曽爾高原
先週3連休の中日に、家族で奈良県にある曽爾高原へ行って参りました。
まだ薄暗い夜明けに出発。
山道の道中では、外気の気温がなんと1℃を表示し、降りてみると辺りは霜が降り、真っ白になっていました。
しーんとした山道脇。この辺りは秋ではなく一足先に冬が到来していたのです。
さて、午前9時ごろ、曽爾高原の少し手前、ファームガーデンという複合施設に到着。そこから約40分程山道を歩き(4歳の次女は本当によく頑張りました)、ようやく曽爾高原に到着しました。
曽爾高原入り口の細い坂道を上がると、そこには、太陽の光を浴びて白く光輝くすすきの大群が、高低差のある壮大な草原を覆い尽くしていました。
この景色は想像を絶する素晴らしさであります。
高原の中央には池と、平らな草原がありますが、そこから360度見えるもの全てに、拝みたくなるような美しさを覚えました。
『きっと、あの世ってこんなとこなんだろうな』というインスピレーションが浮かんだぐらいです。
もし、此処へ来る道中に車の事故で死んでいても、きっと此処へ来ていると思う。
そんな話を家族ですることすら、不自然ではない場所でありました。
また、高原を登って行き、上から眺める曽爾高原もまた、格別な美しさがありました。
ファームガーデンに戻って食事と取り、温泉でゆっくり疲れを癒しました。
帰りの車では、子供たちは本当に気持ち良さそうに眠っていました。
家族でゆっくり、美しい景色を味わい心身リフレッシュさせてもらった1日でした。
改めて、自分の中にある誠実な心、直向きな心、天真爛漫な心を大切にしていこうと思います。
感動の1日に感謝します。
ピアノの発表会と女性向けセミナー
今日は、私が習っているピアノスクールの年一度行われるピアノ発表会でした。
場所はリッツ・カールトン大阪のTHE・bar。木目調の重厚感のある壁にアンティーク調の高級感溢れるテーブルや家具。大人でシックな雰囲気が、何とも言えない緊張を誘い出します。
なかなかこのような場所でピアノを弾くことも出来ないので、人生の佳い思い出となりました。
ピアノスクールに通いはじめて早いもので3年が経とうとしております。
同じスクールに通う子供たちに紛れて、おっちゃんが一人発表会で窮屈な演奏をする。子供たちにはどのように映っているのかはわかりませんが、この歳になっても、挑戦していくという難しさと楽しさを、改めて感じる事ができました。
また、子供たちの著しい成長には感動しました。昨年とは全くレベルが違っています。子供の可能性とは凄いものですね。
発表会を終えてすぐに、神戸のお客さまが経営するサロンで、女性向けのセミナーをさせていただきました。
集まられた方々は、皆50代~60代の女性。そのパワー*1には、圧倒されるとともに、女性の生きる強さのようなものを感じました。
内容は、3つの健康について。
それは、心身の健康・つながり(人間関係)の健康、そしてお金の健康です。
とくに、お金の健康については、大盛り上がりでした。
改めて、人にはそれぞれ一人一人の大切にしてきた物語があるということ、私も含めて、かけがえのない人生を、大切にしたいと、これは祈りのようなものがあるのだと感じます。
人の相談にのるということは、自分の価値観や先入観を持たないこと。
この事を肝に命じていかなければ、佳い相談はのれないでしょう。
神経を使う場面が多かった1日でしたが、夜はお酒でも味わおうと思います。
*1:笑
克 明 徳
段々秋の深まりを感じるようになりました。
一昨日は仕事で岡山だったので、道中【閑谷学校】によってきました。
閑谷学校とは、江戸時代前期に岡山藩主池田光政によって開かれた、日本最古の庶民のための学校です。
講堂は国宝に指定され見応えがありました。ここで江戸時代の子供たちが、学問をしていたのかと思うと、清々しい気持ちになります。
講堂の中に、一際大きな額がかけられていたのですが、そこには、【克明徳】とたいそう立派な書がかかれていました。
岡山藩五代目藩主である、池田治政が書かれたものだそうです。
三字額の【克】は、力を尽くして事を成し遂げる、【明】は、物を正しく見る力、【徳】は、善や正義をわきまえる高潔な品性と解釈されています。
まさに、人物を創ることを大切にしていたことが伺えます。
また、ここは紅葉の観光地でもあり、木々の紅葉がとても美しいものでした。
紅葉とは、人で言うと老人になったことをさすと思います。でも葉はそれが美しく見える。
しかしながら多くの人は、年老いていくことを悲劇し、目を背けたいと思います。
