のどか村
日曜日、奈良県は信貴山にある【のどか村】に家族で遊びに行きました。
当初の目的はイチゴ狩りでしたが、なんと開園前から300人が押し寄せ、我が家が着いた頃には終了しておりました。
それでも施設内には、自然や遊べる施設がたくさんありましたので、のんびり、ゆっくりと遊ぶことが出来ました。
羊や山羊に餌を与え、うさぎや鶏をじっくり見たり、アスレチックで遊んだり、家族みんなで初めて釣りなんかも体験しました。
釣りをしていると、隣にいた親子の釣竿に、魚がかかったのです。
鯉だと思いますが、かなり大きくて迫力があり、あれを見ただけでも釣りをした価値がありました。
それから、妻が作ってくれたお弁当を広場で食べました。
青空で食べるお弁当は、格別に美味しいものですね。
お弁当を食べた後は、みんなでバドミントンをして遊びました。
ゆったりとした時間を、自然の中で過ごす事は、心に養分を与えているようで、本当に心地のよいものです。
今の年齢で、家族で過ごす時間は、当然ながら今しかありません。
何気ない時間だけど、かけがえのない時間。
そんな時間を、有難う。
喜びも悲しみも幾歳月
昨日は同級生の三回忌でした。
亡くなった彼がよく行っていたbarで、追悼の意を込めて語り合う。
彼の死は、残念ながら自死でありました。
母は居なく、長年お世話をしていたお父さんも亡くなられ、そこから生きる目的を失ったように聞いています。
悩み、哀しみ、生きがい、希望など、価値観は人それぞれです。
ですが、人は弱い。
だからこそ、共有しあい、人生を紡いでいく仲間が必要だと思います。
昨日も、その彼を入れて6人で、たくさんの想い出を語り合いました。
生き合っている。
それを噛み締めて、一日、一日を大切にしていきたいと、改めて思いました。
そして、3月11日は東日本大震災から6年が経ちました。
人生は、喜びも悲しみも幾歳月。
日々是好日。
東京大空襲
東京大空襲から今日で、ちょうど72年目。
3月10日の夜、アメリカB29の爆撃機が、
東京の街を焼きつくしました。
約2時間に及ぶ容赦ない無差別爆撃で、
10万人もの人が、亡くなられたのです。
その多くが、女性や子供たちと言います。
昨年、東京にある、作家の早乙女さんが建てられた、東京大空襲戦災資料館に行きました。
そこで、恐るべき事実を知りました。
今の東京、日本からすると、想像もできないような地獄の世界がありました。
そして、今でもその哀しみを心に秘めて生きている人がいます。
どんな世界にも光と闇があります。
しかしながら、あの戦争の時代とは、国を守るために命を犠牲にすることがいくところまでいってしまった時代だと思うのです。
人間の歴史として、
忘れてはいけない事実です。
リスクコントロール
私の甥が、今日手術をします。
先日、遊具から落ちて、右手首を粉砕骨折したのです。
幸い、頭などではなく手首で良かったとは思いますが、プレートを入れる手術を行うため、全身麻酔をします。
リスクというものは、全てのものに、あらゆる場所に潜んでいるものだと、再認識させられました。
例えば、まだ幼稚園、小学校低学年ぐらいのお子さんと一緒に、親子がキッチンで料理をしているとします。
微笑ましい光景ではありますが、キッチンにはリスクが大変に潜んでいます。
包丁、油、火などは最たるものです。
ちょっとした油断が、大怪我、大火傷を招く恐れがあります。
かといって、子供に何もさせないわけにはいきません。
大切なことは、どんなものにもリスクが潜んでいる事を自覚し、リスクを回避する術を考えておく事が重要です。
これを、リスクコントロールと呼びます。
キッチンなら、使った包丁は、子供の手が届かない場所に置くことや、鍋を煮るときなどは、鍋の取っ手が子供の手に届かない向きにするなど、簡単に回避することが出来ます。
世の中は表裏一体。
微笑ましい出来事も、一瞬で地獄に突き落とされる場合があるのです。
リスクコントロール。
親として、人として大切な知恵だと思います。
たられば書店にて
私の町に、昨年『たられば書店』という古本屋さんが出来ました。
2階建て古民家を改装し、1階には本が並び、2階は多目的スペースにされ、絵本の読み聞かせ、落語、読書会などのイベントを定期的にされています。
今日、そんなたられば書店にいきますと、店長が2階でPCに向かい作業をされていました。
お互い少し時間がありましたので、珈琲を入れてもらい、雑談で盛り上がりました。
店長が主夫となった動機、その後、本屋さんをはじめたきっかけ、これからの構想などを話して頂きました。
私も、これから伝えて行きたい事、構想などをお話させて頂きました。
色々な話の中で、今後、2階の多目的スペースを使用させて頂くこととなりました。
伝えたいことが、少しずつでも動き出しています。
また、地元という場所が嬉しい。
一歩一歩、地道に歩んでいきます。
第9回歴史ツアー
昨日は、同級生達と発足させたグループ、【天下布部】の歴史ツアーでありました。
今回で9回目を迎えた日帰りのツアー。歴史好きや、歴史を勉強したいという人が集い、年に3回の日帰りの旅を楽しむ企画です。
今回は初の試みで、【陶芸体験】を組み入れてみました。
それもあってか、男女、大人子供あわせて総勢14名の参加となり、大いに賑わいました。
