dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

平成最後の日

平成最後の日。
ニュースなどを観ていると、多くの人がそれぞれの、特別な1日を過ごされているようです。

我が家ではお墓参りに行き、平成が無事に終わろうとしていること、我が家みんなが大きな病気や怪我もなく、健康でいられることなど、感謝を伝えました。

夜は長女の提案で、平成でたのしかったこと、頑張ったことなどをそれぞれ順番に発表する、発表会を行いました。

私は何より、妻と出会い、結婚し、二人の大切な子供に恵まれたこと、これに限ります。

悲しいこと、思い通りにならないこと等も沢山あった平成でしたが、これは令和になっても変わることはありません。

明るい時代になってほしいと、テレビで沢山の人がコメントされていましたが、私もそう願う一人です。

ですが、フランクルの言葉を借りれば、

【人生に何かを期待するのではない。人生があなたに何かを期待している】であります。

何があっても、人生からの問いかけに意味を持ち、目的を失わず、しなやかな力を持って、次の時代も生きていきたいと思います。

平成、有難う。

辻監督のサイン

ゴールデンウィーク(GW)が始まりました。
今年のGWは平成から令和に受け継がれるタイミングであり、一般的には10連休となっていますね。

私は中日に仕事をさせてもらいますが、GW初日は京セラドームで家族と野球観戦に行ってきました。

オリックスバファローズVS埼玉西武ライオンズです。

私は子供の頃から父の影響で『西武ライオンズ』の大ファンでした。

当時の大阪は、阪神か巨人の帽子をかぶったクラスメイトがほとんどの中、ブルー色で、真ん中に雄々しいライオンの横顔がデザインされている帽子を被っていたのは、僕ぐらいでした。

