dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

平和へのつどい

昨日、市が決議した非核平和都市宣言
推進事業として、『平和へのつどい』に
参加してきました。

プログラムは、第1部として被爆体験を聞く、
第2部は、原爆・空襲被害の実相を知るとして、
工学博士、工藤洋三氏からお話を伺いました。

私が住む市では、45年前から原爆被爆者の会が
設立され、当時は400人いらっしゃったそうです。

ところが現在は、84人になっています。

年々、体験者が減ることに、
危機感を感じておられました。

実際、被爆体験者のお話を間近で聞くのは、
小学校6年生の修学旅行以来だと記憶しています。

被爆体験者の方は、小学4年生で被爆されました。

朝、お姉さんと散髪に行こうと、玄関を開けた
瞬間、ピカッとすごい光を見たそうです。

そして、気がつけば家から10mも離れた
場所に倒れこんでいました。

腕の皮はべろべろに爛れ、顔はぱんぱんに
腫れ上がっていました。

お姉さんと共に病院に運ばれましたが、
まともな薬もなく、ガーゼを巻くぐらい
だったそうです。

8月ですから、暑さで腕の傷口に蛆がわき、
腕をはい続けたのです。

お母さんが見舞いに来られたのは数日後です。
名前を伝えなければ、お母さんですら
わからないぐらい顔が腫れていたといいます。

お母さんから、お姉ちゃんは?と
聞かれたので、隣に寝ているのがお姉ちゃん
よと伝えたのですが、隣にいる人は
お姉さんではなく、別の人だったそうです。

お姉さんは、既に息を引き取っておられました。


2ヶ月が経ち、ようやく歩けるように
なったので、大阪に住む親戚の家を頼り、
広島からお母さんと二人で移られたそうです。

お父さんは、前年戦死されていました。

現在まで、何度も何度も皮膚の手術を行い、
きちっと腕が伸ばせるようになったのは、
何十年も後のことだそうです。



原爆体験者の方が、強くおっしゃっていました。

お父さんを戦争に取られてみ。

そのあとは、かわいい子供たちも戦争に
根こそぎとられる。

なにもかも失ってしまう。
それが戦争というものです。

原爆というものは、一つの結果です。

その体験は、その犠牲は、私たちで十分です。

もう二度と、戦争をしないで下さい。
お願いです、と。

本当に強い祈りでありました。
胸に突き刺さりました。

現在の日本は平和ではありますが、
隣国周辺の国々と、大変緊迫した関係に
あるのは間違いありません。

しかしながら、戦争を回避できる術を
全力で模索し、実践すべきことこそ、
過去の犠牲、過去の過ちを繰り返さないことに
繋がるのだと思います。

我々次世代の人間が、戦争や平和に対する
強い意識をもって生きることが必要です。

そう思った時間でありました。