チャリティーウォーク
昨日、チャイルドケモハウス(小児がんの子供やその家族の療養施設)の、チャリティーウォークに参加してきました。
今回で、5回目となります。
昨年までは、会社の仲間と参加していましたが、今年は家族で参加しました。
神戸スペースシアターからスタートし、神戸タワー、モザイクなどをまわって、三ノ宮の神戸税関あたりまで、約4㎞のコースです。
参加費は、チャイルドケモハウスへの募金になるので、家族で貢献できたことはもちろん喜ばしいことです。
しかし、子供たち(小学校2年生と、もうすぐ3歳)が、4㎞という道のりを、最後まで歩いてくれたことが、とても嬉しく思いました。
快晴の中、汗をかきながら頑張った経験は、きっと活かされるでしょう。
そのあと、少し仕事をして帰宅。
夕食のビールは格別美味しかったです(笑)
6月10日も、お楽しみさまでした。
【チャイルドケモハウス】
http://www.kemohouse.jp/03_kemohouse.html
安心
安心してくらす。
安心をサポートする。
安心を届ける。
様々な企業が、『安心』をキーワードに、ビジネスを展開しています。
かく言う私の仕事も、『安心』を提供することに違いはありません。
しかしながら、人生に『安心した暮らし』は、あるのでしょうか。
人生とは思い通りにいかないものだと、私は思っています。
もし、思い通りにいくなら、悩みなど持つこともなく、心配事もなく、ストレスもなくなります。
そんな人、本当にいるのでしょうか。
どんなにうまくいってるようにみえる人でも、うまくいかない事だってたくさんあるのでしょうし、
さほどうまくいっていないような人でも、実は幸福感に満ちた時間はあるものです。
ならば、安心し続けることは、ほぼ皆無のように思います。
安心というものは、実はなにが起きてもおかしくはない世の中であることを受け入れる精神ではないかと思うのです。
明日、地震があるかもしれない。
ミサイルが飛んでくるかもしれない。
事故に巻き込まれるかもしれない。
病気が見つかるかもしれない。
そんな予測不能なことがあることが人生であり、そうであることを受け入れることこそ、私たちに必要な生きる知恵だと感じます。
そして、そんな不足の事態になったときにも、ある程度の進める道を作るために、用意すべきものは準備をしておく。
それが安心というものだと思います。
『安心』というものは、人々の望みです。しかし、漠然と求めても、安心は掴めないものです。
何が起こるかわからない人生を受け入れることから、安心は生まれる。
そう思うのです。
てるてる坊主
明日、長女は小学校の遠足です。
天気のことを気にして、てるてる坊主をつくり、ベランダに干していました。
誰もが一度は、作ったことがあるのではないでしょうか。
てるてる坊主は、中国から入ってきたものだそうです。
中国では掃晴娘という、箒を持たせた女の子の人形ですが、日本に入ってきたときには、坊主=僧侶と意味付けられ、てるてる法師(てるてる坊主)となったとあります。
マジックで顔を書いたせいで、目が大きくにじみ、少し怖いてるてる坊主ですが(笑)、明日は晴れるといいなぁ。
御利益、ありますように!
