『今夜、ロマンス劇場で』
綾瀬はるか主演の映画、
『今夜、ロマンス劇場で』を観て参りました。
ホワイトデーに男一人で恋愛ものを観に行くというのも、違和感はありますが、まぁ気にする年齢でもありませんね(笑)
さて、この『今夜、ロマンス劇場で』の番宣では、非常に恋愛ドラマという印象を与えるものでしたが、私にはそんな風に感じませんでした。
物語を創るためには、恋愛で進めていく手段は効果的ですが、私はこの映画の背景に、とても味わい深いものを受け取りました。
それは、戦後復興していく昭和の活気や人情。
そして美しい日本の景色。
また、昭和の歴史や映画という歴史にも触れることができ、日本の、昭和の歴史そのものを味あわせてくれたものでした。
父母が歩んだ昭和の一部分。
父母が生きていたら、
一緒に観たかったものです。
次回はDVDで、夫婦で観賞しようと思います。
佳い映画に感謝。有難うございます。
同級生の死から3年
中学、高校と同級生であり、高校時代は同じ陸上部に所属していた友達の死から、3年が経ちました。
2015年の2月、彼は自殺しました。
遺書も見当たらず、わずか数百円という財産を握りしめ、なにもない部屋で亡くなっていました。
高校を卒業してからは、彼とはほとんど会うことはありませんでしたが、彼が自殺する直前まで交流があった別の友も、自殺をするような予兆を感じなかったというほどですから、謎ではあります。
彼の命日近くになると、毎年、彼がよく通っていたbarに同級生で集まり、彼を偲ぶ会を行っています。
彼のことを思い出す良い機会にもなりますし、また同級生が集まり、皆で思出話に花を咲かせることで、少しでも彼の供養になればと思います。
人生には毎日色んなことがおきます。
決して良いと思えるこたばかりではなく、どちらかというと思うようにならないことが多いものです。
思うようにいかず、心が辛い時、支えになるのは思想もありますが、やはり家族や友人でしょう。
そんなときに、お互いさまと心で支えあえるような関係でいたいと思います。
また1年後、彼の命日に、皆がこのbarに集うことを切に願います。
遺骨収集
来年から遺族会の理事を承り、益々、我々現役世代の『戦没者への追悼』、または『日本の戦争』についてよくよく心を込めて学ばなければいけません。
そんな中、本日は、東部ニューギニアで戦没者の遺骨収集に参加された方の貴重なお話を聞かせて頂きました。
日本戦没者遺骨収集推進協会が主催、厚生労働省が援助金を出し、10万円の費用で参加出来るそうで、私も是非、今後協力させてもらいたいと思いました。
今回の遺骨収集は、2月9日~12日まで4日間行われました。
2月9日にポートモレスビー空港に到着し、そこから遺骨収集予定地であるポポンデッダ空港まで1時30分。
さすが熱帯地域ということで、気温は35度を超えていたそうです。
バゴウ村という集落で、現地の村人30人程が協力の元、家の床下や花壇、庭をスコップなどで約70センチ位掘っていきます。
そうするとご遺骨の姿が見え、その時はからだの震えと涙があふれ、止めることが出来なかったそうです。
手で土を丁寧に取り除き、鉄兜を身につけたままの全身のご遺骨に、お迎えがきましたよと手を合わし、私達と一緒に祖国日本へ帰りましょうとお声をかけられました。
バゴウ村での遺骨収集期間に、8柱のご遺骨を収集されました。
収容したご遺骨は、収集団と共に祖国日本へ帰って来られました。翌日、千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて遺骨引き渡し式が行われました。
あまりにも長い歳月、はるか異国の土の中で祖国に帰る事ができなかった方々のお気持ちを考えると、本当にお気の毒に思えてなりません。
そして、まだまだ異国の土中には、祖国に帰れずにいる方々が沢山いらっしゃることを忘れてはいけません。
少しでも早くご遺骨を収集し、ご供養させて頂くことが大切だと思います。
