『孤独』とは
名著で100分を観ました。
今回は哲学者、三木清。
孤独というものについて、三木清さんはこう意味付けています。
孤独は山になく、街にある。
一人の人間にあるのでなく
大勢の人間の『間』にあるのである。
孤独は『間』にあるものとして
空間の如きものである。
孤独というのは、一人の人間にあるのではなく、人間と人間との関わりにできる『間』という解釈が、非常に腹落ち感があります。
特に現代人にとっての孤独とは、そういったものではないでしょうか。
孤独を避けるように、様々な環境を駆使して繋がりを求める。
しかしながら、その所々に孤独感に襲われている。
若者を中心とした、近年のハロウィン。
繁華街に群れをなすあのニセモノのコミュニケーションは、孤独感を埋めるものというよりは、更なる孤独感を増殖させるようにも思います。
孤独に弱い。それが現代人。
たまには、その孤独というものをしっかり味わうことも、人生を深いものにしていく大切な時間だと思います。
他人に迎合するのではなく、自分の考えを孤独に磨く。
豊かさとは、そういった人間に備わっていくものではないかと思いました。
最後の洗車
車を買い替えるので、今日は家族みんなで、今の車の、最後の洗車をして参りました。
みんなで心を込めて、ありがとうと口にしながら、しっかり磨きました。
家族みんなで、一生懸命に最後の洗車。
心がすぅっと気持ちよくなりました。
これで、後悔なくお別れができそうです。
3年間、ありがとうございました。
色んな思い出が詰まっていますから。
それにしても、暑い暑い一日になりましたね。
今日という日は、今日だけの特別な日。
ありがとうございました
知行合一の会 奈良へ。
毎週金曜日に、教養を身に付けるという目的で、【知行合一の会】という勉強会をやっています。
その勉強会のメンバーで、奈良日帰りの旅に行って参りました。
法隆寺内にある西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築物群だそうで、非常に観る価値がありました。
法隆寺は、多分、小学生の時以来に訪れたと思います。
ゆっくりとした時間と空間、そして寺院、その中で桜がまだ綺麗に咲き誇っている様子は、日常から離れたことを意味し、心が浄化され、非常に和みました。
桜を見て、私の先輩がおっしゃった言葉が、とても印象的に残りました。
それは、
『桜は美しく感じると同時に、哀しい気持ちにもなる。』という言葉です。
私はこの言葉を聞いて、桜が美しいのは、きっと散ることが前提としてあり、限りがあるものだからこそだと思い抱きました。
ゆっくり流れる法隆寺で、浅はかではありますが、自分なりに人生の『わび・さび』を感じました。
その後、皆で鰻と団子を美味しく頂き、興福寺と東大寺に参りました。
興福寺では、先月の歴史ツアーで見ることができなかった『阿修羅像』を拝観することができました。
阿修羅像の美しさは、やはり感動致しますね。
あの表情もそうですが、フォームの綺麗さに見とれてしまいます。
また東大寺の大仏も圧巻です。
東大寺は、なぜか極楽浄土に来れたような気分になります。
門をくぐったとたんに出会うあの大きな園内が、そういう気分になるのだと思います。
奈良公園も、一月違えば全然景色が変わってみえるものですね。
丸一日、現実から離れ、ゆっくりゆっくり過ごすことができました。
しっかり教養をつけ、また日常の中で、しゅぎょうしていこう。
そういったエネルギーを頂きました。
有り難い一日に感謝です。
成長と成熟
成長とは何か、という問いに、1度は悩んだ事があるのではないでしょうか。
成長の意味を調べると、【育って成熟すること】とあります。
成熟とは、十分に実る(成長する)ことです。
では、成熟した時点から、更なる成長はあるのでしょうか。
日本は戦後、素晴らしい勢いで、経済的な成長をし続けてきました。
それによって物質的な豊かさは、大いに満たされていったのではないかと思います。
しかし、バブルが崩壊し、デフレが続き、人口減少、超高齢社会、揺らぐ社会保障制度などなど不安材料がひしめく中、経済成長だけを闇雲に追い求めるような、そんな時代でよいのでしょうか。
確かに、経済成長は資本主義経済の中では、生きる希望になると思います。
健全なインフレも当然、必要だと思います。
しかしながら、今日の日本に、経済だけに成長を求めてもいかんせん、今までのように、うまくいかないと思います。
成熟した日本の中で、更なる発展を成すには、資本主義的な物質成長だけではなく、新しい価値観が必要だと思うのです。
それこそ、フランクルの言う【水平思考】ではなく、【垂直思考】だと思います。
勝ち組と負け組、成功と失敗、得と損など、【水平思考】だけで考えるのは、完全に飽和しつつある資本主義の思考です。
水平思考ではなく、垂直に意味を考え、意味を問う。自分なりの【幸せ】への定義を見いだす。
そういう生き方こそが、これからの成熟社会に必要な生きる知恵だと強く思います。
物質も大事です。それ以上に、物質だけにとらわれない新しい価値。
そういったものを輝かせていきたい。
そう思う今日この頃です。
大塚美術館