我が家のサボテン
2年前に、100円均一のお店で購入したサボテンを、リビングに置いています。
育てるのが下手で、購入時の形からは程遠い姿になっています。
2ヶ月程前も、細く伸びた茎を切り、サボテンの葉の部分を残し、土に入れ、水をあげていました。
そうすると、今朝、妻が気づいたのですが、新しい小さな芽が出て来ていたのです。
家族みんなが喜びました。
サボテンの生命力にも驚かされましたが、どんな環境、状況にも耐え、それでも命を繋いでいく強さに、勇気をもらえたようにおもいます。
ありがとう!我が家のサボテン。
逆上がりの練習
今日は午後から、長女の逆上がりの練習に付き合ってみました。
多くの人が、鉄棒の逆上がりの練習をした記憶があるのではないでしょうか。
私も、練習をした記憶があります。
自転車の練習と、逆上がりの練習は、親の大切な役割のような印象があります。
今回はもうちょっとのとこで断念しましたが、きっと、近々できるようになるでしょう。
諦めずに、頑張ってもらいたいです。
心の才能
シンクロナイズドスイミング日本代表ヘッドコーチである、井村雅代氏の講演会に参加して参りました。
数々の講演会でしか聞けない、テレビでは報道されないようなオリンピックエピソードは、非常に面白いお話でした。
しかしながら、オリンピックで必ずメダルを掴む、その指揮、指導面のお話は、かなり印象に残りました。
特に心に残ったのは、『心の才能』というお話です。
井村コーチは、講演会で全国を回っていると、よくこんな質問を受けるそうです。
『シンクロの選手になるためには、どんな才能が必要ですか?』
それに対して、井村コーチはこう答えるそうです。
『手足が長い。顔が小さい。体が柔らかい。音感やリズム感があるなどなど、あったほうがいいです。』
しかし、それは身体的な才能です。身体的な才能は、恵まれている人、恵まれていない人がいますが、例え恵まれていなくても、動きでカバーできるのです。
しかし、絶対に必要な才能は、身体的な才能ではありません。絶対に必要な才能、それが、『心の才能』なのです。
心の才能とは、何か壁にぶつかったときに諦めず、もっと頑張ろうと素直に思える気持ちです。
これがなかったら、一流になることはまず無理だと、井村コーチは言います。
この才能は、シンクロナイズドスイミングに限りません。あらゆるスポーツ、職業、いや、人生といってもいいでしょう。
すべてがうまくいく人なんて、この世にはいないと私は思います。
様々な壁にぶち当たった時、諦めてしまうのか、それとも乗り越えようと努力するのか、それは、心の才能があるかないかで、大きく変わってしまうのです。
自分にしっかり言い聞かせ、また一歩、成長していきたいと思いました。
真面目とは
真面目とは何でしょうか。
言われたことをきちっとやることも、真面目でしょう。
善悪をきちっと区別し、悪を働かないことも真面目だとおもいます。
しかし、内村鑑三の『真面目』の定義に、ぐっと胸が熱くなりました。
内村鑑三の真面目とは。
その人の眠っている力を呼び起こす態度。すなわち、その人の真の姿、本当の姿が出てくるということなのです。
真面目なる生涯を全うする生き方とは、自分の真の姿で生きるとすれば、どうでしょうか?
非常に考えさせられます。
真面目なる人生。
それは行動の中で現れるのでしょう。
内村鑑三の『後生への最大遺物』、『代表的日本人』は、本当に名著だとおもいます。
もっともっと、読みといていこうとおもいます。
二宮尊徳のリーダー視点
内村鑑三著書、代表的日本人に書かれている、二宮尊徳の素晴らしい視点に感動しました。
尊徳が、農村の開口指導として、村人の働きぶりを見ていた時のことです。
労働者の中に、年老いて一人前の仕事はほとんどできない男がいました。
この男は終始、切り株を取り除く仕事をしていました。
その作業は、骨の折れる仕事であるうえ、見栄えもしませんでした。
男は、みずから選んだ役に甘んじて、他人の休んでいる間も働いていました。
『根っこ堀り』といわれ、たいして注目もひきませんでした。
ところが、二宮尊徳の目は、その男のうえにとまっていたのです。
ある賃金支払いの日のこと、いつものように、労働者一人一人、その成績と働き分に応じて報酬が与えられました。
その中で、最も高い栄誉と報酬をえる者として呼び上げられた人こそ、他でもなく、その『根っこ堀り』の男であったのです。
まさしく、現在に必要なリーダーの目線だと思いました。
仕事というのは、その目だった功績、成果の優劣、上下関係で評価がなされていますが、尊徳は違います。
尊徳は、仕事は仕事であり、仕事における優劣、上下関係を完全に壊したのです。
名著で100分では、優劣、上下をつけたとこれから、問題が発生しているといっています。
仕事を優劣、損や得で判断するのではなく、目の前の仕事を懸命にしていく。
その姿勢を改めて学びました。
明日からまた、引き締めてやっていきたいものです。