう。しかしながら、誰一人として
自分の言葉で、ご遺族に向かってお話をしようと
した方はいらっしゃいませんでした。

本当に追悼の想いがあり、この町の人を大切に
思う心があるのならば、ご遺族の方々に少しでも
よいので、自分の言葉を伝えたいと思うのが
自然ではないでしょうか、と私は思うのです。

ある衆議院議員の追悼の文章には、絶対に戦争を
しない国を作っていくという言葉がありました。

改憲するべきという党の議員です。

あなたの言葉が本心であり、その言葉が
必ず党内にも浸透していくよう願います。


追悼式が終わり、退席していく市長、市議会委員、
政治家たちの姿も、残念ながら目を疑うような
行動をとっていたように感じたのは、
私だけでしょうか。

選挙での勝利を称えるかのように議員に寄り、
握手をしながらニヤニヤと笑っているのです。

はっきりと言葉を聞いたわけではありませんので、
それは私の想像に過ぎないのですが、それでも
式場であのニヤニヤした顔で退席していく姿には、
『遺憾』というものでしかありませんでした。

これが政治なのでしょうか。

退席時、献花をお裾分けして頂きました。
また遺族の会の方々からも、
お礼の品を頂きました。

御心遣いにあの遺憾の念は浄化されました。
本当に嬉しく思います。
献花は、自宅で飾らせて頂いています。

私も矛盾だらけの人間ですが、この花のように
少しでも美しい心を育てていければと思います。

そして、自分の想いを少しでも自分の言葉に
変える力と姿を持って生きたいと、
強く願った次第であります。

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