紅葉のように、老いていくことで深まる人間としての美しさのようなものが感じられる、そんな歳の重ね方をしたいものだなぁと紅葉を見ながら感じました。
岡山出張は、佳い時間となりました。
『できる人』と『できた人』
昨夜、私のお客さまのbarでお酒を飲んでいたら、同じカウンターに座っていた方が、仕事について興味深い話をしておりました。
その方と、後で名刺交換をさせてもらいましたが、某電鉄の社員教育に携わる部署の方でありました。
その方が言われたのは以下のことです。
世の中に仕事が『できる人』というのは、結構いるものです。それは良い事だけども、『できた人』というのはあまりいない。
できる人は、才覚や能力で仕事はできるけれども、だからといって人間ができた人とは違う。
できた人というのは、人格が出来ている人。これはなかなかいません。所作や言葉でわかってきます。
できた人はお金や名誉を求めていない。本当に人を大切にし、一緒によいものをつくりあげていくことに徹底していますから。
・・・実に面白いお話ですし、共感も持ちました。
名刺交換をし、一緒に歌って最後は握手で別れました。
私も、できた人に少しでも近づけるよう、毎日を顔張っていきたいものです
体質・空気・流れ
私が語り部として、月1回開催頂いている平和学習『和望の会』。今月は17日に予定をしております。
いつもは、私が戦争体験をされた方々のお話を伝えるという形式でやっておりますが、今回は、そもそもなぜ日本は、あのような戦争をしたのか?突入していったのか?というテーマでお話をさせて頂きます。
そのため、様々復習兼ねて本を読んでいるのですか、中でも著者・保阪正康の『あの戦争は何だったのか』には、非常に調べあげられた当時の軍部の体質、空気、流れが具体的に書かれています。
そして、まずその体質こそ、今の日本にもまだまだ根強く残されていると、強く感じました。
ワンマン、独裁的な力が浮き彫りとされた今年の様々なニュースを見れば、一目瞭然でしょう。
『物言えぬ』から大惨事を招いた太平洋戦争。戦争こそは繰り返してはないものの、まだまだ『物言えぬ』体質により、多くの人々が傷ついている事は、間違いのない事実です。
また、そういった空気の力も、多いに関係していると思います。
空気というものは本当に怖い。なぜなら少数派は悪、多数派は善というような、大きな流れをつくってしまうからです。
この体質・空気・流れ。
この3つが最悪な方へ進んだときの惨事こそ、あの戦争であり、今もなお、この3つは様々な場面、コミュニティーで作られていくことを肝に命じなければならないと思います。
人間が集まれば、この3つの支配が生まれることをしっかり管理しなければ、良い社会は作られない。
そんな事をこの本から学んだのでした。
スマホを落としただけなのに
映画【スマホを落としただけなのに】を観て参りました。
今やスマホは、生活の中で無くてはならない存在となっているのは、私だけではないでしょう。
スマホには、大切な人からご縁を頂いたたくさんの方の連絡先や写真が入っていますし、ソーシャルネットワークにログインすれば、私と繋がっている方々の個人情報がわかります。
また、アマゾンやYahoo!から気軽にクレジットカードで買い物もしているので、情報を抜き取られてしまうことも簡単にはできることでしょう。
スマホとは、自分自身の分身であり、この映画は、その分身であるスマホを落としてしまうことのリスク、いや、デンジャーを教えてくれるものでしょう。
またそれだけにとどまらず、家庭環境などの理由で、母親から愛をちゃんと貰えなかった子供が大人になったときのリスクについての危惧を訴えているようにも思います。
文明は新たなリスクを生む。
リスクを常に考え、ちゃんと管理する時代であることは間違いないでしょう。
この時期になると
この時期になると、ポストに届き出すものがあります。喪中葉書です。
『祖母 ◯◯が◯月◯日に◯◯歳で永眠いたしました』
など、お身内のご不幸が書かれています。
普段は悲しみのひとかけらも見せない方も、大切な方とお別れの時があり、受け入れ、今を生きている。
人はどんな人も、色んなことがあって、色んな事情を受け入れて生きている。
その事を、喪中葉書は教えてくれます。
私も出来る限り、
『げんきよく きげんよく』
生きていきたいものです。
日日是好日
先日、樹木希林さん最後の映画となりました、『日日是好日』を妻と観て参りました。
『お茶』を習うことで、そして続けることによって、今まで気付かなかった音や空気、季節、命の大切さ、そして人の気配りなど、日々に変化がわかるようになるというお話で、とても心が和む佳い映画でした。