私も同じ日本人として協力出来ればと思った次第です。
『しっている』と『してる』の間には
『しっている』と『してる』の間には、ものすごく大きな差があります。
しっている事は多く、そのことが良い事だと分かっていても、実際には、行動に出来ている人は少ないものです。
私も偉そうなことは言えません。
良いと思っていること、やるべきことはしっているのに、実際に『してる』となるのは非常に難しい。
しかし人物を磨くこと、成長し人間を創る上では欠かせない差だと思います。
『しっている』ことと『してる』ことの差を縮めていく事。これぞ人間を創る大きなテーマです。
漱石山房記念館
昨日は東京で仕事をさせて頂きました。
商談までの時間を使い、私の出張の楽しみである『記念館巡り』に出掛けました。
今回訪れたのは、新宿にある『新宿区立漱石山房記念館』です。
漱石が晩年の9年間を過ごした地を、新宿区が買い取り、本格的で立派な記念館が建てられておりました。
まず館内で驚いたのが、広さ、高さ、壁の模様、そして置いてあるものまで忠実に再現された漱石の書斎があることでした。
書斎には、漱石が実際に使われていた物まで置かれていました。
きれいに整頓された書棚に、床に並べられた本の束。机は小学校で使うくらいの小さなもので、原稿とペンとインクのみ。余計なものは全く置いていません。
座布団に座り、1日の殆どをこの部屋での執筆活動に専念したといいます。
漱石の几帳面な面影を、ここに感じる事ができました。
また、漱石が天才であるということは言うまでもありませんが、天才を感じる一つの出来事として、帝国大学(今の東京大学)の初の英文科講師というエリートの絶頂にいながらに、その地位を捨て、当時ベンチャー企業であった朝日新聞に転職したことです。
執筆活動に専念する強い現れでもあるのですが、何よりも未来の行く末を見る『先見性』が突出していたからでしょう。
また、一等国であるイギリスに2年留学したときにも、『最も不愉快な2年』と表現しており、その一等国に追い付こうとしている日本の情勢を冷静に観察し、小説三四郎では『滅びるね』と表現しております。
作家として数々の名作を世に送り出してこられましたが、その活動期間はわずか11年。
小説を通じて語ってこられた漱石自身の『先見性に見た悩み』は、漱石の日本に対する、いや世界に対する誠の心で訴えてきた警告のように思います。
その警告は、今の時代に生きる我々も、今の時代を良く洞察し、受け止めていかなければならないでしょう。
新たな気持ちで、夏目漱石を読んでみたいと思います。
稼ぎ三割 仕事七割
昨日、師匠との勉強会で素晴らしい言葉を教わりました。
『稼ぎ三割 仕事七割』という江戸時代の商人の
言葉です。
『稼ぎ』はお金を稼ぐことであり、『仕事』というのは無償で人の為になることをする、人に喜んでもらうことをするといった意味だそうです。
それぞれに費やす割合が三割と七割。
江戸時代の商人たちは、この割合を大切にしてきたといいます。
素晴らしい精神です。
今や拝金主義や物質的豊かさこそが、『幸福』の象徴とされる先進国の中、このような精神、またこのような割合で生きていきたいものだと思います。
そのためには三割の時間で、生活が出来ないといけないのですが、これはこれで現実的には難しいものがあります。
しかし逆に考えると『労働と賃金の割合』を考えれば、少々のサービスは、『稼ぐため』ではなく、『喜んでもらうため』のものとして捉えられることが出来るのです。
『稼ぎ十割』主義ではなく、少しずつでもいいので、『仕事』という割合が増やせるように、創意工夫や努力を惜しまないでやっていきたいと思います。
その先には、人に喜んでもらえるという、何よりも有難い報酬があるのですから。
そして、それこそが心の豊かさを作り、その延長上に、日本がげんきになる!と思うのです。
応援の喜び
