dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

我々は与えられすぎている

先日、師匠との勉強会で、師匠がこんな言葉を言われました。

【我々は与えられすぎている】

師匠ご自身の人生を振り返ったとき、結婚もできて子供に恵まれ、その子供たちが大学にも行きながら、なんとか生活もできていることは、自分の能力からすると、出来すぎていると思ったそうです。

それは、ご先祖さんであったり、生きあっている方々に支えられている点がおおいにあり、これは、与えられすぎていることに着眼されました。

今の状態では、与えられているものが多く、自分の存在がふわぁ~っと浮いていようで、シーソーなら非常に傾いていると考えたのです。

それでは『存在が軽くなっている』と同じだ!と話されていました。

だから、人様に与えることをする。毎日コツコツと徳を積むことにより、与えられたものと、自分がお役だちすることのバランスがようやくとれ、シーソーは真っ直ぐになっついく。

これこそ、与えられていることと、与えることのバランスがとれ、中庸を保てる姿なのですね。

与えられているものに気づいたとき、愚痴は消えますし、全然自分が甘んじている存在であることに気づきます。

この考え方には、私も大きな気付きを頂きました。

与えられすぎている。
これは忘れてはいけません。

3月10日

3月10日、ちょうど74年前の今日、東京では一夜にして10万人以上が亡くなられました。

東京大空襲です。

戦争をしらない日本人が大半をしめる現在では、ほとんどの方がしらないと思います。


風化させてはいけない。

明日は東日本大震災から8年です。

佳いことも、創造すらしたくないことも起こることが、生きているということです。

勝つとか負けるとかではなく、その日、その時に起こるさまざまな事について意味を考える。そして、どんなに細々くでもいいから寿命を全うする。

それこそが、大切なことだと思います。

【夜と霧】の作者、ヴィクトール・E・フランクルは、人生についてこう言い残しています。

"あなたが人生に何かを期待するのではない。人生があなたに何かを期待している"