映画の中で、特に印象的な言葉がありました。
『人生の中で、すぐにわかることはそのまま通りすぎればよい。しかし、すぐにわからないことは、ゆっくりゆっくり時間をかけてわかればよい。』
また、
『何でも理由を頭で考えればいいのではない。感じればよいこともあるの。』
そして、
『毎回同じ人が集まる茶時でも、1回1回が違うの。だから、ああ、これがこの人たちと会うのが最後かもしれないと思ってその時その時を大切にするの。』
セリフはそのままではありませんが、覚えている範囲で書かせてもらいました。
最後のセリフのことを人は
『一期一会』
といいますね。
昔、携帯も電車も車も飛行機もない時代でしたら、会うこと事態がもっも喜びある時間であとたのでしょう。
そして、もしこの時間が終われば、次本当に会えるかわからない。もしかしたら殺させるかもしれない。病に伏せるかもしれない。
だからこそ、会えた今を本当に大切にする。
命をいまここに集中する。
それこそが、生きることであるかもしれません。
本当に大切なことを気づかせてくれた素晴らしい映画でした。
野茂英雄
野茂英雄といえば、日本プロ野球史に残る輝かしい成績は勿論のこと、1995年に日本人初のメジャーリーガーとなり、その後の日本人メジャーリーガーの架け橋を作ったパイオニアでもありますね。
1995年当時は、まだフリーエージェントやポスティングシステムなどもなく、メジャーに行くなど御法度な時代でした。
しかし、野茂はプロ野球を引退してでもメジャーにいく、挑戦することを諦めませんでした。その情熱一本に、当時の近鉄球団も根気負け、ついにメジャーリーガー野茂英雄は誕生しました。
当時、マスコミは100%野茂を叩いていました。野茂がメジャーで通用するわけない!メジャーをなめている!と。
今のように応援される形でいける時代じゃありませんでしたから、孤独であったでしょう。
しかし野茂は、メジャーリーガーとして1年目からオールスターに出る活躍をせます。そしてメジャー2年目でなんとノーヒットノーランを達成(メジャーでは2度達成)。1000奪三振はメジャー3人目のスピード到達。数々の苦労、努力も同時に味わいながら、偉業を成し遂げたのです。
その後、イチローや松井秀喜、田中将大や大谷翔平と、多くの日本人がメジャーに渡り、活躍をします。
その先駆者である野茂。しかし、彼は自分でパイオニアだと思っていませんでした。
『ただ、メジャーに行きたかっただけです。』と。
決して奢らない姿勢には心をうつものがありました。
そして野茂の活躍は、当時の大リーグを大きく救ったことにも繋がりました。
当時、大リーグでは選手の年俸額が上昇。年俸を抑えたい球団側と年俸を上げてほしい選手側とが衝突し、ストライキを起こします。その結果、ワールドシリーズが中止になるという異例の事態となっていました。
拝金主義化したメジャーリーグからはファン離れが進んでいたのです。
そんな中、野茂は日本で提示された1億2000万円という年俸にうしろ髪など引かれず、僅か1,000万円(当時メジャー最低年俸)で海を渡ったのです。
そして、高額年俸のスター選手を次々にねじ伏せていくのです。
この姿に、心を打たれたファンたちがまた帰ってきたといいます。
野茂の貢献はすごいものです。
ただ大好きな野球。ただもっとレベルの高い場所で挑戦したい!その想い一筋の力は、周囲に感動を与えていく。
私も自分の立場を省みて、本当に好きか?本当に何がしたいのか?そんな事を思いました。
寂しくなる
今日、クライマックスシリーズで西武ライオンズがソフトバンクホークスに負け、2018年の最後の試合となってしまいました。
今年は3月30日から破竹の8連勝でスタートし、1度も首位を譲ることなく、リーグ優勝を果たしました。
これだけ強いライオンズを観たのは、黄金時代以来ではないでしょうか。
そんなライオンズが、クライマックスシリーズではソフトバンクに歯が立たなかった。
最高のシーズンとはうってかわって、らしさを封じ込まれたものとなりました。
これが野球なんでしょう。
最後のセレモニーでは辻監督が、号泣していました。だれよりも悔しいと感じたのでしょう。
本当に良い監督だなぁと思いました。
10年ぶりの日本一を!と思っていましたので、心に穴が空いたような寂しさがあります。
しかしこれが現実です。
来シーズンは、この悔しさをバネにして、更なる強い野球を目指してほしい。
有難う!
今シーズンのライオンズ!