昨日は、私の勤める支社の、日帰り旅行でありました。
バスで徳島まで行き、鳴門の渦潮を見学し、フレンチレストランで食事をした後、大塚美術館で絵画を楽しむといったスケジュールでありました。
まずは渦潮ですが、あの鳴門大橋の上から海を見下ろすだけでも、絶景といえるほどの価値のあるものでした。
渦潮は、小さなものが幾つか見ることができました。
瀬戸内海と太平洋の水位差は、最高で1.5m。
この落差と、海峡の幅の狭さや海底の複雑な地形も影響し、早い潮流と、海峡両岸に近い穏やかな流れの境目において、渦が発生するという仕組みだそうです。
自然の摂理の巨大さを、思い知らされました。
後半の大塚美術館は、日本最大級の美術館であり、1,000余点という世界の名画が展示されている美術館です。
といっても本物ではなく、陶板名画を展示しています。
本物と同じ大きさで作られ、原画そっくりそのまま味わうことができるので、非常に見る価値があります。
また、本物と違い陶板焼ですので、今後2,000年は色褪せないそうです。
世界の名画を、気軽に見れるのは、非常に嬉しいものでありました。
感性を刺激する日帰り旅行となりました。大塚美術館は、また家族で行ってみようと思います。
勉強会で
昨日、私の勤める会社の、入社3年未満の方々を対象にした勉強会で、講師をさせて頂きました。
私が入社してからやって来たこと、または変わってきたこと、それからやろうとしていること、この仕事に対する私なりの定義、想い、人生感、死生観などなどをお話致しました。
私としての感想、というより反省点は2点です。
まず1つ目は準備の大切さです。
約1時間というスピーチをする場合、恐らく3倍程の時間を準備で費やす必要かあると思いました。
話す内容も構成も、そしてイメージも大事ですが、それだけで本番を迎えると、非常に難しい。
この内容を話すのを忘れていた!とか、この話からこう展開したほうが、非常に分かりやすかったとか、後からどんどん泉のように沸き上がってきます。
1時間、しっかり自分でリハーサルをやってみることでした。
そうすれば、今の話はおかしい。これが抜けていたから注意しようなど、より改善点を前に見いだせることが出来たと思います。
2つ目は、改めて前で話す、語ることの難しさを実感したというところでしょうか。
自己満足で終わってはいけません。聞く人があっての講師です。
場の空気、参加者の表情、そして一方通行にならぬような一体感。
それを意識しても、こちらに余裕がなければ、読み取ることはできません。
こういったものは、場慣れといいますが、経験が必要だということですね。
1時間という時間の中で、約15人の参加者にお話致しましたが、全員に意味あるものを届けるなんていうのは、今の私には到底無理な話です。
しかしながら、一人でも二人でも、何かしらの意味ある時間になれれば、私にとってこの上ない喜びでもあります。
勉強会では、講師が一番気付きのある時間になるかもしれません。
良い経験をさせてもらいました。
早生まれ誕生日会
昨年に続き、『早生まれ誕生日会』が行われました。
古くからの友人たちの中で、早生まれのメンバーが集まって、誕生日を祝い合うというイベントです。
BBQをしながらプレゼント交換をしたり、温泉に浸かったりと、ゆっくり休日を楽しむことができました。
何より、とても笑いました。
笑うことは本当に幸せですね。
笑わせてくれる友人たちに感謝です。
いつもありがとう!
そして、共にHAPPY BIRTHDAY。
熟睡と安眠
車で移動中、よく安岡正篤先生のCDを聴いていますが、多々素晴らしい気付きがあります。
例えば、熟睡と安眠というものがあります。
熟睡とは、深く眠ることです。体の疲労を取るのが熟睡です。
そして、安眠とは、心理の状態の眠りを言います。
精神状態が平和であれば、安眠ができますし、常に不安や恐れがありますと、安眠は妨げられます。
正しい眠りとは、この熟睡と安眠とが両方備わっている眠りをいうようです。
現代人は、この安眠や熟睡が出来ていないように思います。
どこか精神が満たされず、ダラダラと夜更かしをしたり、深酒をしてしまったりと、規則正しい生活が出来ていません。
私にも当然言えることです。
だから、日中に眠くなり、ついつい惰眠をしてしまいます。
それでは、人間本来の持つエネルギーや活力が発揮できないと、安岡先生はいいます。
夜はしっかり眠ること。
そして、安眠するためにも、寝る前の神聖な時間を読書などで落ち着かせること。
これこそが活力。
心得てまいります。
結婚10年
今日で、結婚10周年を迎えることができました。
といっても、昨日まで旅行がありましたので、何もない、ごく普通の1日を過ごしました。
この、ごく普通が、きっといいのでしょう。
10年前は、沢山の方々に祝福頂いたことを、昨日のことのように思います。
時というのはあっという間に過ぎていくものですね。
それでも振り替えれば、何とも沢山のことが思い出されるでしょう。
明るく笑い会える日も、悲しみに耐える日もありました。そして、それはこれからもあるでしょう。
喜びも悲しみも幾歳月。
そんな人生を、また明日から味わっていくとしましょう。