dantelのブログ

日々の心境、思想、学び、気づき等を書き留めています。いつか、後世への遺物となることを願っています。

傘の下の君に告ぐ

核廃絶国際キャンペーン『ICAN』が、
2017年のノーベル平和賞に選ばれました。

世界約100ヵ国の国際非政府組織(NGO)からなる、非常に大きな組織です。

2007年に設立したICANは、
日本原水爆被害者団体協会とも連携し、
核兵器廃絶を目指し、核保有国も含めて
各国政府などに訴えかけ、さまざまな
キャンペーンを進めてきたそうです。

こういった活動団体がノーベル平和賞
授与されることは、非常に嬉しいニュースです。

しかしながら、核廃絶の道はまだまだ
険しいものでしょう。

現在もロシアには7000発、アメリカには6800発
(実際にはもっとあるでしょう)、その他7ヵ国の
合計が1200発ほどの核が保有されている
状況です。

唯一の核被爆国でありながら我が日本は、
卑屈にもアメリカの核の傘に守られています。

それゆえに、今年の7月に国連
核兵器禁止条約』を採択した際も、
日本は核保有国とともに賛成はしていません。

本当に残念なことです。

核兵器がこの世から廃絶され、また核を利益主義の
裏のある『平和的利用』も新設しない。

そんな新たな、真の地球規模としての安全利用
としてのエネルギーを、科学者たちは
開発してもらいたいものです。

私は、私ができること
『断片をつなぎあわせる人』として、
微々たる力をこの傘の下で注いで参ります。

少しずつ、動きだした。

戦争体験をされた方々のお話をたくさん聞き、
同世代や次世代に語り継いでいくそんな
私のプロジェクト、

『断片をつなぎあわせる人』が、
小さな小さな前進をしています。

今日は毎日新聞の記事から、戦争体験者のお話を
聞く会をされている代表者の方と接点を
持つことができました。

定期的に、戦争体験者のお話を聞く会を大阪で
されており、私も次回より参加させて頂きます。

また、元海軍兵であり、ミッドウエー海戦で
空母飛龍に乗り、終戦末期はトラック島で
激しい空襲と飢えを経験された方にも、
お会いする機会が得られそうです。

まだまだスタートを切ったに過ぎません。

二度と戦争をしない国に!

私の微々たるエネルギーが、そんな国の支えの
一部になれれば幸いです。

しっかり動いて参ります。

9人の結束力

私のお客さんに、仲間の結束力を感じる
エピソードをご紹介して頂きました。

お客さんの息子である長男が高校3年生の頃です。

彼は、ある神戸の進学校に通っていました。
軟式野球部に所属し、いよいよクラブ活動最後に
なる、春の大会を迎えました。

部員は3年生が9人いましたが、レギュラーは4人。残り5人は補欠でありました。

進学校という事、そして受験の準備で殆どが
3年生になったとたん引退してしまうので、
お世辞でも強い学校とは言えませんでした。

ところがその年のチームは順調に勝ち進み、
なんと準々決勝まで駒を進めるのです。

そんな中、保護者たちと生徒との間で
ある問題が起こるのです。

保護者からすると、好きな野球をやってほしいと
いう思いを持ちながらも、当然進学の道に
専念してもらいたいものです。

クラブ活動を終えた同学年の生徒たちは、
日々受験勉強に励んでいます。

そんな状況でもまだクラブ活動に精を出している
息子を見れば、怒りたくもなるでしょう。

子供たちからすれば、ここまできたのだから優勝を目指したい。そんな気持ちが沸き上がってきます。

そんな親子の意思が交差する中、
ついに、この年、何十年ぶりかに
ベスト4になったのです。

すると、地元の新聞を読んだOBたちが結集し、
夏の大会を大いに期待していると、
応援をしてくれるようになりました。

このような状況で、3年生9人は約束します。

『次の夏の大会も出よう!』

これには保護者も我慢ができません。

私のお客さんも、受験はどうするんだ?と、
息子に強くあたりました。

しかし返ってきた言葉は、

『野球のことをいうなら、
この家で二度と口を利きません。』

というものでした。

9人は約束をしていたのです。

夏の大会にでる!ということ、そして、
部活を引退したら、みんな志望大学に受かるよう、
勉強をがんばるということを。

夏の大会が終わった日のことです。

彼は、お母さんにこう言いました。

『ありがとう。俺、皆でやりきって、
ほんまに幸せやわ』と。

彼はその後猛勉強の末、志望大学であった
京大に受かります。

仲間9人も、一人を残し(1年留年後に志望大学合格)
みんな志望大学に入学したのです。

中には東大生も誕生しました。

あの9人の約束がなければ、
きっと頑張れなかったと言います。

9人の仲間の結束力が、大きなエネルギーになり、乗り越えられたのでしょう。

きっとこの9人は、一生ものの友となるでしょう。

素晴らしいエピソードを聞き、
私も幸せな気持ちになりました。

人は人のために強くなる。

私もまだまだ頑張らなければ!