今日は久しぶりに、8年ほどお世話になっているカウセラーの先生にお会いしてきました。
お会いするといっても、私はカウンセリング(目標などの確認)を予約していましたので、受けに行ったのです。
約80分間、仕事の在り方や向かうべき方向、そして『人の経験や想いを繋げる語り部』という、私の人生においての役割りについて、徹頭徹尾話をさせて頂きました。
私の話を聞いて先生は非常に共感頂き、また先生のこれからの人生の目的である『人の役に立つ』というテーマが見事にマッチし、最後には何か出きることはないですか?と言って下さったのです。
これには驚きもありましたが、非常に感銘を受けました。嬉しかったです。
先生のお知り合いの方にお声がけ頂き、また京都のカフェという場を紹介ということまでお話下さいました。
一つの『役割り』をテーマにした事によって、このように応援下さる方々がいる。
これ以上にない喜びであります。
そして最後には、カウンセリングの料金を受け取りませんでした。
この恩を忘れることはないでしょう。
『役割り』である『語り部』に向かい、しっかり前進をしていきたいと思います。
感謝致します。
『ありがとう』と『サンキュー』は違う
『ありがとう』と『サンキュー』の違いについて、考えさせられるものがあります。
日本語と英語という根本的な違いに、実は大きな意味の違いがあったのです。
日本語のありがとうを漢字にすると、『有り難い』という字になります。
この状態は『難』が有るですし、難しいとも言えます。このような簡単にはない難しい状態が有ることへの感謝。すなわち、当たり前ではないということになります。有ることが難しいことを感謝するというのは、独特な文化だと思います。
ここで感謝しているのは相手だけではなく、神か仏かわからない存在。すなわち、今有る状態全てに感謝しているのが日本語なんです。
さて、サンキューは、『Thank You』。『あなた』に向かって感謝をのべています。
何に対して感謝をのべているのが明確な英語と、状態に感謝をしている日本語。全く違うものであります。
日本語の奥ゆかしさや意味を知ることで、本当に日本語は美しいものだと感じます。日本人は曖昧だといいますが、その美しさは西洋人には理解が出来ないのかもしれません。
この美しい言葉が作り出す背景には、大きな畏怖、感謝、愛があります。
日本語を改めて素敵だなと感じました。
大切に使っていきたいものです。
外国人観光客
日本に来る外国人観光客が、年間2,400万人に達する時代が来ました。
安倍総理は、外国人観光客の数を4,000万人にするという目標を掲げていますが、既に中国からの観光客で、年間4,000万人にのぼると近い将来予測されています。
日本人の人口は、少子高齢化により人口減に向かっていますが、日本国内にいる人口というものは、増え続けていくということになるでしょう。
となれば、ますます人手不足になりかねません。
また、外国人が国内に増えることで秩序や治安といったものも悪化する可能性があり、そこにカジノなど作れば、大阪もどうなるのかと考えさせられます。
今、大阪で観光客増加によりもっとも影響を受けているのは、難波でしょう。
関空から南海電車にのれば1本で着く利便性に、道頓堀の雰囲気。また、日本橋や道具屋筋といった独創的な面白さも外国人の方々にとっては刺激的でしょう。
そうして少し足を運べば、黒門市場があり、新鮮で美味しい魚介類を味わえますから、事実そのようなツアーもあるようです。
難波周辺は、大勢の外国人(特に中国人)が溢れて活気があります。
そうなれば、商売のやり方もどんどん変わってくるでしょうし、海外観光客向けのサービスも増えてきます。
それは時代の流れですから、大いに商売繁盛頂きたいのですが、その中でも、日本の文化や伝統を忘れず、観光客に迎合するのではなく、しっかり日本を伝えていくような街作りを目指してほしいと思います。
時代に流されるのではなく、流れにのることを間違わずにと願います。