我が家の小さな『さくら』
先日作った盆栽の桜、我が家の小さな『さくら』が、いよいよ咲き出しました。
小さな盆栽の世界の中ですが、けんめいに花を咲かせてくれている姿が、本当に可愛らしいです。
私は、桜を含め、そもそも『花』というものに、全くと言っていいほど、興味がありませんでした。
それが歳を重ねてきたからでしょうか。
年々、花が綺麗だと思うようになりました。本当に不思議なものです。
でも、それがとても嬉しく幸せに思います。
好きになろうと思わなくても、自然に好きになっていくものがあります。
自然に好きになるものは、どこにも力がなく、ストレスもなく、流れるようにすっと心を和ませてくれます。
盆栽の桜を、暫く楽しみます。
旅行貯金
旅行先で使うための貯金を、家族みんなでしてきました。
師匠に教わったもので、『右脳式貯金』というものです。
100均で開けられない貯金箱を購入し、貯金箱の周りには、目標の旅行先の写真を貼り、そしていつ行くのかを書いておきます。
毎日見えるリビングに置き、自由にお金を入れられるようにしておきます。
約、1年前から始めた旅行貯金。
ついに今朝、家族みんなで缶切りを使って空けてみました。
金額は、
【23,832円 】!!
塵も積もればといいますが、このコツコツ続けていくことが大切ですね。
早速、家族で郵便局に行き、まずは通帳に入れ、お札にして受け取ってきました。
このお金は、今度の旅行先で使って参ります。大事なことは、使いきる!ということです。
みんなで貯めたお金です。
最大限に活用致します。
花粉症day
今日は、それはもう、酷い酷い花粉症に見舞われた1日でした。
薬は効かず、くしゃみと鼻水がで続け、集中力に欠ける日。
お客さんのご自宅でも鼻をかみ、ピアノのレッスン中でも鼻をかみ、もちろん、今もティッシュを片手にブログを書いています。
こんな日は早く寝よう。
いい夢がみられますように。
お休みなさい。
便利の数だけストレスがある。
ふと世の中を考えてみますと、実に便利なものが増えた事に気づかされます。
例えば、スマートフォン。
これさえあれば、電話も映画も音楽も、買い物だって出来てしまいます。
私が生まれた38年前には、こんなものはありませんでした。
スマートフォンがあれば便利になった分、ストレスも増大したように思います。
例えば、メールやLINE等で連絡をとっていても、なかなか返事が無かったり、既読がつかないと、まだ見ていないのか?と、不満を抱く時があります。
また、スマートフォンを家に置いたまま出掛けますと、それだけで、『仕事の連絡は入っていないかな?』等、ソワソワしてしまいます。
便利を求める欲望が極大化するにつれ、そのお供にストレスは付いてくる。
そして、便利に頼るゆえに、ストレスに弱くなる。
市場経済は、更なる便利を開発していくでしょう。
しかし人間は、相反する『精神の高み』を学んでいかなくてはならないと思う、今日この頃です。
国旗
2歳9ヶ月の次女は、国旗にとても興味を持っています。
というのも、お風呂場に世界地図を貼っており、その地図の周りには、たくさんの国旗が並んでいてるので、お風呂でいつも国当てゲームをしているからです。
今日は、会社の行事でした。
会社の行事が終り、帰りに家族みんなで紀伊國屋書店によりました。
その時に見つけました。
国旗の辞書びきえほんです。
世界の国旗、国を紹介する辞書です。
早速購入しましたが、帰ってから夢中で読んでいます。
そして、子供の記憶力には驚かされます。
2歳でも、20ヶ国ぐらいの国旗は直ぐに覚えます。もしかすると、私の方が覚えが悪いかもしれません。
子供たちにとって、家にあるもの全てが成長の資本です。
できるだけ、良い資本をおいてやりたいものです。
『言葉にできる』人になりたい。
語彙数というものがあります。
平たく言いますと、知っている、使える言葉の数です。
現代を生きていく為には、当然ながら言葉の習得は必須ではあります。
通常、人間が日常生活を行うために必要な語彙数は、600字だそうです。
600字の習得で、日常的な会話は可能になります。
しかしながら、多種多様な『気持ち』を伝える時には、語彙数が多い人とそうでない人では、伝わり方は違ってきます。
例えば映画を観て感動したとします。
その感動というものは、一言で言い表せない程複雑で、その時々で違います。
語彙数が未熟であると、
『めっちゃ感動した。』とか、『感動して涙が止まらなかった。』のような伝え方で、具体性が欠けてしまいます。
また、美味しいものを食べた時にも、『とても美味しい』ぐらいしか表現が出来なく、探しても見つからない言葉に愕然となります。
伝えたい。できるだけ言葉に変換したい。そんなもどかしい思いを、語彙数の未熟な私は何度経験しているでしょうか。
そんな時に、語彙数が多い人は、具体的に、また的確に伝える事が出切るのでしょう。
そうすると、相手にも具体的に伝わり、お互いにより親密で温かい共感が生まれます。
また、相手の言いたい事も、咀嚼して違う言葉に置き換え、こういうことでしょうか?と確認することも出来ます。
言葉にできるは、人生を豊かにできる。
1日に一言覚えると、1年で365個の言葉を習得できます。
コツコツと地道に、語彙数を増やしたいものです。
『足を運ぶ』とは
今日は月1回の、師匠との勉強会でありました。
この勉強会は、全身全霊で師匠の言葉、態度をキャッチしたくなる、尊い時間です。
本日も、一言では言い表せない、沢山の気づきを頂きました。
その中で一つ、印象に残った言葉を書き残します。
お客さん宅などある場所まで行くと、よく、
『こちらまで足を運んで頂いてありがとうございます。』と言われます。
目的地へ行くことを、『○○まで足を運ぶ』と言います。
足を運ぶとは、すなわち身体を運ぶということです。
身体とは、【命】であると師匠はいいます。
身体を使って目的地まで行くということは、言い換えれば、命を運んでいるのです。
という事は、この命を使って、本当にふさわしい場所へ命を使って(運んで)いるのか?という問いに変えられるのです。
たった一度の人生であり、いつ終りがくるかわからない人生を、私たちは生きています。
その中で、この尊い命を何に使うのか。
どこに命を運ぶのか。
その意識こそが、本当のやるべき方向へ命を使うことになっていくのです。
命を大切にすることで、行動が変わります。
何のために、この命を使いますか?