宿命を受け入れ、運命を自らが作る。

今日も、どんな自分であったって、生ききったこと。生かしてくれているものに感謝です。

トルコ記念館

2月27日、そして3月2日と和歌山県那智勝浦で仕事をさせて頂きました。

せっかくの和歌山ですから道中、串本にある『トルコ記念館』と『日米修好記念館』に寄ってきました。

トルコ記念館は、今から約130年前、この地で起こったある大事故がきっかけで作られたものでした。

1890年、現トルコ(当時のオスマン帝国)の軍艦エルトゥールル号が日本に派遣されました。

同9月、横浜を出向し、帰途についてすぐ船は台風により紀伊大島・樫野崎の船甲羅岩礁で難破します。

エンジンが爆発し大火災が起き、無惨にも乗組員の約9割近くが亡くなりました。

しかし、その事故を知った串本の地元民たちは、すぐにその事故を島中に伝え、我を忘れ、荒波の中必死の人命救助を行ったのです。

そして、69名のトルコ人を救ったといいます。

串本の村人たちは、非常に貧しい生活をしていましたが、最優先で食料を差し出し、怪我の手当てをしました。

怪我をしたトルコの乗組員たちは、この村人たちの道徳的な行動に大変な感激を受けます。

そうして、この話はトルコ中に伝えられ、今もずっと学校などで語り続けられているそうです。

トルコがずっと親日でいるのは、実はこの事件があったことがきっかけだったのです。

記念館にある、来訪者が感想を綴るノートを覗くと、トルコ語のメッセージがたくさん書かれていました。

スタッフさんに聞くと、トルコ人が沢山訪れているそうです。

まさに、『得』ではなく『徳』で生きることを過去の方々に学んだ時間でした。

また、日米修好記念館では、実は浦賀にペリーが来航する2年前に、串本に1隻の商船が来ていたことを知りました。

地元民が初めて星条旗を見たのは、浦賀ではなく串本だったようです。

歴史とは実に面白いものです。

インターネットなどで情報などは大量に入る時代ですが、やはり現地に行かないと感じられないものがありますね。

人間も五感で生きている。
現場・現物。

よい機会を頂戴しました。

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論語塾より

定期開催の『論語塾』に参加していますが、かなり勉強になります。

論語では、様々な意味をもつ漢字が多く使われています。

なかでも、『みる』という字は、4つの意味で漢字を使い分けられてるようです。

『見る』は、よく使う漢字ですが、これはみえているもの全体のことを言うようです。

そして、『視る』になってはじめして、ある特定のものに焦点を合わせて、そのものを視るというようになります。

『観る』は、焦点を合わせたものをよくよくみる、詳しく観ることです。

最後は『察る』。これはみえないものをみるという意味があり、気持ちや、心、空気などのことです。日本では気持ちを察すると使いますね。

漢字とは面白いもので、観ると察るを合わせて観察ですから、詳しく観て、こうではないか?と察していくことなんですね。

この4つはどれも大切です。

また、『きく』というのも、聞く、聴くがあります。

意識せずきこえているものは、聞く。特定のものをきくことは聴く。

見聞を広めるとは、自分の知りたいことだけではなく、あらゆるものを見聞きするということなんです。

そして視聴するとなれば、特定のものをじっくりきくことになる。

漢字一つ意識してみることで、なかなか一日が面白くなると思います。

さて、今日もげんきよく きげんよく
いきたいものです。

砂時計

桃の節句も近づき、春らしさを感じるようになってきました。

私もこの2月で40歳になりました。結婚してもうすぐ12年。今の仕事をはじめてからは11年が経とうとしています。人生の時間とは、本当に早いものです。

先日、師匠に人生の時間を例えた、こんな印象的な言葉を頂きました。

「人生は砂時計のようなもの」という言葉です。

砂時計を立てると、上に溜まった砂がくびれた場所を通って下に落ちていきます。

上の砂が【未来】で、くびれている場所を通過するする砂が【現在】、下に溜まっている砂が【過去】となります。

上の砂ばかり見ていると、減っていく残りの時間ばかりが気になります。

しかし、下の砂はどんどん溜まっていきます。過ぎていった時間は無になってしまうのではなく、過去という資産をたくさん溜めているのです。

この砂時計のように、過去とは自分自身がコツコツ溜めてきた豊かな収穫物であることを自覚すると、歳を重ねることは本当に素敵な事だと改めて感じます。

また、過去は『価庫』であるとも言われました。

価値あるものがたくさん詰まった倉庫。

生きることは素晴らしい。

今を大切に味わっていきたいものです。

ケーキハウス ツマガリ

今日は一日ゆっくり休みをとって、家族で『ケーキハウス ツマガリ』本店へ出掛けました。

神戸や西宮にお住まいの方なら、ケーキといえばツマガリ!というぐらいの名店です。

場所は阪急甲陽園駅から少し坂を登ったすぐのところ。このあたりは閑静な町並みで、町も古くからあり、とても素敵な雰囲気があります。

ツマガリは知ってはいたものの、行ってみたい!と強く思ったのは、創業者である津曲孝さんの『津曲 孝物語』を読んだことがきっかけでありました。

津曲さんは、幼い頃に両親と生き別れになり、お祖母さんに育てられました。吃音もあり、勉強も出来なかった津曲さんは、同級生からも赤ちゃんとからかわれ、辛い日々を過ごされました。

しかし、吃音を克服したことや、お祖母さんからいつも、お前はできる子だ!という言葉をかけられいたことが自信に繋がったといいます。

15歳で就職のため上京し、17歳のとき、ご縁あってお菓子の世界に入ったそうです。

それから、猛勉強と修行を重ね、わずか17坪の小さなケーキ屋さんを持つことができました。

津曲さんは、算数なら1+1=2だけど、それをなんとか5には出来ないか?と考え続けたそうです。

プラス3。それは、『付加価値』です。

お客さまを喜ばせるための付加価値を一生懸命に考え、創意工夫をする。それが、味に大きな影響を与えたのだと思います。

昨日、家族に『津曲 孝物語』を読み、どういう想いでケーキ屋さんを作ったのかを共有しました。

そして車を使わず、あえて電車を乗り継いでツマガリへ行きました。

午前11時に着きましたが、既にお客さんがいっぱいでした。店の前ではスタッフの方が、温かいお茶を入れ、待っている方々にお渡ししていました。

ありがたいことに、買ったケーキを2階の喫茶店で食べられるということで、ゆっくり味わうことができました。

有名なシュークリームも、ケーキも焼き菓子も、どれも本当に美味しくて、大満足でした。

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長女は一丁前に、今まで食べたケーキの中でも一番美味しかった!と言っていました。

でも本当に美味しかった。

我が家にしては、朝からケーキという贅沢な時間を過ごしましたが、とても価値ある時間でありました。

津曲さん、美味しいケーキを有難うございました!

平和学習

2月14日に、毎月恒例となりました平和学習の講師を務めて参りました。

今回で11回目になり、微力ながらでも続けて頂けることを有り難く思います。

今回は、戦後の不条理なBC級戦犯について、お話をさせて頂きました。

戦犯とは、戦争犯罪のことです。

いくら戦争自体は犯罪ではないといっても、戦争中は何をやってもいいわけではありません。戦時国際法で交戦法規が定められています。

例えば、『一般住民・非戦闘員に危害を加えてはならない』であったり、『軍事目標以外を攻撃してはならない』などです。

戦争が終わり、日本は敗戦国となりました。

勝った連合国側は、交戦法規を破った行為があっても裁かれることはありません。(原子爆弾や本土空襲、沖縄戦など、交戦法規違反は多々あるのですが・・・)