父の三回忌

本日は父の三回忌でありました。

親戚が我が家に集まるのは、こういった
法事の時ぐらいになりました。

父方の親戚も母方の親戚も一同に集まり、
元気な姿を拝見し、少しだけでも会話をする
この時間は、なんとも言えない無常感が生まれ、
私にとって本当に大切なものを感じます。

また、お経を唱え終えた住職が、
今回は少し長めの説法をして下さいました。


鳩摩羅什(くまらじゅう)という僧のお話です。

鳩摩羅什は、計300もの経典を漢訳しました。

羅什が臨終の直前に、自分の所伝(翻訳した経典)が無謬ならば(間違いが無ければ)、焚身(荼毘)ののちに舌は焦爛しないといい残しました。

事実、鳩摩羅什の遺体を火葬したところ、
荼毘の薪が燃えつきた跡には、焼骨のなかに、
舌だけが焼け残っていたそうです。

このことを、『舌根不焼』(舌不燃)といい、
真実を伝える経典となったのです。

これは、『法華経』が真実であるという事を
証明しています。

真実がわからない時代に、
真実をしっかり伝えていく人格をもつ。

これは住職を通して、父から言われているように
思います。

素晴らしい1日に感謝です。

岡田 徹

師匠から、これまた素晴らしい詩人を
ご紹介頂きました。

岡田徹さんという、明治、大正、昭和を生きた
商業指導家です。

商業会、商人たちに訴えかけた『あり方』の
詩集にとても魂を感じますし、しみじみ、
そうだ!そうあるべきだ!という温かい、
美しい力を頂けます。

その魂の詩集から一つ、抜粋し、
此処に残したいと思います。



『本ものの生き方』


金さえ儲かればよい

それが商売というものだと
こう思いこんで

あたら生きがいをアクセクと過ごして
しまってはいないだろうか。


なにがしかの生計の資を得たいばっかしに
あなたは今日もペコペコと頭を下げ

表(うわ)べだけの笑顔をつくり

モミ手しながら嘘八百の説明をして
僅かなゼニをお客から奪おうとしている


そうゆう商売の仕方を恥ずかしいことだとは
思わないのだろうか!

もし商売というものが自分の心に、
自分の手で、糞をぬりつけ

人間の誠実さ、美しさ、温かさをいけにえとして

僅かなゼニをつかむだけのものであるなら、
今日を限りそんな恥ずかしい商売は
止めてしまおうよ。

親子5人モク拾いしてでもよい。
ニコヨンになってもでもよい。

モット生きがいのある
モット誠実にくらせる

そして

モット大手をふって
大地を行く生き方をしようよ!


だが、私は信ずる。

あなたがいよいよ今日死ぬという間ぎわに
あなたの子供たちを集めて

「お父さんは立派な商人だったよ」と
   
ハッキリと、自慢のできる商売の道が
あるということを。


*(ニコヨン:昭和25年、職安の日給が240円だったことによる呼称)