いつ終わるかわからない尊い大切な命を、価値あるものにしていきたいものです。
本の帯は語ってる ~本購入のルール~
毎月、本を10冊ほど購入しています。
年にすると、ざっと120冊です。
では、昨年私は何冊の本を読んだかといいますと、
50冊です。
単純に計算しますと、70冊はまだ読んでおりません。
しかし、我が家の【本購入】に限ってのルールは、それで良しとしています。
この本に興味が湧いた!魅力を感じた!読んでみたい!そう思った時に買わなければ、恐らく買うことも読むこともないと思うからです。
本は出会った時こそ、購入のタイミングなのです。
いつか買おう!と思ったいつかは、私の経験の上ではやってきませんから。
また、読んでいなくても、本があるという事こそが、我が家の資本になります。
例えば、買った本を本棚に並べますと、本の帯(タイトル)が常に見えます。
帯は語っています。
人生のどこかのタイミングで、自分自身の心境や興味と、本の帯とがびしっと繋がった時がきます。
その時こそが、その本を読む絶好のタイミングです。
そのタイミングで、本がなければ、読む機会を失うかもしれません。
ネットでは、うわべな情報は探せても、本質はなかなか発掘出来ないと思うのです。
そこにあるかないかで明暗を分ける。
本というものは、そういった財産だと私は自負しています。
読書会
地元の古書店、たられば書店で行われました読書会に、家族4人で参加させてもらいました。
読書会のタイトルは、なんと、
~見えないものが見えますか?~
というミステリアスで興味深いものです。
富安陽子さんの作品、『オバケ屋敷にお引っ越し』を題材にし、著者御本人も登場され、総勢11人の参加で大いに盛り上がりました。
参加者の中には、なんと名古屋から来られた方も!
私は当初、富安陽子さんが読み聞かせをしてくれるものだと、勘違いしていました。
内容はそうではなく、富安さんを囲んで、ディスカッションしていくというものでした。
しかしそれが非常に面白いものでした。
見えないものを見たことは?
もし見えないものが見えるなら、何を見てみたいか?
そんな問いかけに、皆さんの色んな空想が部屋中に充満し、楽しいものでした。
本当にあっという間の時間でした。
後半は、この作品の中で作られているシフォンケーキを、店長の奥さんが実際に作ってくださり、皆さんで美味しく頂きました。
また、富安さんがサプライズで、絵本を1冊、そしてまだラフ画時点の世に出ていない絵本を1冊、子供たちのために読み聞かせをして下さりました。
一気に娘たちの目の輝きが変わりました。
この読書会の中で、富安さんがとても印象的なことをおっしゃられていました。
大学などで講演をされるとき、学生さんに、『どうしたらこんなに沢山物語を作れますか?』『どうしたら、こんな発想が浮かぶのですか?』と質問をされるそうです。
富安さんはおっしゃられます。
その問いは、作家として一つの場面であって、全体像ではありません、と。
富安さんは、作家に必要なものは、膨大なインプット力だと言います。
日常の何気ない場面でも、常に絵本の題材になるものはないか?と関心を抱き、着眼点を見出だそうとされているそうです。
そうしない限り、題材は枯渇します。
インプットした様々な日常からヒントを得て、アウトプットの作業に移る。
このアウトプットも面白いもので、夢で見たものを絵本にしたものがあると紹介されました。
そこまで深く深く追求するからこそ成し得るものだと思います。
これはどんな仕事、生き方にも精通するものだと思います。
日々の何気ないものでも、興味を持ち、疑問を持ち、着眼し、深く考え、着手していく。
だからこそ、味わい深い人生になっていくんだと思います。
今日は家族で素晴らしい時間を共有でしました。有難うございました。