dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

核兵器=死滅、 原子力=生命という神話

1945年8月6日と9日、世界で初めて
原子爆弾という核兵器を投下された、
唯一無二の国、それが我が日本です。

日本は、あの戦争から原子力というものに、
支配されつづけています。


GHQは、戦後原子爆弾投下の事実を
長らく明かしませんでした。

そして、原子爆弾を使用したことにより
戦争は終わり、その後何十万人もの
アメリカ兵や、何百万人もの日本人を
救ったという、原子爆弾を正当化する
神話を作り出しました。

そのことにより、一瞬のうちに何万人もの命を
奪った殺戮兵器は、『人道に対する罪』という
ものを消し去ってしまったどころか、戦争終結
為の正しい手段とされてしまったのです。

戦後アメリカとソ連は冷戦状態に入り、
互いに核兵器を大量生産し始めました。

そして、核実験が繰り返される緊張した状況を
緩和する手段として、1953年、アメリカ大統領
アイゼンハワーが、国連演説で、
Atoms for Peace(原子力平和利用)』
という政策を掲げました。

アイゼンハワーは、国連演説で
このように述べています。

『アメリカは、恐ろしい原子力のジレンマを
解消し、この奇跡のような人類の発明を、
人類滅亡のためではなく、人類の生命の為に
捧げる道を、全身全霊を注いで探し出す決意を、
皆さんの前で、ということは世界の前で、
誓うものである。』

この発言には、拡散化する核技術を、
一方で非核兵器保有国には平和利用にのみ
限定され、他方では既存の核保有国の間だけで
保有独占化を図る目的が背後にあとたのです。

そうして敗戦国である日本は、まんまと
原子力平和利用のお得意様となりました。

唯一の被爆国だからこそ、
人類の進歩と平和のためだけに使う国。

そんな言葉に、国は『正義という魔法』
をかけられ、今日まで原子力をなくてはならない
存在として利用してきたのです。

しかし、福島の原発事故により、核燃料の恐ろしさ、安全神話の崩壊を目の当たりにしました。

核兵器=死滅、
原子力=生命

という二律背反は幻想であることを、
本当に自覚しなくてはなりません。

原子力により豊かさを得ることの裏側には、
核による壊滅的な破壊はいつでも
つきまとっているのです。

そのことを真剣に考え、真に未来の人々を救う
ような政治家は残念ながらいないでしょう。

経済成長も大切ですが、行きすぎた物質的豊かさ、
もうけ主義の横行を何処かでたちきる。

そして人徳、明徳のある生き方こせが
素晴らしい人生である日がくることを
大いに願っています。


核のない平和な世の中を!