私も商売人の端くれです。
このような商売、生き方をしていきたいです。
素晴らしい詩人、商業指導家がいたこと、
教えて下さった師匠に感謝です。

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人間の値打ち

人間の値打ちというものは
その人が大切な事柄に対して

どれほど決心し努力する
ことができるかどうか
によって決まる。


これは、森信三先生が残された言葉です。

まずは、自分にとっての大切な事柄とは
なにかを知ること。

そして、その事柄への目標を決断し、
努力し続けること。

これこそが、値打ちのある人生に
なっていくのでしょう。

私には、戦争体験者のそれぞれの『断片』を
つなぎあわせ、後世に伝えていくことが
人生の大切な事柄です。

この大切な事柄に、弛まない努力を
していきたいと思います。

全体主義の起源

100分で名著『ハンナ・アーレント
全体主義の起源』を見終わりました。

ハンナ・アーレントは、
1906年にドイツで生まれます。

ドイツに台頭した、ナチス反ユダヤ主義政策に
よって政治への関心が高まりました。

自身もユダヤ人であり、1933年ナチスが政権を
獲得すると、迫害を逃れるためアメリカに
亡命します。

戦後、明るみに出た『組織的大虐殺』の実態は、
アーレントの想像をはるかに超えるものでした。

こうした体験に基づいて、1951年に発表された
のが『全体主義の起源』です。

全体主義とは、いいも悪いも分別なく、
こうあるべきだ!という思想に全体が
向かっていく力であります。

ナチスを支持した国民は、みな悪人では
ありません。ごく普通の一般市民が大半です。

そんな市民がナチスを支持していく恐ろしい力、
全体主義はいかに起こり、なぜ誰にも
止められなかったのか。

非常に興味深いものでした。


経緯はこのようなものです。

まず、ユダヤ人という人物像が権力者によって
定義付けられ、ユダヤ人イメージが広まります。

その定義が国民の意識を芽生えさせ、
民族による優劣が発生します。

すると人種思想が広がり、民族的な
ナショナリズムが充満するのです。

ユダヤ人の劣勢が明確化されると、国を失う
無国籍者が大量に発生します。

そして、優勢ナチズムが広がり、大規模な
ユダヤ人迫害がはじまります。

それが最終的に、ユダヤ人大量虐殺へと
繋がっていったのです。


みんなと一緒というのは、ある意味安心できる
ものですが、考えない、そして無知であるほど、
そのような思想になってしまいます。

人間とは、多種多様な人と人の集合体です。

アーレントの言葉で言うと、
『人類の複合性』です。

複合性がある人々の間には、『間』が必要であり、それは個々の考え方を認めあう絆の間でもあると、アーレントは言います。

もうすぐ、衆議院の解散選挙の日が来ます。

ただメディアの一面だけを判断材料にせず、
自分の頭で考え、自分の意思をもって投票する。

そうしていきたいものですし、同世代には特に、
そんな人間が増えればと願います。

運動会

今日は娘の小学校の運動会でした。

先週の台風とは売って変わり、
秋晴れの良い天気となりました。

全学年が赤組・白組に別れ、真剣勝負をする
という、時代が変わっても受け継がれている
スポーツの勝負の魅力がこの学校には
残っていて、楽しませてくれます。

また、運動会というものは、なぜこんなにも
感動するものなのでしょうか。

娘が幼稚園の頃からです。

運動会は一生懸命、大真面目に、
日頃の練習の成果を魅せてくれるからでしょうか。

運動会というものを体全身で感じるエネルギーが
幸福感を作り出してくれるのです。

本当に不思議なものです。

本当に温かい心をくれる子供達に
感謝致します。

8月の狂想曲

黒澤明監督、1991年公開の映画、
『8月の狂想曲』を観ました。

1945年8月9日、長崎に投下された原子爆弾
夫を亡くした女性(おばあちゃん)と、
その孫である4人の子供達の夏の物語です。

長崎市内にある被爆した教会や石像、
爆心地に近い小学校にある焼かれた
ジャングルジムには、映像ではありながらも
衝撃を受けました。

私が印象に残ったのは、原爆や戦争を
体験された方は、その恐怖、絶望を背負いながら
生きているという事です。

誰のせいにするでもなく、ただただ、
あの悲劇の悲しみを背負っていらっしゃる。

シーンの中で古いオルガンがでて来ますが、
最初は全く調律があいません。

孫の一人がピアノを直していくにつれ、
最後には調律があうのです。

すると、おばあちゃんがその調律に反比例する
ように過去に戻り、ある意味狂いだして
しまうのです。

それこそが、戦争という絶対悪の経験だと、
私は感じました。

そのような悲しみ、絶対悪を二度と経験しない、 させない世の中にするため、私たちは
学ばなければいけません。

黒澤明監督は、素晴らしい映画を
世に残して下さいました。

平和が続く未来を、一人一人の意識と行動で、
作っていかなくてはなりません。

長女の誕生日

長女が8歳の誕生日を迎えました。

思い返せばちょうど8年前、真夜中に
病院から連絡がありました。

『もうすぐ生まれますから、病院に来て下さい。』

と告げられた時、自転車にまたがって、
もうダッシュで病院に向かったのを思い出します。

陣痛で苦しむ妻の背中を押さえ、何がなんだか
わからないまま時間が流れ、早朝に分娩室へ。

そして8時09分、無事に長女が誕生したのです。


長女がこの世に生まれた歴史的瞬間は、
昨日のことのように鮮明に覚えています。

その命も8年が経ち、お陰さまですくすくと
成長しています。

本当に有難いものです。

そんな8年間も、様々な出来事がありました。

そしてこれからも、変わるものと、
変わらぬものとが歴史を作っていくのでしょう。

今、長女とできることは、
今、しっかり味わっておこう。

そう感じる1日でありました。