敗戦国の日本は、戦後連合国側から、A~C級に分類された戦犯者を徹底的に裁きました。

A級は東京裁判が有名ですが、指導者とされています。その中からは、7名が死刑となりました。

そして、あまり知られていないBC級は、現地により命令したもの、実行したものという定義でした。

BC級は約5,400名に有罪、940名に死刑判決が下されたのです。

しかも、その判決は戦後の混乱の最中、現地で各軍がバラバラに行ったため、十分な検証はなく、日本人には弁護の機会もないようなものだったのです。

よって、無実な身でありながら処刑をされた者、通訳を担当しただけで罪になった者、捕虜に少しでも食事を与えてあげようと、ゴボウを取って食べさせてあげたら木の根を喰わした捕虜の虐待として処刑されたもの等々、酷い裁きを受け、この世を去らなくてはならないものが多々いたのです。

先の大戦では、300万人の日本人が亡くなられました。一人一人、本当に様々な最期がある中、このような裁きによって、この世を去った方々もいるということを、我々は忘れてはいけないと思います。

BC級戦犯により亡くなられた方々が、家族に綴った遺書がありますが、本当に辛いものです。

正しいことが、正しいとされないことがあります。また逆に、正しくないことが、正しいとされることもあります。

人生は不如意です。

解釈は無数ですが、事実は一つ。
この事実をちゃんと見つけ出し、後世に繋いでいくこと。その一助として、これからも伝えていければと思います。

感動的な対応

最近、車を運転中、よくオーディオブックというものを聞いています。

オーディオブックとは、本の内容をそのまま朗読してくれるCDのことで、車を運転しながら本の内容を理解できるという、う点もあり、とても重宝しています。

私は今、日本資本主義の父と呼ばれている、故・渋沢栄一氏の書物を読んだり、オーディオブックを聞いたりして勉強させてもらっています。

昨日も、渋沢栄一の『立志の作法』を運転中聞いておりました。CD6枚組、5枚を聞き終わり、6枚目をナビに入れたのですが、一向に反応しません。

なぜ?と思い、もう一回入れ直してみても、反応がない・・・。

もしかしたら、ナビの故障?と思い、違うCDを入れてみたのですが、普通に聞けます。

となれば、やっぱりCDがおかしい。

私はパッケージに記載のある発売元の電話番号に電話をしました。

16時30分のことでした。

『そうでしたか、申し訳ございません。6枚目をお送りしますので、お名前・ご住所・お電話番号をお願い致します。』

そして、

『明日から3連休となり、申し訳ありませんが、12日の発送となります。よろしいでしょうか?』といわれたので、

『急ぎませんので、いいですよ。』と言って電話を切りました。


そして、一夜開け。
朝の11時ごろです。

ピンポーンとインターホンがなりました。
宅配業者の方が荷物を届けてくれたのですが、中身は聞けなかった6枚目のCDだったのです。

昨日16時30分の電話を受けた方は、直ぐに手配下さり、東京から大阪まで、今朝の11時に届かせてくれたのです。

この対応には大いに感動しました。

きっと、電話を受けた方が、なんとか最終便に間に合うのではと、配達時間も一番早い時間を指定し、対応下さったのだとおもいます。

CDを聞けなかったことは、もちろん製造や販売元の責任でもあります。

ですが、その後の対応によって、こんなにも感動や満足感を味わえるのですから、今はもう逆に、CDが聞けなくて良かったとすらおもいます。

早速、この素早い対応をして頂いたことへの、感謝の手紙を書こうと思います。

そうして、今日の夕方、お客さまのご自宅へ向かう道中、6枚目のCDをじっくり味わおうと思います。

40歳

本日、無事に40歳を迎えることができました。

いつものように、朝起きて、仕事をさせていただき、お墓参りをして40歳の報告。

沢山の方々からお祝いのメッセージを頂き、お手紙を頂戴し、本当に嬉しく思います。

やはり、何歳になってもおめでとうと言われるのは、嬉しいものです。

夜は、家族が祝福してくれ、改めて今、命があることを感謝しました。

私は、歳を重ねる度に、沢山の経験が増えて、心豊かになっていくようなものが人生であるべきだと思っています。

若さはもちろん失われていくわけですが、好奇心や学ぶ意欲、情緒などは益々エネルギーを増していく。

そんな人生を、歩んで参りたいものです。

今日スタートした40代。
味わって参ります。

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研修

1月8日のことでした。どうしても出てみたい研修があったので、岡山に行ってきました。

新幹線で新大阪からたったの50分。本当に便利になったものですね。

さて、研修の冒頭に、『あたりまえと思ってきた事を、決してあたりまえじゃないと思うようにしてください。そう思うことから、学びがはじまり、世界が広がる。』とありました。

例えば、モーニングを喫茶店で食べたとしましょう。パンとコーヒーとサラダがついて、380円。

この380円は、なぜ380円なんだろう?

そう思うことから、原価は?経費は?利益は?と関心に変わり、調べたりすることによってシステムが分かってきます。

普段の何気ないことを、あたりまえと思って過ごすのではなく、うん?なぜ?という習慣をつける。

それだけで、きっと世の中が面白くなってくると思います。

どんな本を読むのか?の前に、
なぜ本を読むのか?

そんな風に、なぜ?を想いを巡らせる。
面白そうです。