当時のライオンズは黄金時代。毎年夏の旅行はライオンズの本拠地所沢で野球観戦でしたから、私も筋金入りのライオンズファンになりました。

私が父とよく野球観戦に出掛けたように、家族が出来た今は、同じように家族で年に数回ライオンズの応援に行きます。

今日は、娘がライオンズの現監督である、辻監督のサインが入った帽子をかぶって応援してくれました。

実はこの帽子、私が子供の頃にかぶっていた帽子なんです。

いつの旅行か忘れましたが、西武球場の外周を歩いているとき、当時選手だった辻さんとばったり遭遇したんです。

あまりにも興奮した私は、辻選手、サインお願いしますっ!と緊張しながら帽子を差し出すと、つばのところに丁寧なサインをし、握手までしてくれました。

あれから約30年。

大切にしまっておいた帽子を、今日、娘がかぶって応援している姿をみて、自身の人生が引き継がれていくような思いがして、とても嬉しい気持ちになりました。

おかげで試合も、17安打11得点で乱打戦に勝利。

次、観に行くときも験担ぎで辻監督のサイン入り帽子を持っていくことになりそうです。

3代目

うちの桜の盆栽が、今年も満開に咲いてくれました。これて3代目です。

昨年、桜の花が散ってから新緑が生え、秋には紅葉し、そして散っていく。

寒い冬を耐え、また春に花が咲く。

自然とは本当にたくましい。

無事に咲いてくれて有難う。
我が家の春の風物詩になりそうです。

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又兵衛桜🌸

先日、奈良県にある【又兵衛桜】を観に行ってきました。

名前の由来は、戦国武将後藤又兵衛にちなんでのこと。

後藤又兵衛大阪夏の陣で徳川方に敗れ、後に敗走し、この地にたどり着き僧侶となって暮らしたという一説からこのような名前がついたそうです。

午前10時前に到着したのですが、もう車はかなりの列で駐車を待っている様子でした。

木蓮や睡蓮、桃の花に囲まれ、 咲き誇る満開の大きな垂れ桜は圧巻の美しさ。

幹は石垣から伸びていて、歴史を感じさせる素晴らしい桜でした。

この日は結婚記念日でもあり、家族で佳い時間を頂きました。

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でんでんむしのかなしみ

新美南吉の『でんでんむしのかなしみ』というお話があります。

この本は、美智子皇后陛下が1998年に行われた国際児童図書評議会ニューデリー大会で、ご自身が子供時代の読書の思い出として紹介されました。

私はこの本を、2年前に知しました。


ある日、一匹のでんでん虫が、自分の背中の殻に悲しみが一杯詰まっていることに気付き、友達を訪ね、もう生きてはいけないと告白するのです。

友達のでんでん虫は、それはあなただけではありません。私の背中にも、悲しみは一杯詰まっている、と答えます。

でんでん虫は、また別の友達、また別の友達と訪ねて行き、同じ告白をするのですが、どの友達からも返ってくる答えは同じなのです。

そして、やっと、悲しみは自分だけではなく、誰もが持っているものと気づくという内容です。


今日、新元号が発表されました。

元号【令和】の時代に、明るい、笑顔の多い時代を望む人は多いとおもいます。

私もその一人です。

しかし、昭和の戦争、平成の大災害と、日本は大きな悲しみを背負っていることも事実です。

そのような悲しみを風化させず、ちゃんと背負いながら、未来を作っていけたら佳いなとおもいます。

平成から令和を繋ぐ4月がはじまりました。存分に味わっていきたいものです。

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春の旅

毎年恒例となった春の家族旅行。

今年は、3月27日から29日の2泊3日で、鳥取&島根の旅に出掛けました。

旅行には、我が家では旅行貯金を使うという文化が出来つつあります。

これは、旅行目的の貯金箱をリビングに置いて、家族みんなで小銭を貯金をします。そして、貯まった小銭を郵便局で両替し、そのお金を旅の道中で使うというものです。

今回は半年で17,000円が貯まり、軍資金10,000円と合わせて27,000円。このお金を何も気にせず、使いきるのです。


さて1日目は鳥取砂丘。四方に広がる砂丘は圧巻。大きな丘を登ると日本海が見渡せ、自然の大きなエネルギーを感じることができました。

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その後は島根県玉造温泉へ。

温泉に浸かり、日本海で取れたカニ料理を堪能。地酒の飲みくらべなどもできて、有意義な1日を過ごすことができました。

2日目は、以前から行きたかった出雲大社へ。

出雲大社といえば、注連縄。

この迫力を、そして歴史を感じることができ、とても感動致しました。

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そして、午後は境港にある水木しげるロードへ。

商店街周辺が、水木しげるのアニメ世界になっていて、これがなかなか愉快なものでした。

そんな中、娘たちはスタンプラリーに夢中。よい運動になりました。

夜は皆生温泉へ。
日本海に面した旅館でゆっくり露天風呂につかり、今日を思い出しらがらしみじみ味わう。旅の中で一人になる時間がまた、色々考えることのできる佳い時間です。


最終日は米子市を散策。
米子城址に登ると、米子市を一望できる絶景と出会い、また花回廊では春の花を名いっぱい楽しむことができました。

また米子市からは、標高1,700㍍を越える大山が見え、裾の長さが富士山にも似て、とても美しいものでした。

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あっという間の3日間でしたが、有難いことに天候もよく、家族みんなでよい旅となりました。

また、今回初めて長女の案で、家族全員かそれぞれ旅のしおりを作ったのです。

長女は、この旅は特に行く前から楽しみにしていたので、2日目の夜はしくしく泣いていました。

旅が終わる実感が出たのでしょう。

この【無常】というものも、彼女にとっては大きな学びとなったに違いありません。

私は、しおりの中に、やりたいことリストを書き出しました。

鳥取砂丘で師匠に葉書を出す
・砂時計を購入する
・日本酒の飲みくらべ
出雲大社で家族写真
米子市中江藤樹先生ゆかりの地にいく

すべてが叶いました。しおりのお陰だとおもいます。

最後に、一つだけ残した宿題があります。
旅のスライドショーをつくること。

これで私の旅は完成です。
仕上げで参りましょう!

イチロー選手の引退

昨夜は衝撃が走りました。

イチロー引退』

いつもは11時過ぎには寝る私も、昨夜はおそくまでイチロー選手の引退会見を見ておりました。

日米あわせて28年間、数々の記録を作り上げてきたイチロー選手。まさに平成のスーパースターです。

イチローといえば、記録!という印象が強いですが、昨夜の会見では、とても大切な気付きを体感され、また我々にも語ってくれたようにおもいます。


それは、いま思い返して印象に残っているシーンは?という記者からの質問に答えた事でした。

今日を除いてですよね?と確認したうえで、ゆっくりと丁寧に、イチローらしい間と表情で答えていきます。


『この後、時間がたったら今日が一番真っ先に浮かぶことは間違いないと思います。

ただ、それを除くとすれば、いろいろな記録に立ち向かってきたんですけど、そういうものは大したことではないというか。』


『自分にとって、それは目指してやってきたんですけれど、いずれそれは、僕ら後輩が先輩たちの記録を抜いていくというのは、しなくてはいけないことでもあるとは思うんですけど。

そのことにそれほど大きな意味はないと言うか。そんなふうに、今日の瞬間なんかを体験すると、すごい小さく見えてしまうんでうよね。

その点で、例えばわかりやすい10年200本(安打)を続けてきたこととか、MVPをとったとか、オールスターでどうたらとか、ほんと小さなことに過ぎないと思います。』

そして、

『今日のあの舞台に立てたことというのは、去年の5月以降、ゲームに出られない状況になって、その後チームと一緒になって練習を続けてきたんですけど、それを最後まで成し遂げられなければ、今日のこの日はなかったと思うんですよね。

今まで残してきた記録は、いずれ誰かが抜いていくと思うんですけど。去年の5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にもできないことかもしれないと、ささやかな誇りを生んだ日々であったんですね。