陶芸は私も初体験で、湯呑みに挑戦しました。
頭の中で浮かんだイメージを、左右の手や指で粘土を形にしていくのですが、物凄く難しい作業です。
しかし、無心に集中している時間が心地よくもあり、普段では味わえない時間を過ごす事ができました。
出来上がったものは、陶芸の先生が手直しをして焼いてくれます。
仕上がりが、非常に楽しみです。
後半は、私のお客さんが経営するお店で焼肉丼を食べ、奈良公園や興福寺で、奈良の文化や歴史に触れました。
帰ってからは地元でお酒を交わしました。
それぞれが、それぞれの天下布部への想い、歴史へのロマン、人生の機微などを語らい合いました。
まさに生きあう時間でした。
私はこの、天下布部が大好きです。
今回は残念ながら予定の合わなかったメンバーさんも、また是非とも語らい合いたいと思います。
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盆栽作り
いつもお世話になっているカウンセリングの先生のご紹介で、盆栽教室に参加して参りました。
旭山桜の盆栽で、4月には桜の花を咲かせます。
盆栽作りは初体験で、先生の指示で順をおって作りました。
鉢底網を針金で固定し、ゴロ土で覆い、土を被せます。
桜の木を植え、その周りに山石や苔、植物でアクセントを付けます。
慣れていないものには、特に丁寧になりますね。
素人ながらに、まずまずのものが出来上がりました。
それにしても、盆栽を作る作業は非常に面白く、相当に集中しました。
終わってからは、一緒に盆栽作りをした方々と、雑談で盛り上がりました。
花を咲かしてくれる日が楽しみです。
ステキな時間を、ありがとうございました。
生きあう
今日、私のお客さんとお会いする約束でしたが、なんと婚約者を連れてきて下さいました。
3月14日に入籍されるそうです。
幸せに満ちたお二人の雰囲気が、微笑ましいものでした。
お付き合いをされて1年半。
この恋が、きっと深い愛情となり、
この人生で一番大切なパートナーとして長年、生きあう事でしょう。
私は、生きあうという言葉が大好きです。
人は、一人だけで生きてはいません。
人と生きあっています。
明日も大切な人と一緒に生きあいましょう。
定義
職場の歓迎会でした。
お酒の席というのは、本音で語らいあったり、議論しあったりする事があります。
ついつい、人の意見に反論したり、自分の考えを押しつけたりしてしまいがちです。
だからこそ、こんな時にも、忘れないようにしているのが、【定義】です。
例えば、『親友はいるか?』という話になった時、親友はたくさんいると答えた人がいたとします。
それに対して、親友などたくさんいるはずがないと、反論した人がいます。
果たして、この会話は成り立っているのでしょうか。
これは成り立っていません。
なぜなら、『親友』とは何かが、
お互いに定義付けられていないからです。
定義付けをして議論する。
特にお酒の席では必要になるのではないでしょうか。
今日も一日、お疲れさまでした。
正義感という違和感
日本の、ある消防士のドキュメント番組を見ていました。
2001年に起きた同時多発テロ。その現場であるグランドゼロに、外国人として初めて立った日本人消防士の物語です。
事のはじめは、テロが起こる3ヶ月前になります。ニューヨークで世界70国から集まった消防士さんたちの、オリンピックともいえる大会がありました。
そこで日本人消防士さんが見事優勝されました。その夜はアメリカの消防士チームと健闘を称えあえ、共にお酒を交わしたそうです。
また会おう!そう約束した矢先、あのテロ事件が起こります。
大会に出場した、日本人消防士の一人が、共にお酒を交わしたアメリカの消防士に安否のメールをします。
11日経ってようやく返事がありました。その内容は、『助けてほしい』でした。
メールを読んだその消防士さんは、なんと休暇を取り、共に大会に出場した仲間たちと、ニューヨークへ向かうのです。
それは、誰にも止められない正義感が動かしたものでした。
ここで私は、この正義感というものに違和感を感じました。
たった一度、大会で競いあった、それも異国の同士のために、現地に行くという判断をした、その正義感にです。
確かに助けてあげたい。そんな思いは、私にも沸いてくるはずです。
しかし、これは公務ではなく、自主的な判断です。
もし、正義感というものを冷静に考えた時、一番守るべきものは何でしょうか。
私は家族を守りたいと思います。
テロ事件が起こったニューヨークで、すぐさま次のテロが起こるかもわかりません。危険度は最高潮にある場所です。
もしもの事があった時、一番大切である家族を置き去りにしてしまうことが、果たしてその決断は正義でしょうか。
日本で大火災が起こった場合、本来居るべき方がいらっしゃらなければ、どうなるのでしょうか。
この方々の行動力、正義感は凄まじい力がある半面、本来居るべき場所、選ぶべき正義はそこではないように思いました。
感動的な物語ではありますが、正義感というものに違和感を覚えた時間でした。
人は感情で動く生き物。
だから、感動と書きます。
私は非常に冷血だと思われるかもしれませんが、感情の主体を、本当に大切なものに使いたいと思いました。
消防士でもない私が、偉そうに書きましたが、
自分の意思を確認する意味でも、
書い留めてみました。