そのことが、去年の話ですから近いということもあるんですけど。どの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思います。』


このコメントには凄いものを感じました。

イチロー選手にしかわからないことですが、記録を目標にしてきたけれども、それは実は大したことはない。

それよりも、あれだけのファンが、イチローを応援し、結果がどうであれ一球ごとに拍手を送るあの時間。

その喜びはきっと、イチローが野球を愛していた姿勢が生んだ時間だとおもいます。

これは人生もそうだとおもいます。

死生観というものがありますが、人が死を迎えたとき、人生を振り返ったときに何が一番大切だったと思うか。

それはきっと物質的なものや数々の記録ではなく、愛してきたもの、愛することができたことや人への喜びなのではないでしょうか。

そんなことを、イチロー選手の会見から感じました。

一つの時代が終わったようにもおもいますが、またこれからのイチローも楽しみです。

我々は与えられすぎている

先日、師匠との勉強会で、師匠がこんな言葉を言われました。

【我々は与えられすぎている】

師匠ご自身の人生を振り返ったとき、結婚もできて子供に恵まれ、その子供たちが大学にも行きながら、なんとか生活もできていることは、自分の能力からすると、出来すぎていると思ったそうです。

それは、ご先祖さんであったり、生きあっている方々に支えられている点がおおいにあり、これは、与えられすぎていることに着眼されました。

今の状態では、与えられているものが多く、自分の存在がふわぁ~っと浮いていようで、シーソーなら非常に傾いていると考えたのです。

それでは『存在が軽くなっている』と同じだ!と話されていました。

だから、人様に与えることをする。毎日コツコツと徳を積むことにより、与えられたものと、自分がお役だちすることのバランスがようやくとれ、シーソーは真っ直ぐになっついく。

これこそ、与えられていることと、与えることのバランスがとれ、中庸を保てる姿なのですね。

与えられているものに気づいたとき、愚痴は消えますし、全然自分が甘んじている存在であることに気づきます。

この考え方には、私も大きな気付きを頂きました。

与えられすぎている。
これは忘れてはいけません。

3月10日

3月10日、ちょうど74年前の今日、東京では一夜にして10万人以上が亡くなられました。

東京大空襲です。

戦争をしらない日本人が大半をしめる現在では、ほとんどの方がしらないと思います。


風化させてはいけない。

明日は東日本大震災から8年です。

佳いことも、創造すらしたくないことも起こることが、生きているということです。

勝つとか負けるとかではなく、その日、その時に起こるさまざまな事について意味を考える。そして、どんなに細々くでもいいから寿命を全うする。

それこそが、大切なことだと思います。

【夜と霧】の作者、ヴィクトール・E・フランクルは、人生についてこう言い残しています。

"あなたが人生に何かを期待するのではない。人生があなたに何かを期待している"

宿命を受け入れ、運命を自らが作る。

今日も、どんな自分であったって、生ききったこと。生かしてくれているものに感謝です。

トルコ記念館

2月27日、そして3月2日と和歌山県那智勝浦で仕事をさせて頂きました。

せっかくの和歌山ですから道中、串本にある『トルコ記念館』と『日米修好記念館』に寄ってきました。

トルコ記念館は、今から約130年前、この地で起こったある大事故がきっかけで作られたものでした。

1890年、現トルコ(当時のオスマン帝国)の軍艦エルトゥールル号が日本に派遣されました。

同9月、横浜を出向し、帰途についてすぐ船は台風により紀伊大島・樫野崎の船甲羅岩礁で難破します。

エンジンが爆発し大火災が起き、無惨にも乗組員の約9割近くが亡くなりました。

しかし、その事故を知った串本の地元民たちは、すぐにその事故を島中に伝え、我を忘れ、荒波の中必死の人命救助を行ったのです。

そして、69名のトルコ人を救ったといいます。

串本の村人たちは、非常に貧しい生活をしていましたが、最優先で食料を差し出し、怪我の手当てをしました。

怪我をしたトルコの乗組員たちは、この村人たちの道徳的な行動に大変な感激を受けます。

そうして、この話はトルコ中に伝えられ、今もずっと学校などで語り続けられているそうです。

トルコがずっと親日でいるのは、実はこの事件があったことがきっかけだったのです。

記念館にある、来訪者が感想を綴るノートを覗くと、トルコ語のメッセージがたくさん書かれていました。

スタッフさんに聞くと、トルコ人が沢山訪れているそうです。

まさに、『得』ではなく『徳』で生きることを過去の方々に学んだ時間でした。

また、日米修好記念館では、実は浦賀にペリーが来航する2年前に、串本に1隻の商船が来ていたことを知りました。

地元民が初めて星条旗を見たのは、浦賀ではなく串本だったようです。

歴史とは実に面白いものです。

インターネットなどで情報などは大量に入る時代ですが、やはり現地に行かないと感じられないものがありますね。

人間も五感で生きている。
現場・現物。

よい機会を頂戴しました。

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